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Posts Tagged ‘書’


『気障と美とデザイン』


   


     11月 15th, 2019  Posted 12:00 AM

私はデザイナーであり、常に思っているのが「デザイン」と「美」です。
「真善美」の中で、私が選んだのは「美」でしたが、
気障に見えるかもしれませんが、毎日「美」をともかく見ているのです。
私が音楽か美術に進みたいと言った時に、
「あなたはそっちが向いている」と母が後押ししてくれました。
そして美大進学のお祝いに「気障に生きなさい」と
指輪とブレスレットを買ってくれました。
また、書もそれこそ一流の禅寺で、
高校時代に自分から申し出て特訓しました。
この書は空海の寄せ集められた「般若心経」です。
そして、なにかにつけて、この書を見ます。
日々様々な物事があり、汚れやわだかまりなど
純粋な美だけを追求できなくなりますから、
心を空っぽにしてこの書を見たり、読んだり、書くことで知恵を授かり、
「美」を感じ取れる私自身となり、デザイン活動に戻れます。
時々の再起動を要します。
ともかく、「美」とは何か形あるものでは無くて、
この書の思い、考えを巡らせます。
それが、「美」に向かってきたことを確信できます


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『綺麗な文字は、「書く」と「描く」は一緒のこと』


   


     11月 9th, 2019  Posted 12:00 AM

今では、警察官は米国式の警察カードです。
父が現役の頃は、警察手帳であり、
警察手帳には父のとても綺麗な文字が書き込まれていました。
「書は人なり」「書は心の画である」と、
絶対に綺麗な文字でなければと、私も叱られました。
仕事場でも、調書をとるときなどでも、
しっかりと漢字が書けないといけないので、
警察署内でも父が試験をしていました。
私が交通事故での調書があまりに汚く、随分と怒りました。
そのため、当然私は、ノートはすべからく美しい文字でなければいけなく、
それが、「勉強する」ということでした。
さらに、美大進学でしたから、「書く」と「描く」は一緒のことであり、
「書く」と「描く」は、大学入試の基本だと、今は私は思っています。
埼玉県の小学校で実施されている書写での
美文字訓練のことを知っていますか。
そこで採用されている「10 B 筆鉛筆」を使っています。
さて、これらはレプリカであり、米国内で使ったら犯罪らしいのです。
アメリカ連邦捜査官、CIA、FBIなのです。
「バッジだけかと思っていたら、また、そういうのよく見つけるね」、と
ワイフに言われました。


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『書にも流行学があるようであることが分かっている』


   


     5月 27th, 2019  Posted 12:00 AM

最近は、筆跡はどういうわけか「筆ペン」、
それも開明でなけでければ満足できません。
おそらく、筆ペンのカートリッジも種類はありますが、決めています。
いくつかの筆ペンのカートリッジは2〜3種類に絞られますが、
しかし、なんと言っても、筆ペンでの筆跡が開明筆ペンはいいのです。
筆には流行があり、自分の使い勝手も時に応じて、文具を選択しています。
流行というと、「面相筆」にも流行があると私は判断しています。
それこそ、「流行学」というのはファッションの世界ではなくて、
疾病にこそ、流行学の基礎があります。
ようやく私にも「写経」というのが少しは分かってきました。
なんといっても「写経」には、空海が並外れて凄いこと、
それが私の「書」で掴んだ大きな、それも美学の一つです。
自分では決心していることなのですが、
なかなか、毎日原稿をと思いながらも書き上げることが出来ません。
それには、いい文具が手助けとなりますから、
私には、筆ペンと面相がとても一致しているのです。


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『書き初めは書、アナログもデジタルも』


   


