kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘心臓の鼓動’


「私が過激に成らざるをえない時が来ている」


   


     8月 25th, 2012  Posted 12:05 AM

私はβブロッカーを毎日服用しています。
βブロッカーというのは、心臓の交感神経と副交感神経をブロックして、
感情の動きと心臓の鼓動を常に一定にする薬です。
「シシリアンガンビット」という心臓の刺激抑制療法です。
だから、「激昂したり、切れる」なんてことは決して起こりません。
でも、「すぐに喧嘩をします。」
喧嘩というのは口喧嘩のことであり、
暴力性は言葉とか言葉づかいに込めるだけです。
無論、相手を傷つけますが、
それは自分にも必ず戻ってきて
自分は相手を傷つけた以上に深手を負うのです。
でも自傷行為になっても、βブロッカーを飲んでいても、
「負けられない」ことがあるものです。
夏目漱石の「草枕」は、
世情や自分の立場が踏みにじられる事情を見事に表現しています。
何度も何度もこの作品を読むことが、
自傷行為の結果、傷ついている自分を慰めてくれる唯一のことです。
たった一つの自分への慰労方法を携えてでも
絶対に発言し同意をいただき具現化しなければなりません。
だから、このブログでの記述形式と読者諸兄を
もはや限定すべきなのかと考え始めています。


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「資本主義からの逃走」
     「自分の『意』を見つめることから」


   


     1月 12th, 2011  Posted 12:00 AM

意は心音
意思と意志が人生を決定。
意思にも意志にも「心」あり。
意・思・志、この三つの漢字に「心」。
私はこの中で、最も生涯分からず仕舞いになる言葉。
それは「意」だと思ってきました。
そして、心なる思考を司っている言葉こそ、「意」だと考えてきました。
私がオーディオマニアであり、「音」に関わってきたのも、
この「意」を知り尽くしたかったのかもしれません。
私が「音」にこだわり、「音響機器」から「音」の具体と抽象、
さらに主観と客観をこの40年以上追いかけていると思っています。
「音」+「心」は、明らかに心音です。
これは、生まれてすぐに心拍となる心臓の鼓動です。
したがって、この心拍、心音が停止すれば、
人間は死にます。生涯が終わるわけです。
ということは、あらためて「意」が生命、生きていることです。
生きていることというのは、自分の身体の中の「意」を制御することです。
ところが、心拍・心音は制御は不可能です。
時に心臓の鼓動が早まったりするのは、正常な身体リズムであれば、
それは交感神経と副交感神経が「心」の動きを正直に表しています。
これは私自身がデザインと医学を結びつけようと仕掛けられた啓示かもしれません。
意志決定と意思決定
ともかく、「意思」と「意志」をまず明白にして、
「意志決定」と「意思決定」は同一であるのだろうか、
もしくは何か違いがあるのだろうかを「意」に焦点を合わせて見つめ目直したいと考えます。


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