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『資本主義からの逃走』
    「人権の自由度はアレオパジティカから語る」


   


     12月 12th, 2010  Posted 12:00 AM

二つの自由
人は自由であるかどうか自問します。
自分自身誰でも自分の自由さに敏感です。
人間の自由さは、次の二つが「人権」の根幹です。
       ● 身体的自由さ(生体の機能性)
       ● 精神的自由さ(表現の拘束性)
さて私は、車椅子生活を余儀なくされています。
よって、まず、身体的に不自由です。
この不自由さには耐え難きことであり、それを宿命と考えることで自分を納得させたり、
あるいはあきらめていることが多くあります。
よって、身障者の社会権としての人権は政治的な配慮によってのみ担保されているのです。
しかし、私などは正直、身障者であることを武器にすることもできます。
あるいは、人間は「差別性」を社会に仕組むことで、身分や財力や地位、
そして能力で平等性を離脱させることをほとんど謀議としていることは明白です。
このことを事例とすれば、如何に世間・世情は、「不自由」であること、
「生きている」ということは、「不自由さ」に充ち満ちているということを
認識する必要があると私は主張しておきます。
したがって、幸福・幸運という漢字「幸」という文字形象には、
人間が両手を縛られている「不自由さ」を表示しているのです。
人間は生まれながらにして「不自由」な存在だということになっています。
表現の自由・アレオパジティカ
したがって、身体的な自由さも精神的な自由さも、
その象徴、その具体性に「表現の自由」を取り決めてきました。
「アレオパジティカ」から、
この「表現の自由」が政治とどのように対決してきたかということを
思い起こさなければならないのです。
私は身障者ですが、「アレオパジティカ」ということから語れることが武器だと自負できます。


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