     1月 21st, 2019  Posted 12:00 AM

今年の書き初めとなりました。
近年は、年初のご挨拶は配信しています。
書は、最近はiPadとApple Pencilで書き込んでいるので
「亥」を何度か練習して
そのまま動画を撮って編集したものを使いました。
書体だけでなく筆運び、筆さばきも,
「亥」の躍動感を送りたかったんです。
頂いた年賀状に対して、配信が届かなかった方には
E-MailやFacebookで返事を書いています。
そして全くのアナログ派の方には、
筆で「寒中見舞い申しあげます」です。
もちろんデジタルもアナログも、
書き物は、すべてマスターしようとしています。
私は「書く」、「描く」はアナログであれ、デジタルであれ、
取り組む経過と、見た目の完成形を
徹底的にまともにしたいと思っています。
そして結果、アナログの鍛錬が不足しがちとなっていて、
もし父が生きていたら、叱られるだろうと思う
仕上がりになってしまいました。
なんとか、朱印と白印で都合をつけていますが。
本当のところ、草書で描きたいと思っていますが、
もうほとんど読めないから伝わらないでしょう。
草書を見ているだけでも、「ことば」って、本当の素晴らしい。
だから日本人で良かったと思います。
デジタルで書を書いて編集しているときは、
訓練とか作業という意識が高くなるのですが、
アナログで向き合うときは、
気持ち、心の運びの意識が高まるものです。

『あけましておめでとうございます。古希・70歳


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『白川静先生(福井)と藤堂明保先生の漢字語源に興味』


   


     1月 8th, 2019  Posted 12:00 AM

小学生の頃、漢字についての講演を2度も講演を聴きました。
この講演が漢字への、つきない興味の起源となっています。
私は、父親の転勤に合わせ転校をしていて、
福井市の足羽小学校と、越前市(元・武生市)の西小学校に通いました。
このどちらの小学校でも、
漢字の語源学者である藤堂明保氏の講演会が開かれました。
あとになって分かったのは、
藤堂明保氏と、福井市出身の白川静氏は、論争対決をしていたのです。
白川氏は、福井県が生んだゆかりの人です。
どういう経緯かはわかりませんが、
藤堂明保氏は福井県内の小学校からの依頼で講演を行い
子ども達に漢字への興味を抱かせてくれました。
また、漢字は書として父から学びました。
「月」でも大きくは二つの書き方、止めや払いの違いを教わりながら
書に取り組みました。
今も漢字への取り組みは変わりなく、
藤堂氏の漢字語源字典と白川氏の字統、その見解を両方見比べています。
二人とも共通の解釈もあるのですが、
たとえば「口」などは異なる見解で争っています。
漢字の語源は、藤堂氏と白川氏から、その後の展開はしていないようです。
私は、漢字の象形文字から会意文字、指事文字、形声文字などには、
日本人として誇りがありますし、素晴らしい文字展開です。
一字一字、大切に扱いたいと思います。


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『一番小さな「書道具」にも商は越前和紙風が売られてる』


   


     11月 28th, 2018  Posted 12:00 AM

「書道」とは絶対に言わないこと、を
吉峰寺管長が私に高校時代の頃言われてきました。
「書」と呼べ、ということを学んできました。「道」は命をかける。
だから、書とは「欠落していること」を書くこと。
ところが今になって考えて見ると、書くという行為は、
「描く」こと、さらには「画」にも、
デザイナーゆえに「欠くこと」に私は繋がっています。
そしてそういえばこの写真は、
私には一番小さな書道具だということになります。
だから、北京の書道具産地に行って、墨を見たいと思っています。
それこそ、これが一番という水彩具と同じ大きさです。
書と水彩具は、直に手に入るという所に置いています。
そろそろ、毎日のように書と画を、私独自にやりたいと思っているのです。
ともかく、越前和紙で一番の親方が名を残そうと思っていませんので、
私は電話で「なぜ、名を残そうと思わないんだ?」って言っているのです。
本当に紙パルプが混在している和風「風」紙が高額でびっくりしています。
これなら、「半草」=紙パルプ入りが、伝統工芸を潰しています。
商売はそんなモノではありません。
本当のモノを「商」=あきないで、やってほしいと望んでいます。


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『日本語には漢字・ひらがな・カタカナがある』


   


