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Posts Tagged ‘差別化’


1月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 5th, 2022  Posted 12:00 AM

1月5日 友引(戊午)

『転位としてのデザイン』

が、
ややもすれば、
技術主導に
形態化を行うことと
技術表現の差別化で
終わらせてしまう場合が
多い。

artificial heart:川崎和男展


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8月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 1st, 2020  Posted 12:00 AM

8月1日 大安(丙子)

『分別としてのデザイン』

文明の経済効果が
世界をジレンマに落とし込み、
差別化のために翻弄されたデザインは、
文化の基盤を幻影で
追い求める知恵遅れの
職能になるだけでしかないだろう。

artificial heart:川崎和男展


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7月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 29th, 2020  Posted 12:00 AM

7月29日 友引(癸酉)

『分別としてのデザイン』

モノの差別化は、
社会差別観肯定の
懐疑無き無分別な
行為である。

artificial heart:川崎和男展


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7月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 28th, 2020  Posted 12:00 AM

7月28日 先勝(壬申)

『分別としてのデザイン』

論議を省略して
結論を断言すれば、
製品企画、
商品化計画にデザインが寄り添うとき、
「差別化」なるコンセプトの提示を
臆面もなく繰り返すデザイナーは、
経済におもね、
演技すら忘れた
娼婦的存在にすぎないのである。

artificial heart:川崎和男展


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12月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 13th, 2017  Posted 12:00 AM

12月13日 大安(甲戌)

商品の差別化は、そのまま人間の
差別化につながっている。
大事なのは、
「区別して分別がかなう選択の対象」に
商品とそのデザインを置くことなのだ。

『デジタルなパサージュ』 思考して「言語道断」


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12月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 12th, 2017  Posted 12:00 AM

12月12日 仏滅(癸酉)

差別化のために翻弄されたデザインは、
文化の基盤を幻影で追い求める
知恵遅れの職能になるだけでしかないだろう。

artificial heart:川崎和男展「分別としてのデザイン」


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『障がい者差別は「差別」という無知者表徴』


   


     12月 11th, 2017  Posted 12:00 AM

28歳で交通被災、車イス生活を余儀なくされて、
すでに40年も車イス生活をしてきました。
信念として、車イスゆえに障がい者対応を求めないという姿勢を貫きました。
これまで、「差別」を受けたのはまず、リハビリ病院のドクターからでした。
「君は40までしか生きれない。」など。
そして最近になって、私が身しょう者ゆえの差別を受け、
それは私の存在否定論と解釈して理論武装を決めたのです。
かつて解放同盟からの執筆依頼を受け、これも差別と受け取ったとき、
雑誌編集部とは徹底論争で彼らは敗北して以後彼らからは攻撃無しです。
たとえば、商品戦略や企業のデザイン戦略で「差別化」という言葉は、
私の徹底的な批判から非難対象にしています。
「差別化した商品」というのは、商品ユーザーを差別しているのです。
したがって、企業が「商品の差別化」を一端発言したなら、
その企業存在そのものを区別、分別する論理で企業の社会的効能性を否定。
幸いにも私は、大学人になって、名古屋市立大学を離れる時には、
事務方の方が、私のために全自動ドアにできなかったことと言われました。
阪大においても、研究室は吹田市の規定でのスロープ設置、
豊中キャンパスには私のためも考えられた屋根付きの駐車場。
しかし、障がい者雇用促進法を知らない、「障がい者業者生活指導」要綱、
そのはき違えは、おそらく、この公的大学であってすらならば、
社会全体にはどうなるのだろうか、この調査を開始しています。
1860年、咸臨丸が日米通商条約で渡米、
その翌年1861~1865年の南北戦争は、公民権運動が開始される源流であり、
それがADA法にまでたどり着いたのです。
おそらく、この2冊で十分に現在の障がい者差別解消が可能であり、
この理論武装は成し遂げることができるでしょう。
それこそ法廷論争での障がい者差別判例は「ジュリスト」で確認可能です。
新幹線ホームにエレベータ設置を先導し、
ユニバーサルデザインエディケーションプログラムもわが国に提案、
身しょう者運転ステッカーも自分デザインです。
最近は、列車デザインや船舶デザインでのバリアフリーデザイン、
そのいい加減さも発表してきました。
なぜなら、健常者などは絶対に一人もいないのです。
人間はすべて障がい者なのです。
まして障がい者相手の商売をしながらの
差別企業、差別組織には「剣よりも強し」を実践します。

* 『空港ゲートは二つあるが、適当設計過ぎる』
* 『障がい者雇用における差別解消の管轄理財』
* 『 インクルーシブデザインとは「人称デザイン」である』
* 『「眠る環境」その要素としてのウォーターベッド』
* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』


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12月09日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

12月09日 先勝(庚午)

