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Posts Tagged ‘時代的’


7月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 23rd, 2023  Posted 12:00 AM

7月23日 大安(壬午)

デザインは時代的な、特に経済的な潮流と常に
共時性を持っているが、
デザイナー個人のなかでは、
まさしくデザイン史は
デザイナーの遺伝子のごとく、
それぞれのデザイナーの造形に大きく影響を
及ぼしているものだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』7モンドリアンへのオマージュ


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9月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 8th, 2021  Posted 12:00 AM

9月8日 先負(己未)

『異化としてのデザイン』

なぜなら、
異化作用がもっている
分解して
感得させるエネルギーは、
外界の時代的な代謝を
自己の心的構造に
適合させていくための
古典的な手法として、
デザインが
時代や社会に
同化することで
失ったことを
取り戻せるかも
しれない。

artificial heart:川崎和男展


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8月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 18th, 2020  Posted 12:00 AM

8月18日 仏滅(癸巳)

『位相としてのデザイン』

したがって、
現代、ようやくその鳥瞰的展望の中で、
ポストモダンに収束させようという試みや、
まったくその反語を喧伝するデザインも、
この透視図鑑上のデータになってしまう理由は、
この時代的位相、
あるいは社会的位相に
ある種の忠実さをデザインの整合性として
配置しようとし過ぎるからにほかならない。

artificial heart:川崎和男展


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6月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

6月27日 大安(乙未)

デザインは時代的な、特に経済的な潮流と常に
共時性を持っているが、
デザイナー個人のなかでは、
まさしくデザイン史は
デザイナーの遺伝子のごとく、
それぞれのデザイナーの造形に大きく影響を
及ぼしているものだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』7モンドリアンへのオマージュ


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『「造形言語」として工芸でのエンベリッシュ仕様の意図』


   


     4月 14th, 2019  Posted 12:00 AM

素材が金属である場合には性質として「塑性」と「展性」があります。
さらに、金属加工では「成形」・「切削」・「接合」が分類されます。
そして、金属加工には様々な加工方法=技が複雑化していくのです。
これは「鋳造」、鋳物という加工方法ですが、
金属の流体=金属の結晶を型から流し込み、成形します。
成形される以前に金属には接合される段階で、
素材に、デザイン意図が加わります。
それこそ「造形言語」で、デザイン意図をもって
新たな手法=技が、時代的にも加わるのです。
これは金沢美大・後輩の畠山耕治氏(現・教授)の工芸分野です。
彼は、世界各国で多くの個展を開催し評価を受けています。
私は、木工や陶磁器や、金属からプラスチックまで、
様々な素材対象にデザインしています。
それだけに鋳物という素材に、
新鮮なエンベリッシュを「造形言語」として作品をつくりだす
彼の技法は、新たな素材質感を変えていると私は魅了されています。


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『デザインとデコレーションの差別化は間違い』


   


     11月 11th, 2017  Posted 11:40 AM

私は思いついたらすぐにデザインをします。
そのほとんどにはクライアントはありません。
クライアントがあるからデザインというのは私には全く興味がありません。
だから、いつまで経ってもクライアントがあるという訳ではありませんが、
10年後、あるいは20年後に依頼があれば幸運なことです。
だから、作品集にはそれなりに掲載はしておきます。
先般も、あるクライアントから、この「時計実現していますか?」
「いいえ、全くです。」
「実現したらどうですか?」と。
しかし、それはもう無理だと判断しています。
なぜなら、これは盲人用の時計案でしたが、詳細な図面とモックアップまで、
確実にデザイン設計は終了。
けれども、EONEという素晴らしい触覚だけの腕時計が出現して、
(デザインが負けた)と思ったのです。
私のデザインでは、視覚的には液晶表示。
聴覚では、英語発声でした。
しかも、動作は二つ、視覚は表示窓の開閉、ボタンを押せば発声です。
しかも、「T」と「ト」はTimeと時計であり、同じ点字なのです。
今は、新しいディバイスは発明しています。
が、EONEというこの触覚時計は、世界のデザイン賞をほとんど受賞するほど、
デザイン成果・発明で、デザイン=問題解決がついていました。
最近、あるもう著名なクリエーターをTVでドキュメントを見て、
この人のデザインは勘違いしたデザイン造形だと評価していましたが、
なるほど、と納得しました。
それはデザインとデコレーションの区別がついていないこと。
デザインと機能がしっかりと差別されていることです。
したがって、センス不足を感じるのです。
なるほど、センスとデザインの適合性は難しいのです。
やがて、例えばロボットの進化では、
そんなロボットがあったというロボット史では残るでしょうが、
決してデザイン史でそのロボットは語られないと確信します。
私も生涯の限界が近づいていますから、
例えば、いくつかの審査委員長を次世代に任せたいので、
その選別を真剣にし始めています。
まず、盗作平然なデザイナーは排除します。
商品やデザイン成果では効能性だけで見ています。
それは「社会的・時代的な存在」が中心です。
そして性能は発明一点に絞ります。
効能性+性能性=機能性となりデコレーションという加飾性の限界を
しっかりと判断して、経済的な成果は美しさでの商品価値。
それは安全・安心・信用・信頼の統合が次の評価です。
デザイン審査の委員選定は私には明解です。
デザインの本質を知らない審査委員が余りに多過ぎます。

