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『資本主義からの逃走』
    「 デザインの実力を語るために」


   


     9月 10th, 2010  Posted 12:00 AM

デザイン職能効果
私はこの40年間、ひたすら主張してきたことは、
「デザイン」という職能の果たす役割、
つまりその実力効果です。
その実力を話す前に必ず了解と理解を求める前提があります。
それはまず、「外観づくりでは無いということ」です。
しかし、デザイン造形無くして、最終形態として可視はできません。
そのことの区分けはなかなか伝わらないという経験は
今なおひきづずっています。
さらに、デザインは「かたちづくり」だけでは無いということを
さらに強調しなければなりません。
受け手は混乱し、認識の断絶が起こります。
結局、
この連鎖性そのものを理解してもらうことの困難さはこの上無しでした。
なんと言っても、デザインの実力というのは、
「絵に描いた餅」という話につながります。
つまり、「絵に描いた餅」は食べられないということになります。
けれども、
私自身、「絵に描いた餅」で「食べてきました」=生きてきました。
その絵は、簡単に言ってしまえば、
「紙の上にえんぴつ一本の線」で描かれた餅です。
さらには、餅というモノでは無い、食べるコトのデザインもあります。
モノづくりとコトづくりです。
そして、このモノとコトの連鎖性を「文脈」と呼んでいます。
デザインする対象が包含している「文脈」の効果こそ、
デザインの実力と言い切ってもいいでしょう。
そこで、その実力を発揮するために、
私は、デザイン手続きとして、
● 発想の文脈
● 表現の文脈
● 伝達の文脈
この三つをさらに「包含と統合の文脈」として
提案と提示をしているということです。


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『資本主義からの逃走』
「AppropriationーDesignに紛れ込んできている危険性・1」


   


     4月 11th, 2010  Posted 12:01 AM

応用美術
DesignがArtの応用にすぎない、という見解があります。
あるいは応用美術という歴史上でデザインが存在してきた、
この解説も、ほとんどのデザイナーは熟知しています。
私自身も、美大の産業美術学科という領域で、学びました。
したがって、特に、現代美術の様々な展開や、
歴史的な事件は、デザイナーの基礎知識として重要です。
この現代美術、現代アートとデザインとの境界には、
大きな戸惑いや、アートとデザインの融合性を確認する、
そんな事態は常に発生していることは認めています。
しかし、問題は、
Designが職能として、「かたち=外観づくり」だけ、
そんな印象が今なお強烈に有る、いや残っているのです。
私も、デザインは「かたち」に終結するが、
「かたち」と言っても、「形式」や「制度」、「システム」、
しかも「インタンジブル」な設計や戦略や策略と連呼してきました。
「欲望の刺激装置」
歴史的に見れば、
確実に「欲望を刺激する外観創成」だったことは否めません。
ところが、
さらに、いわゆる商品形態の区別化を
「商品の差別化という付加価値論」に呪縛されてきました。
そこで、「盗用」です。
「盗用」という言葉は、反倫理性がありますが、
この反倫理性を滑稽さやパロディで回避し、
判断停止を意図した芸術が登場しました。1919年代です。
無論、それ以前も、「表現の多様性」として、
生まれたきたのが、マルセル・デュシャンアンディ・ウォーホルによる、
強力な引用性のさらに複製化ということでの著作権への抵抗です。
L.H.O.O.Q.

デュシャンのL.H.O.O.Q.という作品がもっともその事例でした。
確実な著作権という制度に対する表現性の確立でした。
「モナリザ」は万人が知っている絵画、アイコンです。
このモナリザに髭を書き込みました。当然、複製のはがきに書き込んだのです。
それが話題になると、今度は「髭の無いモナリザ」です。
初めからモナリザには髭がなかったのですから、
創作性を引用=(盗用)パロディ化し、また元に戻すことで、
その創作性への思考停止、制度混乱を意図しました。
伝統的となってしまったアイコンの複製での意識操作や
作品への新たな鑑賞方法を破壊して、これが革新的アートだと主張しました。

さて、私は、応用美術であるデザインが唯一、
「かたち創出職能」=「購買刺激装置という付加価値」へ閉じ込めたことは、
デザインにとってその本質性を失わせたことだったと判断しています。
そして最近は、実質のモノのかたち=アイコン性だけを引用、
というより盗用しているにも関わらずデザインの自由性の謳歌、
この流行、氾濫、さらには正当なデザインという主張を見ます。
盗用は破壊を作動する
それがデザインの多様性であり、それはデザインの否定によるデザイン、
すなわち「面白い発想」という評価にデザインが対象化されることは、
デザインの本質性を破棄し、破壊したものと考えます。
しかし、この判断には私自身も、「盗用か引用か」、
という曖昧性の判断停止が起こっていることは認めなければなりません。
もっとも端的には、ロボットなどのヒューマノイド系、
それはSFでも登場する人間クローンがロボットというのは、
借用・引用・盗用なのかという問題解決は、
緊急な解答が必要となっていることです。
しかも、もっと大きくて深刻な問題は、
デザイナーに「Appropriation」という芸術史での事件を読み込むことなく、
「差別化のために創造表現という勘違い盗用」をしていることが問題です。


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