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『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』


   


     8月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

私は、「自然と人類の調和」に違和感を感じて生きてきました。
このところの大雨は、異常さを超えています。
そして、私が疑問に思うのは、天気図表現が余りにも狭くて、
日本近海からしかありませんが、せめてもっとインド周辺からの
気温変化や気圧変動の情報が必要だと思っています。
CNNなどでは地球規模の気圧変動の方がわかりやすいはずです。
私の記憶では、4~5歳ぐらいに福井の荒川が当時は氾濫して、
押し入れの上段に置かれていたことがあります。
警察官だった父はもう暗くなってから帰宅し、官舎のみんなで、
機動隊道場に非難した経験をいつも思い出します。
途中で、父に肩車されていても共に濁流の中に放り出されて
、父が素早く私を助けてくれました。
「ジャバ、ゴゴ、ジャバ、ゴゴ・・・」と言っていたのは、
今でも大洪水を見るとそのことは明確な記憶になっています。
しかし、機動隊道場には多分一週間ほど居たのでしょうが、
とても毎日が楽しかったことです。が、帰宅するとDDTが蒔かれ、
その強烈な臭いと白い粉の中に自宅があったことです。
TVで、大水に浸かった店舗、山崩れ、濁流に呑み込まれる車と
この大雨の悲惨さは自然に対してどれほど人間の無力さを知ります。
あの3.11を体験し、竜巻やこの大豪雨という自然の暴力性に対して、
私は「最悪の状態」を危機と呼んでいます。
危機とは、危険な事態を機会=チャンスとして、生き残るだけ、
これが「最悪の状態」=危機から解放される唯一の手法だと思います。
今、この危機解決に向けての新素材開発にもう少しのところです。
「泥水」は人間の存続性を決定的にする、自然の怖さそのものです。
したがって、なんとしても、この泥水を食い止める現実手段が、
私の危機解決の新素材開発につながっています。
そして、このデザインタイトルを「コンシリエンスデザイン」と、
議論を重ねて企画してきました。
自然の暴力性は泥水による激流が最も象徴的ゆえに、
「最悪の状態」からの解放は決して自然との調和ではありません。

『忘れた頃にを想定内に!』


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