* 「モノの美しさにあるバランス性が決定要因」
* 『センスの有無が判断できる椅子と曲の選択』
* 『薔薇というシンボルから花言葉も消した問題解決』
* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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09月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 12th, 2017  Posted 12:00 AM

09月12日 仏滅(壬寅)

これまでの「機能主義」には、
時代的な変革の時が来た。
機能には機能より器能があると主張する。
それは機械には器械もあり、
すでに機器の時代だからである。

川崎和男の発想表現手法


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『日本文具大賞の「機能部門」と「デザイン部門」って?』


   


     7月 10th, 2016  Posted 12:00 AM

2016年・第25回「日本文具大賞」の発表と表彰式が行われました。
日本文具大賞はこの時期の大きな行事になっています。
今年も審査委員長として概評と審査基準や文具業界へのお願いをしました。
年毎に応募は増え、今回はwebsiteで事前調査を各審査委員がすませて、
その後、現物審査をしました。
これはまず個々人の主観性で評価され、
それが、審査会ではぶつかり合って客観性に変わります。
つまり、デザインにとって最大に重要な客観的な評価が成立します。
この審査は二つの部門があります。
「機能部門」は、
常にデザインと言えば「機能的が美しい」という常套句がありますが
これをもっと広範囲でとらえ直しています。
性能=モノの性質の能力と、
効能=モノが社会的・時代的に存在している意義や効用と効果が問われ、
結果、性能と効能の可能性が文明的な史観で
「機能性」という可能性になるのです。
「デザイン部門」は、
機能性にさらに美学性が将来性を持っているか、までが問われるのです。
簡単に言い切ってしまえば性能性という誠実さと効能性という信頼性が
社会的に存在を許容しているかどうかまでが確かめられているのです。
特に「グランプリ賞品」には、
誠実さと信頼性に美しさという倫理観が適合していく未来性を
求められているということです。
本賞の商品は、毎年必ず大ヒットになることは間違いありません。
そしてこの審査会が
「各商品や各メーカー事情を詳しく組み込んで評価している!」
という理由から、審査会自体が褒められることがあります。
これは審査委員会の伝統的な誇りであり自慢だと思います。
賞品市価は200円から2000円、高くても5000円のモノですが、
わが国の「文具は世界一」であることを今年度も再確認できました。
ただし、今回は各社のwebsiteを見ましたが、
残念ながら、websiteには
企業各社の特色ある美しくてインターラクションが
より必要であることを付け加えて述べました。

*『日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき』
*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
*『『第22回日本文具大賞』を発表しました』
*『アートからの革新=フォンタナの作品から』


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『不細工なモノは不細工である』


   


