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「資本主義からの逃走」・『謹賀新年』」
    「『月』に兎ありという想像力に」


   


     1月 2nd, 2011  Posted 12:00 AM

楚辞
屈原という詩人のことを思い出します。
中国がわが国にもたらした文化、
それは日本の東洋的知性を相当に育みました。
ところが、今の中国にその知性は認められません。
これほど、一党独裁には、権力と集中的な富の偏在があり、
中国文化の知性はおかしな富奪取にまみれてしまいました。
おそらく中国には二つの大きな詩集があったことなどは破壊されていることでしょう。
その詩集は、詩経と楚辞であり、その楚辞の作者が屈原でした。

楚辞・天問篇に、月と兎が詠われています。
  
  夜光何徳
  死則又育
  厥利維何
  而顧菟在腹

「月は何の得があって、月は満ちたり欠けたりしているのに、ウサギを住まわせているのだろう」
という意味です。
月とウサギは、なぜ世界的にも象徴的な関係性があるのかは正直疑問です。
この年明けにいくつか探ってみたいと思います。
そして私にとっても、ウサギにはいろんな思い出があります。
幸いにして私は雪国生まれの雪国育ちでした。
ウサギの捕獲から解体、食仕方も知っています。
しかし、幼いときには、月にウサギが餅をついている話を信じていました。
あらためて、楚辞を読み直すとそこには屈原が森羅万象の自然を彷徨って、
大きな想像力が記録されています。
昨年から、わが国は中国に翻弄され続けています。
私は中国の多大な文化思想をもっと学びたいと思いますが、
現体制の中国を信用することは全く不可能だと告白しておきます。
いづれ中国の巨大な人口は、水不足という大変な事態になるでしょう。
そして確実にあの国の崩壊は起こるはずです。でなければ、帝国主義として破壊側になるでしょう。
その時、隣人として「大きく彼らを支える」そんな気概ある政治外交姿勢が欲しいものですが、
日本の現政権ではこれも全く不可能でしょう。
楚辞、屈原の想像力が森羅万象に向けられていたことを再読し,
あくまでも知性的な自分でありたいと思っています。

元旦


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