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Posts Tagged ‘愛着心’


『愛着と愛用がデザインの全体価値である』


   


     7月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

私は心臓を痛めて以来、薬を手放せません。
あるとき、出張中に薬を持参していないことがありました。
そのとき、たまたま教え子が自宅から、薬を届けてくれました。
その教え子が就職した年に、
彼は選び抜いてくれたB&Oの薬入れ(今は無い?)をくれました。
この心遣いにびっくりし、彼のデザインセンスは確かだと
思ったものです。
以後、いくつかを買いそろえて、絶対に持ち歩くことにしています。
除細動器も2度手術をしてから、薬の量は本当に減りましたが、
このケースには、アレルギー対症薬やどうしようも無い痛み止めを持参。
自分が、モノのデザインに最も関わっていて、
そのデザイン効果は、モノの形態言語=designed languageである、
モノのデザイン表現の用途内容が最も大事だと思っています。
それはモノの用途への使い勝手と使い心地です。
使い勝手と使い心地が日常的なモノは、「愛用」と「愛着」に、
確実に結びついているかどうかです。
私が工藝品というのは、愛用と愛着するモノのことだと考えています。
それこそ、文豪が使っていたインク壺とか、万年筆、
時には頭髪ブラシなどがあります。
だから、デザイン審査での最終決断は、愛着心が湧くモノだろうか、
必ず愛用されるだけの、望ましさ+好ましさ=価値があるだろうかです。
そういう意味では、たとえば文房具品には、
愛着心や愛用出来るだけのデザイン効果が全体価値かどうかです。
決して、デザインは付加価値ではないということです。
付加価値でしかないモノには、愛着性も愛用性も生まれません。


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「復興への意欲は、まずトポフィリアの確認」


   


     4月 16th, 2011  Posted 12:49 AM

地元愛はトポフィリアと言います。
住めば都というのではありません。
自分のふるさと、自分が生きて居る場、
そうした場所=トポスへの
限りない愛着心がトポフィリアです。
最も、そうした言葉よりも、
生活の場への愛着心は誰にとっても捨てがたいものがあります。
高校時代に大好きだった先生がこんな話をしてくれました。
「男は若いときにはふるさとを離れ、人生の旅をしなさい」。
この考え方が英国紳士の基本的な姿勢だから、
彼らは大航海時代をつくることができたということでした。
「そして、恋愛をして伴侶を見つけること、
そうしてさらに旅をするか、あるいは生活の場をつくる」
アラビアのロレンスの生き方がヒントだと言われました。
「年老いたなら、その愛する人とふるさとに帰る」。
私は、ふるさと愛、あるいは生活の場への愛着心は、
こうした生き方にあるのかもしれないと思っています。
被災した方々が、絶対に破滅した街に戻りたい。
あの原電20km圏内では、すでに生活をしている人々がおられます。
彼らはその街への限りない愛着心があるのだと納得します。
ようやく、原電事故修復を10.5年プランということで、
まず10.5年という期間が設定できました。
そこで、現政権が本来示すべきビジョンは必要不可欠です。
そのビジョンが、復興よりも新しい創造された街をというのは、
リーダーがいうべきビジョンではありません。
そのために新たな原資としての増税や復興国債、
こうした制度設計ではありません。
「ビジョンづくり」で最も肝心なことは、
「何が不可能であるか」ということを見極めたプランづくりです。
なぜなら、その「場」では、
出来ることと、出来ないことが共存しているのです。
  山で魚は獲れません。
  海にサクランボは実をつけません。
その「場」への愛着心には必ず不可能な事があること、
そのことを最も知り尽くしているということです。
納得している重大な覚悟があるということが愛着心です。
それをトポフィリアという定義だと考えています。

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