障がい者イジメは、
「差別」である。
よって、
差別はあってはならない。
商品の「差別化」は、
ユーザーの差別である。

川崎和男の発想表現手法


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『いのち・生きること、命は与えられたもの』


   


     10月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

28歳、交通被災にて車倚子、
今は使われていない「廃失」告示を受けました。
これは死亡と同じ社会的な扱いです。
45歳で心臓障害、これは今では明らかですが、
交通被災時に心臓にまで与えた衝撃だったようです。
そんなことから、これは今私が朝だけ心臓障害を予防するための薬剤ですが、
ICD(除細動器)をもう2台目を埋め込んでいますから、
昼と就寝前には2錠剤だけです。多分来年はまた3台目を埋め込むでしょう。
ICDは万一の場合、心臓異変が在れば作動して、一時、心臓を停止させ、
再びそれこそ生き返るわけです。一度死んで、この経験もあります。
朝ともかくこれだけの錠剤とICDで生きているということです。
交通被災後には40歳までと言われていましたが、
これで、3度、重篤=多臓器不全死近しの経験もしました。
例えば、医師の国家試験は「人を傷つけていい=メスを使う」検定での認可。
薬剤師は「毒を使ってもいい=薬は毒でもあります」から国家認定です。
私は毎朝これだけの薬と車倚子を見詰めています。
正直、面倒な生き方をしていると思いますが、
医学・薬学・歯科学が私たちの命を護ってもらっているのです。
私のテーマである「いのち・きもち・かたち」の「ち」思想は、
私のこのことから、デザインに反映させているのです。
だから、例えば身しょう者を愚弄する場合は、いのちがけで闘います。
だから、身しょう者・病人への明らかに商売人は「敵」だと思っています。
もし、「差別化戦略」を平然と商品企画で使うなら、
私は絶対に許さず立ち向かうことにしています。
差別ではなく、区別ともっと品格がある分別を強く要求します。
人間は、私も40歳までと言われながら、もう車倚子生活40年です。
そうしたことから考えると、人間は強いと思います。
私は障がい者であるのも身体障害・心臓障害があっても生きています。
先般も、もう絶対に生き返らないと思っていた人が、生きのびたのです。
現在の私には車倚子・ICD・これらの錠剤、
そして徹底的に歯のメインテナンスで身体的な命を繋いでいるのです。
命は、自分のものではないのです。
「生きること」は与えられたものだといつも思っています。
自分の「ち」は美しいいのちで逝きたいと思っています。

* 「毎日の喧嘩相手は薬だ、日常的な自分との喧嘩でもある」
* 『愛着と愛用がデザインの全体価値である』
* 「健康は失い薬づけだが幸運なり」
* 『AEDとICD、街で見かける除細動器と私の体内除細動器』
* 「除細動器埋め込み入れ替えより生還」


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『「恐竜」、このシンボル性のイメージ訴求デザイン』


   


     12月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

恐竜は私の生涯にとって重大な存在になっています。
それはわがふるさと福井県のシンボルでもあるからです。
それもあってか、米国の自然史博物館で世界で最も巨大な恐竜を観た、
その感激はとても大きなことでした。と同時に、福井県勝山市に、
恐竜博物館があり、今では世界でも有数の博物館どころか、
新たな恐竜がそれもフクイナントカという名辞されたのがあるほどです。
それだけにとどまらず、福井駅構内から駅前には実物大があります。
ところが、先般、京都のデパート、その中で著名なファッションブランドが、
「恐竜」をメインシンボルとして、商品だけではなく、
展示シンボルとしました。
先日、東京銀座の同じブランドショップでも、この一環したイメージ戦術が
見事に展開されていました。
福井県の恐竜イメージ展開とブランドイメージでの恐竜イメージ展開は
どうみても、福井県がどれほどのマーケッティングデザインを展開しても
明らかにイメージの訴求力はファッションブランドに負けていました。
つまり、シンボル化された一方は行政でのイメージ展開力と
ファッションブランドでのデザインによるイメージ訴求力を比較できるのです。
福井県人の一人、しかもデザイナーとして、
恐竜の知識だけでなく、恐竜イメージのデザイン価値づくりにはそれなりに
自分なりのデザイン展開とイメージ訴求手法を考えぬいていたのです。
が、明確にこのファッションブランドとの差異化が厳然としてきました。
これは差別化戦略では無いとだけ記述します。
もっとも、地方行政にブームとして展開した「ゆるキャラ」でのイメージ、
それは数体の「ゆるキャラ」以外は全てイメージ訴求は全くデザイン皆無です。

* 『恐竜の里になっていたふるさと福井』
* 『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
* 『「創育」と「想育」の中心はやはり恐竜の存在だ』
* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
* 「『マーク+ロゴタイプ』が経常利益を決定している」


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