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「闇封印に手慣れたジャーナリズムこそ闇」


   


     8月 7th, 2011  Posted 12:00 AM

明るくなる寸前が「闇」です。
この観察原則に無知なる人。
そんな人がマスコミ世界を闊歩。
内村鑑三も「後世への遺物」では、
当時のこうした輩の実名を挙げています。
その頃のジャーナリストは「羽織ゴロ」でした。
今も変わらないと私は思い込んでいます。
結局彼らの言説・ある意味でのジャーナリズムは
皆目歴史に残ることはありません。
ジャーナリズムとは「日々の記録」が歴史記述化する前提です。
ということは、ジャーナリズムでもなく、
単なるゴシップ・スキャンダルを「闇」の中に、
押し込んでいるだけの情報化に過ぎません。
彼らはジャーナリストであることを自己否定しています。
さらに彼らは「闇」の本質を未確認しながら、
結局、「闇に葬られた」と平気で記述します。
なぜなら決まって彼らは「闇」を暴きながら、
「闇」に捕らわれて「闇」の中に吸い込まれるのです。
「闇」を表題にしている著作の氾濫に驚きます。
これらは決して信用すべき類いではありません。
特に大震災後の報道には「闇の中」とか、
「闇」という言葉が大流行しています。
これには二つの理由が奈辺にあるのだと思います。
国難の行方が不明ゆえに、現在が「闇」なのです。
ゆえに希望も明かりも見えません。
もう一つは、ジャーナリズムとして、
真実を見いだせない能力不足ゆえに不明=闇なのです。
今、私が「闇」と思えることは、
牛肉は政府が畜産農家を支援しながら、
他の農産物の放射能被害には何ら保証をしないこと。
しかし私はこれはすでにパロールである「闇」、
すなわち隠れ続けている日本の社会制度であり、
この「闇」世界と対決した経験があるだけに、
この闇などはすでに常套語であり私には闇ではありえません。
私たちはすでに常套語である社会的「闇」を黙認しています。
この黙認は明らかに社会悪でしょう。
これが私は問題だと考えています。
「闇」は夜明け前の一瞬だと考えて対峙することです。
ジャーナリズムそのものが「闇」集団であることを、
私は指摘しておきたいと思います。

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