kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘必要条件’


07月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 26th, 2018  Posted 12:00 AM

07月26日 先勝(己未)

よくある話を例にしよう。
「豚のベッドとかけて何と説く ?」
「黒い穴」と説く。

そこで、その心は、となったときに、
答えは「トンネル」となる。

こういう感覚がプレゼンテーションには
絶対必要条件である。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


目次を見る

『どうしても万年筆と達筆を求める』


   


     1月 5th, 2018  Posted 1:51 AM

私のブログではとても筆記具が登場してきました。
そんなこともあって、昨年末に最も使ってきたこの3本を紹介、
そう決めていたのです。それには理由があります。
まず、左2本は雑誌取材のお礼に、それぞれのメーカー最新で欲しいモノ。
それを伝えたらいただくことが出来たのです。
右の白は、このメーカーなら当然あってしかるべきが無くて、
もう100本以上もある万年筆に加えるべきか迷いながらも、
どうしても、これまでのシリーズではやれなかった「白表現」が見たくて、
これがその理由でした。
最近、世界的にも万年筆の新製品は一時、10年前に比べると、
相当に商品開発ができてきていないと判断しています。
二つの理由が考えられます。
それはデジタルでのメモが相当に増えてきたこと。
もうひとつは筆記具での自筆表現での達筆という人間がかなり減少なのです。
私のある基準には、達筆を求めます。
文字は和文であれ欧文であれ、絶対に上手いこと、
それは「美しい文字 」が自筆であることです。
これを私は書にも強く求めているのです。
無論、達筆が必要条件と言っていませんが、
達筆という十分条件は、子どもの頃から私は父、祖父に求められてきました。
また、メガネのデザインでの素材では万年筆との関係を見てきましたが、
最近は万年筆の技術進化も停滞していてメガネと万年筆は遊離しています。
今年は、おおよそ20本を月毎に変えて使おうと考えています。
いづれ、この私の万年筆コレクションには大きな理由があったこと、
それをデザインのために書き残したいと思っています。
自分デザインの万年筆?
これには正直、万年筆のインクとペン先にまだアイディアはありません。


目次を見る

『神話性ナラシオンで富獄が語る空間・形態』


   


     10月 14th, 2017  Posted 12:00 AM

富嶽三十六景の中の代表的な浮世絵=風景画、作者は葛飾北斎です。
富士山にまつわる物語、
あるいは神話ともいえるナラシオンは識るべきでしょう。
私にとっては日本を代表する山は白山です。
だから富士山より白山なのですが、こんな話を聞いて愕然としました。
富士山と白山が喧嘩をしたのです。
だから、富獄=富士山・不死山が似合っています。
ともかく、どちらの山が高いかということで、
竹で雨樋を作って、水を流したら富士山から白山に流れたのです。
子ども心に富士山が嫌いになりました。
そして左は黄金比では必ず実証される構図です。
つまり、空間論の下敷きになる美しさがあるのです。
そして右はexponential curveそのままの形態論になっています。
まだ日本に透視図が浮世絵の構図ではないのに、
なぜ、北斎は知り尽くしていたのだろう天才であったという実証構図です。
そして、ほとんど日本人には識られていない、アルゴナウタイなのです。
アルゴナウタイというギリシア神話叙事詩でのメディアと同様の神話が、
この富獄の神話=かぐや姫・竹取物語と同じなことを、
私はメディア論:かぐや姫とメディーサ同一で追い求めたことがあります。
これは語り切れないほどのアルゴナウタイと富獄神話が同一であるから、
exponential curve=eXの解釈ができるとさえ思っています。
つまり、黄金比・exponentという構図は空間論と形態論で、
美しさを生み出しているのですが、
私の判断では、歌川広重の広重ブルーは北斎を超えていると思っています。
浮世絵にまつわるナラシオンは、広重も北斎も美しさの基本にあるのです。
結局、美学では語り切れない物語性が北斎にも広重にも見事なわけです。
したがって、デザインでの美しさには
明確な背景としてのナラシオンは必要条件なのです。
もっと断言すれば、ブランド価値や商品デザインでの美しさには
絶対的に神話的にもなりうるナラシオンが必須だということです。
デザイナーにとっての悟識=カント的にはその素養は浮世絵からも
後天的に確実に学べるということです。

* 『広報誌がまだジャーナリズムである』
* 『「形態学序説」からのデザイン原論思考が必要』
* 「どちらの『杖』を選ぶべきか、医学のシンボル」
* 『吟遊詩人の的確な叙事詩はロックにまで至った』
* 『透視図・次元的な隠喩としての焦点というイメージ点』


目次を見る