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Posts Tagged ‘指先の感覚’


『指先のアナログと指折ることのデジタル』


   


     12月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM

指先はとても正確で緻密な感覚が宿っています。
そして、その指を折り曲げる行為がいわゆるdigitalの原意になっています。
ともかく、指先の感覚ほど精細なことはないと思ってきました。
まず、自分がオーディオのデザインから出発したときに、徹底的に、
指先の感覚に覚え込ませたのは、オーディオ機器のアルミパネルと
オーディオ機器のツマミ表面のスピン加工でした。
続いては、木目やセメント、陶磁器、最近は絹織物などを
指先感覚にしました。
これがアナログの正確さだと確信しています。
この毛糸玉は、ピンク系がいわゆる高級手芸店の毛糸であり、
もう一方のブルー系毛糸玉が100円ショップの商品です。
そして、これらそれぞれの毛糸品質は明確に指先が判断してくれました。
結論を言ってしまえば、100円ショップの毛糸品質は、
その価格に見合った品質であり、手編みをしてみれば歴然と感覚が
二つの毛糸玉からの毛糸の繊維性を確実に指先に伝えてくれます。
この毛糸玉の感覚から、毛糸そのものの品質価値は明確です。
つまり、指先は折り曲げて数数えをするというデジタル性では限界、
このことがよくわかります。
指先が感じ取るアナログ感覚の実体験こそ、人間の感覚評価は、
デジタルでの限界をこの毛糸玉が見事に示してくれていると即判断できます。
指折ることのデジタル、指先の接触感覚がアナログ、
この明解さは毛糸それぞれの商品性の比較で明らかにすることが可能です。

* 『日本の子どもたち遊戯に未来の「物語り」があるようだ』
* 「指編みを思い出しながら」
* 「手芸のカラフルの整理された色彩に和む」
* 『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』


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『書く事のモノは最初から進化を続けている』


   


     12月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

先般、ブログなどを今も書いている人間は駄目とかいう文章があり、
私はこの人に喧嘩を売りました。
書くことは欠くことの原意に繋がり、書くことで欠落していることを
筆者は原知性を埋め込む修行だから大事だと反論をしました。
私にとって最も指先が鍛え抜かれてきたことは、書く・描く事です。
したがって、デザイナーになってこの40余年は、
ステッドラーの鉛筆、その書き心地では、タッチから用紙はじめ、
鉛筆はほとんど試してきたと自負しています。
だから、シャープペンシルには全く心惹かれてはいませんでした。
ところが、日本人はすごいと思っています。
しかも私自身、日本文具大賞の審査委員長もしていますから、
できる限りの文具、筆記具を詳細にプロの視点で試してきました。
そして、とうとう「折れないシャープペンシル」(下)の登場に、
私は大感動しています。
そして、欧州の中世時代、それこそレオナルド・ダ・ヴィンチも
使っていたと言われているメタルチップペンシル(中央)は、
鉛筆の源流とも言われ、ピニンファリーナでリ・デザインされたモノ
これはまだ発注中で手に入っていませんが、タッチは優れています。
結局私はようやく鉛筆からこのシャープペンシルが気に入りました。
それは、このシャープペンシルであれば、用紙・紙の品質までが
私の身体感覚と同次元になる感覚がやっと一致してきたと思います。
たとえば、一枚の用紙の上で、ペンシルを走らせれば、
私は高速性で、極細最小の線描画が、削り直すことなく折れない芯で
相当に描き込みが可能になってきたことです。
無論、メタルチップペンシルは中世以来、この描画が可能であり、
折れないシャープペンシルまで一つのサイクルに戻ったようです。
すでに指先の感覚を私はiPad描画まで連続させたいのです。
なぜなら、選び抜いた紙に書くため、描くための身体感覚は、
これまでの経験をiPad上にもスムーズに移行させたいのです。
それこそ、書く事・描く事は、私の創造性の欠落・欠く事を
埋め尽くす作業に他ならないからです。

「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
『あくまでも「素材」は木質で確かめる』
「iPad Stylusを使うと分かること」


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