     10月 23rd, 2018  Posted 12:00 AM

今年はこれで3度目の入院をし、ICD=除細動器を埋め込みました。
そして、ようやくこのブログを再開します。
テーマは「書」の書き取りであり、私は日本語について
「書」を通してその表現を考えています。
というのは日本語には、漢字・ひらがな・カタカナ、
この3種の文字があります。
これを絶対に取り上げたいと思っていました。
文字はその国の文化を表現する大事なことであり、
この3種、漢字・ひらがな・カタカナがあるということで、
とても表現には幅があります。
そして、ひらがなについては、まず最初に、懸命に学んでいます。
実際にはこれで手紙を書くと、かなり古語であるひらがなは大変です。
しかし、本当のひらがなには美しい文字がいっぱいあります。
が、相当に現代ひらがながあるのです。
それでも古語であるひらがなにはとても綺麗な文字があります。
そうやって私自身の手紙は私なりのひらがなになっています。
なんと言っても私が使うひらがなには私なりの工夫があります。
やがて私のひらがな辞典が必要かもしれません。
後生に残ることを意識していますから。
最近とても驚いているのは、デザイナーの太刀川氏と、
「日本デザイナー書道倶楽部」がこれほど大きくなるとは、なんです。
50名で小さな展覧会でもと思っていましたが、
今ではFacebookで170名も増えてきました。最近は中国人も増えてきました。
「決してこれは達筆とはゆえないこと」をもモットーにしてきましたが、
なかなかの習作もあります。
だから私にとっては、日本という文化を表す、
漢字・ひらがな・カタカナがあります。
私はこれを表現していきたいと思っています。


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『どうしても万年筆と達筆を求める』


   


     1月 5th, 2018  Posted 1:51 AM

私のブログではとても筆記具が登場してきました。
そんなこともあって、昨年末に最も使ってきたこの3本を紹介、
そう決めていたのです。それには理由があります。
まず、左2本は雑誌取材のお礼に、それぞれのメーカー最新で欲しいモノ。
それを伝えたらいただくことが出来たのです。
右の白は、このメーカーなら当然あってしかるべきが無くて、
もう100本以上もある万年筆に加えるべきか迷いながらも、
どうしても、これまでのシリーズではやれなかった「白表現」が見たくて、
これがその理由でした。
最近、世界的にも万年筆の新製品は一時、10年前に比べると、
相当に商品開発ができてきていないと判断しています。
二つの理由が考えられます。
それはデジタルでのメモが相当に増えてきたこと。
もうひとつは筆記具での自筆表現での達筆という人間がかなり減少なのです。
私のある基準には、達筆を求めます。
文字は和文であれ欧文であれ、絶対に上手いこと、
それは「美しい文字 」が自筆であることです。
これを私は書にも強く求めているのです。
無論、達筆が必要条件と言っていませんが、
達筆という十分条件は、子どもの頃から私は父、祖父に求められてきました。
また、メガネのデザインでの素材では万年筆との関係を見てきましたが、
最近は万年筆の技術進化も停滞していてメガネと万年筆は遊離しています。
今年は、おおよそ20本を月毎に変えて使おうと考えています。
いづれ、この私の万年筆コレクションには大きな理由があったこと、
それをデザインのために書き残したいと思っています。
自分デザインの万年筆?
これには正直、万年筆のインクとペン先にまだアイディアはありません。


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『「北」という書に宗教法人の商売根性は許容できない』


   


