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Posts Tagged ‘安政の大飢饉’


『行学はデザインにあり・「KK適塾」を開始します』


   


     10月 26th, 2016  Posted 12:00 AM

適塾・学籍番号182は橋本左内でした。
自分が最も敬愛してやまない郷土の偉人であるばかりか、
明治維新に斬首の刑を受けて国のために命をささげた26歳、
死をもって日本の今後、その行学の士です。
かつて大阪大学で緒方洪庵没後150年適塾175年のイベントで、
橋本左内を自分が語るとなったときには怪文書が回ったらしいです。
川崎に話をさせるなとか、自分をもって彼を語れる者は無しです。
小説ではあたかも明治維新は血の革命と言われていないことや
NHKの大河ドラマで歴史は歪められ、ヒーロー像は間違いだらけ。
安政の大獄で国家に命を捧げた人たちは忘れられています。
何が怪文書だ、今や執念は「KK適塾」をようやく開催にこぎ着けました。
随分と待っていただいたことと思いますが、所詮大学という組織でのこと、
「KK適塾」として自分は橋本左内をコンシリエンスデザインの基盤として
今や腐敗しつつあるこの国家、
日本への最も知性ある「最先端の学府発信」を
デザインにこめて日本を代表するデザイナーや建築家や未来学者と
開催していく所存でいます。
安政の大獄を怖れた人物が後世になって語られ、小説があたかも維新とは、
自分の心は安政の大獄、安政の大飢饉、ゆえに安政の大地震でした。
国家が乱世になるとき、わが国は国家存亡に見舞われます。
この事態をなんとしても、自分がたどり着いているのは、
「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
未だにこの闘いを「KK適塾」に向けてようやく開始することができます。

* 「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」
* 「大飢饉・大地震・あの忌まわしき安政の大獄、すべての記述」
* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」
* 『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』
* 『鉱物学と自然科学が選んできたコンシリエンス』


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『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』


   


     3月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

大学人になって20年になります。
勿論、最もデザイン・大学のことが私の講演内容ですが、
私が語り継ぐことは「橋本左内」のことが一番のテーマです。
大阪大学は懐徳堂という士農工商を度外視した寺子屋が源流です。
その懐徳堂は「適塾」に引き継がれます。
適塾の塾生番号182?が橋本左内でした。
塾長は福沢諭吉でした。
したがって、日本が武士社会から明治維新への大変革期には、
今、大河ドラマになっている吉田松陰の松下村塾での志士たちと
適塾での当時の若者たちの活動が主役であったことは当然です。
しかし、無血革命で、主役が坂本龍馬というのは、
文学=小説が明らかに歴史を歪めてしまっています。
たとえば、吉田松陰の元に梅田雲浜が登場して、松陰の生き方を
確実に変えてしまったことや、梅田雲浜も橋本左内も獄死です。
決して無血革命でもなく、ドラマ主役なる坂本龍馬が、
明治維新を押し進めてきたわけでは決してないということです。
むしろ、安政の大獄で牢中にいる吉田松陰と橋本左内は、
一度も顔会わすことなく、詩を牢番に託してわずかのやり取りをし、
二人とも、井伊直弼の気分で惨殺の刑を受けていることが重大です。
一方の福沢諭吉は英語を学ばなければなりません。
しかし、英語は禁書であり江戸幕府に近づいてしまいます。
そのことで1860年咸臨丸に福沢諭吉が乗り込んで渡米します。
1800年代のすべてを私は編年体的に知識として暗記しています。
その結論は悪政の連続です。時代変革を留める政治は悪政になり、
あの「安政の大獄」になり、優秀な人材が殺されるのです。
しかも「安政の大飢饉」と「安政の大震災」が起こります。
つまり、日本は悪政の時に大震災を招いているということです。
橋本左内は惨殺の刑ですが、彼の弟は日本赤十字社を起こすのです。
大阪大学の源流には、同郷の橋本左内を私は最も敬愛しています。
本日、「平成洪庵の会」では橋本左内とコンシリエンスデザインが
私の講演テーマです。

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