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Posts Tagged ‘嫌’


『オリンピック・パラリンピックでの「トーチ」審査会』


   


     3月 21st, 2019  Posted 12:00 AM

東京での二度目のオリンピック・パラリンピックです。
しかし、これまでデザインに関わる国立競技場の取りやめから、
シンボルマークとその選出については嫌なスタートとなっていました。
世界基準に立つべきで、大衆選考による迎合的判断は残念です。
単なる経済的あるいは効率的な視点や損得勘定を超えた
審美眼と良識をもって、何よりも災害復興と
日本の未来を見据えた英断が重ねられるべきだと期待し望みました。
かつて、父が東京のオリンピックをTVで見て、
私に向かって「二度と日本では見られないだろう」と言っていました。
幸い、私は東京でのオリンピック、その「トーチ」の審査をしました。
4月に第1次審査、7月に第2次審査と開催され、委員会とも話会いました。
デザイン、燃料機構や環境と細かな点数配分による審査でしたが、
「解答」はすぐに私は見つけていました。
問題解決ができていないことや、文脈性の読み違い、あるいは
マンガで、造形デザインは決して出来ないことを証明し、
人間工学が根本的に間違っている。
さらには、縄文も弥生も無知な発想など
デザイナーの今時の風潮も知りました。
もちろん時間と能力をかけた提案とプレゼンテーションに立合い、
敬意を払い、その一字一句をくみ取ろうとしました。
審査会はデザイナーのみならず、
アスリートや各技術専門家等の構成からなるため、
重点の置き場所は異なりますから、実際やはり白熱の審査会でした。
ただ、デザインに重きをおいた審査委員たちは、必死にその審美眼を信じ、
レガシーとなる世界基準のトーチを選ぼうとその結果を導きました。


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『シンセサイザーなら、想像力以上の音響を楽しめる』


   


     1月 16th, 2019  Posted 12:00 AM

思いがけずバンドとしての「電気グルーヴ」を知りました。
二人の、テクノ、ニューウェーブ、エレクトロからの音楽性や
その活動を全く知らなかった「電気グルーヴ」。
そして、彼らの話を聞いて、とっても共感しました。
それこそ、私も青春時代から傾倒した
エレクトロニックミュージックの神髄でした。
特に、アナログシンセサイザーでは、
「どこに何本のコードをつなげれば、どんな音がするのか?」という
意見を日本で初めて聞きました。
ピアノ、ギターなどは、ある程度はこの音になる、ということが、
想像がついてしまいます。
しかしシンセサイザーは想定を超えるのです。
この電子音は、音が超越し、聴衆が自由に受け取れます。
私が東芝に入ったのも、
一番の理由は「シンセサイザーのデザインをやりたい」でした。
まずは矩形波、三角波 正弦波 ノコギリ波から波形を選び
音の特徴となる倍音の成分を選択し、
ピッチ、フィルターでの音の変容、音量での変化を
つくりだしていきます。
ワイフにも熱く「こんなグループだったんだ!」と売り込みましたが、
「アナ雪のオラフの声やってた人でしょ」とあっさりした応答。
もう捨てれるシンセサイザーを、「絶対に嫌だ」と長年所持しています。
心配になり16chのミキサーや8chのオープンデッキはあるのか聞きました。
そうか、また、やれるんだ!、と、とっても安心しました。
アナログシンセサイザーの音は、
今も現役で、知らない音を創りだします。


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07月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 13th, 2018  Posted 1:05 AM

07月13日 赤口(丙午)

嫌と言えない、そんな企業は
「働く」とは
決して、
言えない職場環境です。

川崎和男「喧嘩道」


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『経営仮説と収益構造にはジェネリック薬品』


   