     12月 24th, 2017  Posted 12:00 AM

「北」という漢字に、私は至極こだわってきました。
単純に言い切れば、「北陸」と「北海道」それぞれの「北」には
大きな違いがあると見分けていたのです。
「北海道」は東西南北の磁針盤的な「北」です。
ところが、まして「北陸」出身の私にとっての「北」は、
背中向き、いわば対立を象形化した漢字です。
「方面の武士」という表現が極めて意味を持っていると判断しています。
つまり、万が一があれば、いつでも対決を辞さないガードマン的存在。
「北陸」は常に、いつでも北面の武士のごとく、それこそ一向一揆の国です。
さて、すでに歳末の風物詩となっている、
今年を表す漢字、一文字は「北」でした。
それは「北朝鮮からのミサイル威嚇、その連続」に、
私たちは戦争への恐怖心を具体的に実感させられてきたのです。
私自身も自分の生涯に戦争にまさか巻き込まれない、
その考え方は破壊されましたから、武器から戦闘機や軍艦の現在を
真剣に、元来は趣味でもあるのですが自分の講演で話したこともあります。
その威嚇は日韓米に向けられた独裁政権としては、
私なりには原爆や水爆、あるいは生物兵器こそ、
国家防衛の当然の戦術だと認めることが出来ます。
しかし、唯一の被爆国家である日本にとっては、
絶対に戦争無き世界平和観こそ地球の最も知的人間社会は否定されました。
「宿痾」という言葉を紹介することがあります。
これは、「難問」・アポリアであり、人間界がどうしても平和否定論なのです。
北朝鮮は、朝鮮半島では北に位置しますが、
さらに、世界に背を向けた威嚇を独裁国家として強めています。
わが日本は敗戦によって、専守防衛をのみを行うことから、
「拉致被害者」を救い出すにも自らの攻撃は全く出来ません。
よって、今年は「北」が選ばれました。
しかし、私はこの風習さえ実際は商標権が成立し、
この書は実に「下手」だと思いました。
宗教法人ゆえに無税であること、商標権取得済みなどをみると、
京都の坊さんの商売根性があり、脂ぎった顔つきなどから、
「宗教」の品格無しと思っています。

* 「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』
* 『諦め:自己防衛は不可能になってきた大不安』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 「同胞を救出せよ=わが国の最大的政治問題である」


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『デジタルスケッチを学ぶためには書の世界から』


   


     10月 15th, 2017  Posted 11:45 PM

あなたにとって何が美しいですか?、ともし尋ねられたら、
ここ2年ほどは空海の般若心経で、空海の書から編集された名筆集、
これをあげることにしています。
書く・描くという行為を私は職能にしてきました。
だから鉛筆から毛筆までは常に自分には修行のごとく取り組んできました。
それは私の生涯にとってとても幸運なことであったと思っています。
鉛筆、ボールペン、万年筆などは、私がよく言うのは、
ペン先は指を傷つけるほど硬いことです。
ところが毛筆は、指先には心地よいほど柔らかいのです。
幸いにして美大では鉛筆デッサンからあらゆる筆記具と対峙してきました。
それでもやはり書の世界観は、私自身が望んで永平寺第一道場:吉峰寺で、
中学・高校と学ぶことができたのです。だから、
これは私の手先指先の運動神経は鍛えられていると確信しています。
そして最近、私はデジタルスケッチも徹底して訓練してきました。
ところが、iOS11になって、私が最も訓練してきたSketchbook Expressが
もはや使えなくなってしまいました。
しかし今、もうや通常となっているSketchbook Proの訓練をしています。
そのためには、Apple Pencilに慣れなければと思って、
このトレーニングには、書の訓練が私は最適だと推薦もしているのです。
結局私は自分の最も持ちやすいApple Pencilにカバーを使っています。
それは毛筆ではそれこそ面相や矢立での筆の細さまで慣れていますが、
最も万年筆の太さで最適な経14mm、これに適合しています。
今しばらく時間はかかるかも知れませんが、年内にはプロとして、
さらにデザイナー教育者としても
紹介し手本になりたいと自分に言い聞かせています。
ともかく、理由は簡単なのです。それは空海の筆跡を学びとり、
それをデザインスケッチ、それもデジタルスケッチにしたいということです。
結局、自分にとって主観的にも客観的にも「美しい」ことは、
デザイナーあらば身体化することだともっと断言したいからです。

* 『美しい運筆を体現すれば美しさがわかりそうだ』
* 『書そして運筆なら空海がお手本になる』
* 『運筆練習に最適な学習ノートの充実ぶりに感嘆』
* 『私のデジタルアイディアスケッチとスタイラス』
* 『デジタル表現の基礎は、烏口や用紙感覚も必要』


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