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Posts Tagged ‘所有性’


『デジタルカメラはなるべく買い換えない。』


   


     11月 6th, 2014  Posted 12:00 AM

カメラは、職業柄どうしてもある種の拘りで選んできました。
ひとつは、性能です。これらのカメラは、
いわゆるハッセルブラッドとライカの小型カメラですが、
中身はソニー(元ミノルタ)とパナソニックですが、レンズは、
これらのカメラ企業が、彼らのブランドイメージがあります。
国産カメラが見逃していることがいくつかあります。
それはどうしてか、ということが国産メーカーは気づいていません。
たとえば、カメラ性能ではその精度においては、
ハッセルブラッドだから、たとえ中身がソニーであっても、
ライカはパナソニックの実装にも、必ずプラスαがあるわけです。
私はインダストリアルデザイナーとして、
なぜ、国内のインハウスデザイナーはそのことに気づかないのかと
とても不思議に思っています。
最近はiPhoneやスマホでそれなりの写真や動画も撮れてしまいます。
それは即刻にしてSNSにアップされてしまう時代ですが、
カメラは、オーディオにも繫がるとても重大さがあると
私は判断していて、国産も確認しているのですが、実装が同じゆえ、
それなら造形だって同じはずですが、差異性は明確です。
ともかく、カメラの使用性は無論のこと、
所有性は、今ではヨーロッパの有名レストランでOKですが、
かつては日本国産カメラは使えないというレストランもあったほどです。
それは所有感で、見逃してはいけないことです。
そのヒントをここに記載することはしないつもりです。
なぜならデザイナーなら気づくべきだと私はプロとして思っています。
最近は、小型カメラといえどもライカでは駄目だとさえ思うのです。
香港で、指摘されました。
ハッセルは中身はソニー(ミノルタ)だけども、
ほら、ここが違っているでしょう、と。
ちなみに横のブライス人形はワイフの保存用をちょっと拝借しました。
このポイントこそ、なぜ、これらのカメラブランドが
ロングライフを守り抜いているのかという証だと私は思っています。

「カメラ修行は今なお・・・」
「デジタルカメラに向かい合うとき」
『「写す」練習を精進しなければいけないのだ』


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『資本主義からの逃走』
 「ケータイを焦点化するエスノメソドロジー」


   


     3月 16th, 2010  Posted 1:56 AM

Ethnomethodology
「エスノメソドロジー」という学域を知ってから、
すでにどのくらいでしょうか。
人間が無自覚でも、認知と行為の接点ということを、
ミクロな社会学という観点は、デザインサーヴェイでしょう。
私はそうした接点を「Point of Contact 」と呼びます。
しかも、認知と行為を「会話」という関係論で、
ということは、まさに、Point of Contact=ケータイです。
「会話」は確実に、
人間関係=社会学的な存在関係を決定しています。
そのツールであり、メディアでもあるケータイを定義可能です。
現代、「無くてはならないモノ」がケータイであり、
「無くても一向に構わないモノ」もケータイといわれています。
つまり、日常生活での、関心と無関心との両面性あるモノです。
しかし、すでに現代人にとって、ケータイの存在は、
明らかに、自分の人間関係はもちろんですが、
PC機能も統合化されて、
自分の能力の支援すら果たしてくれるモノとなってきました。

● 実在性
● 機能性
● 構造性
● 象徴性

これは、ケータイが日常生活に登場し「実在性」となり、
さらに「機能性」の拡大が始まりました。
今ではすっかり、認知と行為の「構造性」が、
Smart Phoneに進化していると考えることができます。
今では、「どこのケータイを使っているか」という、
その使用者の「象徴性」に至ろうとしているモノなのです。
作法性
それだけに、モノとしての形態から、
所有性と使用性への、認知と行為、すなわち「作法性」は、
現代の民俗的意味性、「エスノメソドロジー」という社会学、
その代表的な対象になってきています。
したがって、ケータイの形態という意味性は重大です。


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