     7月 13th, 2018  Posted 12:00 AM

入院してそのまま「骨折」をした私でした。
この「骨折」は明らかに病院のスタッフの無知によるものでした。
そうして、この事故はどうやっても訴訟は出来ないものらしいのです。
今の病院では「医師が院長」という悪しきルールによっている訳でした。
この病院は真に理事長は、売れていると思っているデザイナーに全てを任せ、
スタッフの誰に聞いても、使われている洋服は全員「嫌」と言っています。
が、面白いのは「絶対に私からとは言わないで」と念も押されました。
こういう病院が、デザイナーも入っているからということでOKとは、
絶対に同じデザイナー界ゆえに言い置きます。
おそらく、こういうのがビジネスモデルだとしたらということです。
なるほどデザイナーが入ればそれなりにはできるでしょうが、
私は入院した日に「骨折」し、そのために入院期間が長くなりました。
そして、今の病院ではジェネリック薬品が使われているのです。
「循環器系」は米国ではかなり高額になっています。
ジェネリック薬品は確かに良いのですが、
米国では「循環器系」は辞めているのです。
私はこの病院で薬剤師に、これは確かですか?とも聞けず、
ゆえに退院してから、阪大病院ではジェネリック薬品は、
外してもらいました。
ジェネリック薬品は確かに安いのですが、
それこそ「経営仮説」「収益構造」は病院=患者側では無く、
ジェネリック薬品を使用することは、患者の要求は見事切られていました。
おそらく、この病院ではジェネリックは「収益構造」であり、
なおかつ「経営仮説」では当たりまえなのでしょう。
まず、転院した一日目に「骨折」をし、
しかも、私の希望など無視されたジェネリック薬品を使わされていました。
まさしく米国では「循環器系」事態が
値上がりしている構造も無知だったと今では思っています。
なぜなら、デザイナー・建築家が
「経営仮説」と「収益構造」に巻き込まれていました。
私は海外でも入院しているので、
日本のことをしかっりと報告していくつもりです。


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『権威が権力として誤った選別を告知へ、に反抗』


   


     6月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

日本だけでなく、世界中の人間のコミュニティ、集団や●●界には
いわゆる政治的な強迫的とも思える支配構造が必ずあります。
美大時代には少なからずデザインの世界は純粋美術のような会派が無く、
きっと自由だと思い込んでいました。
けれども、社会人としてデザイナーになると、学閥がはびこり、
さらには「デザイナー風情が・・・」(これは今も)に包囲されていました。
フリーランスになると、「田舎のデザイナーが・・・」がありました。
したがって、敢然とデザイン界内部では闘い、なおかつ外部でも、
「デザイナーは喧嘩師であれ」を出版したことで、
これはドエライ、ブーメラン効果にもなっています。
しかし、敢然と、正眼の構えは崩さないことを明言しています。
これはあるデパートでしかもデザインを中軸にして正当さを守っていた
日本の代表的な売り場でもあり、ミュージアム的なデザインの良さや
ここを運営する日本では最大最良のデザイン団体があります。
ところが、展示作品には無知識さがあるようになりました。
私もそこの会員に若いときに推薦されましたが、
その権威のようなことが嫌で会員にはなりませんでしたが、
作品は展示され売られてもいました。
ところがある時期から、ここの団体なのか店の商売感覚で、
私の作品どころか、書籍などもまったく置かれてもいません。
私はその反発心を表現しようということなどはどうでもいいのです。
上京すると結構、ここでの企画展・作品展も見ますし、
会員の知り合いに会えば率直に意見をいいます。
今回も若い作家には漆のあるべきことを言いました。
展示は車イスの私には全く見えず、
書籍コーナーにあるデザイン批評やデザイン関連歴史書には、
許すべきではない偏見甚だしいというか、
権威ある団体公認は見逃せません。
敢えて書き残します。
これこそ新しい権威を超えた権力行使だと自白もしておきます。

*『喧嘩道には制度的なサンクションが作動する』
*『色見本・素材見本よりも重要なある規範を変えたい!』
*『本物に出会う「漆器」にもささやかな未来が見えた』
*『出版を「モノのデザイン」にしていくために』
*『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


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