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『チタニュムを車イスでは選択』


   


     1月 10th, 2020  Posted 12:00 AM

さて、マグネシュウム合金は製造段階で発火がします。
これが現在ではどう直されたのかをチェックしていません。
私の車イス開発では、超軽量さが求められマグネシュウム合金ではなく
カーボンファイバーか、チタニウムの性能を利用したいと考えました。
当時は、丸パイプとそれを加工したモノばっかりでした。
丸パイプでは、今でもそうですが切断面が少なくてすみます。
車イス設計では、造形意図通りの表現やおさまりがかなわずに、
チタニウムを使いました。こうして素材が選定されていきました。
が、それでも真空での加工には、かなりの技術が要りました。
当時は、石川県と福井県の工業試験所でも製造工程で無理がありました。
そこで、台湾にある技術が幸いし、その技術習得のために、
製造技術担当者を毎月、現地に送り込んでいました。
そういった全ての時間と労力を車イスの完成に注ぎました。
そして、当時からアプローチしたカーボンファイバーには、
様々な私なりのアイディアが蓄積されました。

* 車イス


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『公立も国立も二つの名誉教授ゆえ少子化の制度』


   


     10月 31st, 2019  Posted 12:00 AM

デザイナーとしての実務を重ね、48才から大学人になりました。
大学人として、名古屋市立大学と大阪大学の名誉教授、
つまり公立大学法人と国立大学法人に在籍し
その称号を授与していただくのは
なかなかないことで、その評価を有難く思っています。
スタートした名古屋市立大学から大阪大学へと移籍し、
様々な研究プロジェクトに取り組み、教え子を育てました。
公立大学は総務省+文科省であり国立大学は文科省の管轄です。
名古屋市立大学教授としては市の職員として、
市の公務員対象のデザイン教育講座を受け持つこともありましたし、
市政の未来づくりへの会議にも参画していました。
また当時は大学院レベルで、
名古屋市立大学と名古屋大学の単位互換を
デザインとロボット研究の講座間で行おうとするも問題山積で、
生田幸士先生(現・東京大学名誉教授)と説得にあたり、
ようやく実現したということもありました。今では当たり前です。
とは言え、大学の事務方も市の職員で、
大学としての規模が限られている一体感がありました。
今でも、食堂のおばちゃん、事務方も、
生協の調達の担当者もSNSなどで繋がっています。
一方、大阪大学では、格式、威厳ある会議や会合があり、
そのリーダーシップを担う立場が求められます。
名誉教授会や、医学系の退役教授会も、
その脈々としたつながりは流石です。
国レベルの研究と大学間の連携なども可能になります。
私の人工心臓も東大との連携で実際に実験することができていました。
そして、研究についての予算を決定する学術振興会の会議では
かっての旧帝大と早稲田大と慶応大が最終決定の任務に就いています。
この会議では、あまりにも流れに沿った内容に随分と文句を言いました。
現状の流れを変えてもらいたいと思う方が、
私を登用してくれたのだと思いますが、
真実をストレートに言いすぎる私は、
キャリアに変革することは叶いませんでした。
これからは、大学の構成も大きく変わっていくでしょう。
これだけの大学が、
国立、公立、私立などが「少子化」に向かっていくのです。
教育の重さはわかっています、
それ故に誰彼なしに入学そして無償化ではなく、
それこそ子ども達が志を高く持てるよう、
制度化=60割高卒を導いてもらいたいです。


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『「聖火トーチ」はデザインで日本技術を発揮した炎と光』


   