     1月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

僕が小学校4年生だった頃でした。
父から男はたわしで体を洗うべきだと言われて、
痛いのを我慢して洗っていた時期がそれこそ成人になってもでした。
ところが、それは皮膚を傷つけていると言われて辞めました。
しかし、父の皮膚は痛んでおらず、79歳で逝きましたが、
70代になっても、まだ50歳後半に見られると言っていました。
そんなこともあって、どうも束子の形態をドーナツ=トーラスにしたい、
その思いを海南市で、
海南の国際コンペの審査委員の頃、提案ができました。
いわゆる地場産業にも加わり、スポンジの素材形態を変えたり、
これ幸いとして、束子もドーナツ状の製品開発をしました。
確かに、当時は「RON」というブランドまでも開発して
その試作をしました。
が、つい最近、
シュロでそれも脱色した「ソックリ」が店頭にあってびっくりしました。
これを模倣だ、コピーだ、
やがては盗作だとかと言うことはすでに無理です。
なぜなら試作・製品開発発表しかしていません。
RONの他シリーズはデザイン賞を受賞しています。
先般も、僕のApple社提案モデルが
あるメーカーから商品発表になったときに、
「不細工」と所感を書いたら、僕がもの凄い非難を受けました。
著作権は、当然、すでに僕の作品集に図面があるわけですから、
現在は、デザイナーの盗作問題がトピックスどころか、
デザイン界の大問題になってきています。
非難する連中には、
 ともかく大問題になってほしい=事件興味だけ
 明らかに盗作だ=知り尽くしている人々
 いや、川崎が笑い飛ばせばそれでいい=私非難、などなどですが、
僕が「不細工」といっているのは、
現実にデザイン実現した企業デザイン部門が
「MindTop」を知っていれば、もっと確かな実現ができたでしょう。
ともかく、物真似、模倣、ついには盗作ということが
SNSなどで「本質を見失う面白さと不気味さと怖さ」の問題です。
明らかに盗作には、
これも倫理上の問題から知財権という法的制度問題が重要なことです。
翻って、この束子などは、僕が提示したときには、
試作は出来ても生産的には無理だと説明を受け納得していました。
工業デザインには、提示が時代的に早すぎたり、
MindTopはもっと重層化された複雑な問題、人種問題も当時はありました。
商業的な困難さもありますから商品化されないことなど一杯あります。
例えば、生産のシステム機械などは、メーカー依頼で商品化しても、
売り先では、それを元に決して一般人には目に触れないから、
それこそソックリどころか盗作など平然とやられています。
僕がグランプリ受賞しても、ある業界では平然と真似られるどころか、
ほとんど盗作だらけの世界もあるわけです。
せめて、オリジナルをやったデザイナーが、
真似られたモノを「不細工」というのは当然です。
そういう意味では僕自身、知恵不足だと笑い飛ばしていますが、
グローバル市場では国際問題化されることが出現してきましたから、
「ハーグ協定」がやっと始動してきているのです。


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『資本主義からの逃走』
 「商品・売ることと、買うことについて」


   


     3月 7th, 2010  Posted 2:21 PM

売る

もう一度確認しておきましょう。
商人は、「売る」ということが商いの基盤だったのです。
そこで次のようなことも考えられます。
たとえば、「国を売る」=これを売国奴と言います。
これほど相手の人間性を罵る言葉はありません。
「友を売る」という言い方もあります。
これは友人を裏切るという意味合いです。
いづれにしても「売る」というイメージには、
悪い印象がつきまとうことになります。
西洋でも、「ユダヤの商法」と言われるように、
ユダヤ人が「商売」に長けていることから、
基本的には、
ユダヤ人に対しても、
「ユダヤの商法」にはどこか不信感がつきまとっていて、
「売る」という行為にはその侮蔑感が残っています。

買う

ところが反対に、「買う」という言葉には、
良いイメージがあります。
「あの人物を買う」とか、
「才能を買う」という具合に、
「買う」ということの正当性が強調されているのです。
あらためて、「売買」ということの関係性を歴史の系譜、
時代的に、社会的に、
見直しておく「売買」関係のヒントでしょう。
「売る商品」とか「売れる商品」という言い方があります。
これは「買う」対象、
すなわち「買う」価値というのが、
どれだけ「商品」に備わっているか、
ということになります。 
これは、「商品計画」につながっていきます。 

「製品」と「商品」

さて、こうして「商品」という言葉が、
古代中国・殷=商の時代から綿々と使われてきたこと、
その奥深さ知っておく必要があるのです。
そうすれば、「商品」や「商売」の根本を、
歴史から再認識できるはずだと私は思っています。
これで、「製品」と「商品」には、
大きな違い、差異性があることは、
十分に理解していただけたのではないでしょうか。
「製品デザイン」と「商品デザイン」の
隔たりを確認してください。


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