     5月 9th, 2019  Posted 12:00 AM

「聖火トーチ」は、日本としての新しい製造工程、
新技術が求められました。
オリンピックに関わるマークはじめビジュアルデザイン、
競技場やトーチとデザインの力が戦後復興の
前回の東京オリンピックで発揮されたように、
今回の災害復興、五輪再興の力となるよう
デザイナーの一人として望んでいました。
「3.11での被災者」・「仮設住宅のアルミ」を再利用し、
インゴットにした押し出し成型から生まれる
桜のトーチが日本列島を縦断し、
その炎から光、同様に心をひとつにしてくれるでしょう。
デザイナーが望んだ花びらの「炎」を
ひとつの「光」変えるという難題に
向かってくれたのはたった1社の企業だったことを知りました。
デザイナーの細かな要望に、トーチ筐体の押出し成形に
挑んだメーカー担当者が果敢に応える姿がありました。
日本の希望の炎、その光のモノづくりに携わる人たちの、
約5年間にわたる精励恪勤なその成果が集結しています。
「炎と光」、技術提案の演出は彼の提案だけでしたので、
彼、一人が「センス」あるデザイナーでした。
聖火トーチは、その造形美、性能美、機能美だけでなく、
ランナーとともにつなぐ炎が光だけでした。
トーチキスの瞬間そして聖火台に向かうフィナーレと
その光で世界中にオリンピズム高鳴る熱狂を
届けてくれると、「新技術」に期待しています。
応募者たちの「デザイン知識」に愕然でした。


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『腕に取り巻いてしまった連鎖と連動する情報時代』


   


     10月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

日本が情報時代を読み間違えてしまったのはまさに21世紀から、
ケータイでようやく映像通話が可能になったFOMAの方向でした。
これには私自身2年間、当時のドコモでコンサルタントをしていたのです。
そしてドコモのトップ達の未来志向不足とセンス無しで喧嘩別れ。
そして日本主導が解消したのだと私は判断しています。
さらに有名ブランド・エルメスがようやく時計ブランドにも入り込みました。
そして「エスパス」という未来志向の時計を発表したのです。
この「エスパス」こそ、わがメーカーがやるべきと、
日本のトップブランドの経営者からも聞き、私も賛同したほどでした。
結局、エルメスが失敗して、ルイヴィトンにこの時計は移動。
エルメス失敗が、ルイヴィトンでは成功したのでした。
私はそれなりに時計収集もしていたので、
スイスのある有名メーカーからは、私があることを言い当てて、
「日本のカワサキに逢いたい」とまで言われたことがあります。
ともかく、男のファッション雑誌には、相も変わらず、
それこそ500万から2000万の時計も編集されていますが、
もはや、大変な大間違いをしていると断言することが出来ます。
あるメーカーで執行役員から現場の担当者、彼ら全ての時計を見ました。
私の出した結論はそのメーカーが現代から未来に向かって全員駄目でした。
ところが、私がそのメーカーの社長に会った時に、
このメーカーなら未来が創成出来ると直感しました。
理由は社長がApple Watchをしていたことでした。
Apple Watchの宣伝をしたいわけではありません。
すでに3段階目の進化にまでなってきたApple Watchが
すっかりと見いだしてしまっている情報時代、
それこそ今流行のIoTのその行く末がもう腕に取り巻いてきていることです。
私自身、今ではすっかり私なりに所有もしている高級高額時計は、
まったく着けなくなってきたのです。
そして、それこそ、パソコン、iPad、iPhone、こうしたことが、
Cloudで全てが連動連鎖していることです。
そして、私にはこのCloudでの連動さに
まだ多くの問題があるということです。

* 『ファッションも完全完璧な信用・信頼・安全・安心だ』
* 『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
* 『腕時計には本来、機能性の無いモノだった』
* 『iPhone6 plusの意味と意義とファッション価値
* 『スイスの時計業界のしたたかな強さについて』


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『硯箱を整理しながら・・・』


   


     10月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

硯箱を整理しています。
硯石も私の収集物の重大な一つですが、
そろそろ、いくつかに分けて使おうかということです。
これは自宅用ですが、硯や硯箱、文鎮や和紙刀は
江戸時代から使われてきたものであり、
手入れはどこまで出来るかですが、和紙刀は象牙製です。
和紙刀の素材で象牙は、
ワシントン条約で今は象牙素材を使用不可能です。
この硯箱はほとんど手紙用ですが、巻紙で書面をいただく人は
今では数人になってしまいました。
和紙は、雁皮、楮は越前和紙を自分用に発注出来ることは幸運なことです。
最近、和紙は三つの産地、それも 1300 年前の産地が選ばれたことには、
福井県選出の参議院議員と文科省の担当者から経緯を聞きました。
私は全く理解していません。
三つの産地に限定されたユネスコ認定は何か変です。
そういう意味では文化関連をユネスコが認定することは間違っています。
この硯はじめ文房四宝という文化が失われて逝くと同時に、
なぜ、ユネスコが遺跡や文化、さらにはデザイン都市まで認定するのかは
もはや時代遅れだと言わざるをえません。
さて、もう一度、硯箱に話をもどせば、手紙を毛筆で書面を作ること、
これはとても重大なことですから、
私は伝統工芸産地にはうるさく、特に若手を教条的に説得しています。
私はこの硯箱を手本にして、あと三つを自分使用に作り出したいのです。
一つは祖父の遺品の硯、硯石、水差しです。
また、もう今では作者もいなくなってしまった鳳足石の硯石です。
これは福井県小浜市の若狭塗りを支えた硯石であり、
鳳足石とは水戸光圀が名付けた赤系と青系の二種があります。
もう一つは、出張用というか、最も小さな硯箱がありますが、
これに最適な硯石を探しています。
書は、まさにカリグラフィーです。
つまり、文字を美しく書く行為ゆえに、この文化を日常化すること。
この大切さを護りぬくことで、硯石、硯箱、和紙刀、毛筆、水差しは
日本の文化、その根幹だと思っています。
それだけに和紙文化の中心であるユネスコの文化認定権は、
何か変だと私は思っています。
そして、文筆での書面手紙が再興してくれることを
心から願っています。


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「スピーカー企業の社長は学者であった」


   


     7月 15th, 2013  Posted 12:00 AM

私の愛車SL-500はBOSEのスピーカーです。
正直、BOSEのスピーカーはマニアにとってはやや・・・でした。
BOSE日本支社から、依頼がありました。
スタッフに言いました。
「BOSEのスピーカーは、やりたくないよ」って。
違いました。私への依頼は、
「日本にデザイナーなのに人工心臓をやっているらしい」、と。
日本支社長は阪大で医学系の教授たちとも会いたい、という依頼。
大阪大学附属病院の会議室で、ボーズ社の真実がプレゼンされ、
それは医療機器や振動抑制装置でした。
阪大はその装置導入にあたって、ボーズ氏来日講演を依頼。
しかし、彼の来日は高齢であり、スピーカーではないことを強調。
「彼はMITの学長候補を断り続けている」という話を伺いました。
スピーカーメーカーの利益は全て彼の研究資金であり、
万一、MIT学長になれば、その利益は大学に差し出すこと。
そのような話を聞き、スピーカーが世界的にヒットしたのは、
この日本であって、ボーズ=坊主のイメージ脱却の苦労話でした。
彼の教え子はすべて医療機器の研究者であり、
FDAの担当者は彼がリーダーだと教えられました。
やがて、そのスピーカーそのものも日本で生産されていました。
つい最近その生産を解消したことも知りました。
日本でボーズを成功させた社長も引退されましたが、
結局、その経営手腕はある大手の通信販売企業社長をしています。
それでも、私はボーズの超小型スピーカーをじっくり検証して、
当時、EIZOのたった400ccのエンクロージャーでの
f0を絶対に80MHzにする方法に苦しみました。
そこで、思い切って、ボーズ社の日本支社長に聞きました。
「本当は教えてあげられないけれど・・・」と言いながら、
そうなのか!、を知りました。
一度、米国に会いにいく約束を伝えてもらいました。
やはり、別れの時期が来るのです。
彼は逝きました。
参考になる超小型スピーカーをいただきました。
そのような出会いのあとにSL-500の音響は精度を上げました。
合掌。


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1月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 9th, 2012  Posted 10:00 AM

1月9日 先負(己巳)

したがって、
商品担当者自身の商品への愛着や感情が
まったく感じられないものが多かった。
いかにも機械的に、
サラリーマンとして仕事をこなしている。
デザイナーといっても、
それはデザインのような
仕事をしているサラリーマン、
という印象だけが残っている。

『プレゼンテーションの極意』「口説き」、それは三位一体


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