kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘有無’


08月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 30th, 2017  Posted 4:00 AM

08月30日 先負(己丑)

臭いデザインとは、センス無し。
香りあるデザインは、センス有り。
しかし、センスの有無が分からない、
天性として、センスまるで無いことだ。
ところが,
デザインと言って、
センス有りを装う。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

04月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

04月10日 仏滅(丁卯)

軽薄であろうが
重厚であろうが、
知識と経験を超えること、
この本質的な意義と意味を
徹底的に知るという
「想像力」の有無が必要である。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

01月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 31st, 2017  Posted 12:00 AM

01月31日 仏滅(戊午)

個性は想像力の運動力
感性は想像力の大きさ

想像力で個性が決まる
想像力で感性の有無がわかる。

よって、
想像力の無い人間は
犯罪者になるものだ。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

01月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 13th, 2017  Posted 12:00 AM

01月13日 先負(庚子)

想像力が全ての人にある、
これは思い込みである。
想像力が皆無であれば、
これは罪人である。

まして想像力の有無が
創造力を決定している。

川崎和男の発想表現手法


目次を見る

『動物実験の詳細:深紫外線の消毒機器デザインで』


   


     8月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

大腸菌は基本的には無害ですが、雑菌(こういう名前はありえない)です。
しかし、最近はO157などは大変な病原菌になっています。
大腸菌が河川や海などの環境汚染の指標菌になっていることからも
検査の指標菌であり、
一般的にはこの菌への影響力は基本的な菌存在の有無です。
まず、深紫外線での菌繁殖性を完全に食い止めることを指標にしました。
それから創傷直径8mmφをラット36匹を4つのグループに分けて、
 ● 創傷のまま:コントロール
 ● 検査用消毒薬を塗布
 ● 深紫外線 UVC256nm
 ● 深紫外線と消毒薬を同時塗布
これは動物実験の阪大専門の検査機関によるものを学び指導を受けました。
実に心配だったことは、毎日朝夕に結果を知らせてもらう2週間でした。
いきなり、4日目には深紫外線がすでに治癒が始まったとの知らせでした。
研究室では大きな期待が膨らみました。
フォトニクスセンターの回答は「えっ、デザイナーが」でした。
デザインはとても軽く見なされていると自分には怒りがありました。
デザインの実務は問題解決であり、阪大には腸チフスを発見した先人、
福井県同郷の学者・藤野恒三郎氏がいました。
彼は阪大の微生物研究所初代所長であり適塾での使用品コレクターでした。
彼は橋本左内を受け継いだ阪大の名誉教授でした。
ふるさと福井にも知られていませんが彼の著作は近代外科史の代表作です。
自分はデザイナーながら、この動物実験結果で、
深紫外線の表面だけの殺菌効果の推移を見詰め直していました。
結果、2週間後に全てのラット、その創傷は完全治癒しました。
しかし、具体的には、深紫外線と消毒薬の同時塗布、
ほどんど同様な治癒が深紫外線でした。
消毒薬とスタンダードである自然放置が明らかになりました。
ただし、これは表面とその表皮の顕微鏡写真で明白になり、
デザインからの論文は提出学会選びになっています。
同様にデザインは日本デザイン保護協会届けによって、
知財権:工業意匠権を確保したのです。

* 『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
* 「安易な包丁デザインは絶対しない」
* 『倫理観の原点、その詳細の要点を語り継ぐ』
* 「『医の知の未来』適塾175年・緒方洪庵没後150年=大阪大学」
* 「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在」
* 「ふるさと偉人の「ち」の系譜を再興したい」


目次を見る

『資本主義からの逃走』
「Business Modelの義は善であり、美に包まれている」


   


     4月 6th, 2010  Posted 12:01 AM


「義務」あってこそ、人は「権利」があります。
「権利」が前面となっているのは現代日本の病です。
「義とは宜しきなり」(礼記)という原意性がありますが、
羊を犠牲として神の供え物とし、
その祭壇を善としていたという文脈に「美」がありました。
つまり、美は義と善を包み込んでいる言葉です。
さて、私は、Business Model が破綻しているのは、
社会還元という義務放棄が起こってしまっていることだと思っています。
収益構造の中での利益獲得は、
すべからく「独占」する権利を前面としている、
その結果がBusiness Model を破綻している最大の理由です。

義務なくして、
経営仮説と収益構造による企業の「社会的な存在」権利は失うのです。
そこで、私は下記のように、「経営仮説」に知財権を配置し、
その知財権は最も権利主張が弱いと言われがちな意匠権、
その意匠権こそ「美学性+倫理性」=美(義+善)なのです。
意匠権=美学性+倫理性
そして、これまでは「経営仮説」が「収益構造」という図式を
次のように変換するべきだと考えてきました。
それは知財権に意匠権=美学性+倫理性を「経営仮説」とするなら、
その背景としての基盤上には、「収益構造」を仮説化します。
その上に、はじめて「経営仮説」を載せる戦略です。
しかも、これまでは「経営仮説」に知財権の有無によって、
知財権は収益構造に直結していることが慣習であったと思います。
そして、利益獲得のサイクルを二重化できないか、と考えました。
それは、純利益のサイクルと経常利益のサイクルです。
それぞれのサイクル性が、収益構造を取り囲むことで、
企業体の体力と体質をガードできないだろうかということです。
このサイクルは、必ず義務である美学=美と倫理=善を駆動させます。
それは、明らかに、Business Modelではなくて、
designの理想主義を持ち込みます。
Designには、その本質において必ず「美学性+倫理性」は、
全体価値として付与されます。


おそらくこれまでの「経営仮説」において、
Designの価値感は、付加価値となってきたことは否めません。
よって、この経営仮説よりも、
収益価値の付加価値にDesignが置かれていたことが予想されます。
次段階においては、次の二つを論理図式化していくことで、
Business ModelをDesignで強化する手法が見えてくると考えています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「# チュッパチャプス武器論・結論という展開へ #5」


   


     3月 24th, 2010  Posted 12:01 AM


たかが、されどチュッパチャプス

たかだか飴ごときモノに私は囚われました。
自宅のあちこちに置いています。研究室にもです。
出張の時は「忘れないモノ」の一つです。
それは、されど飴なのに「チュッパチャプス」は武器。
武器になる飴=モノだと発見したことから始まりました。
さて、
武器は、ツールでありメディアなのです。
そして武器は、平和装置になるモノです。
威嚇性や抑止性というある種恐怖感への刺激装置です。
ところが、現代のモノには、根底では恐怖感があります。
私の生活はなるほど快適ではあるけれど、
これが地球的規模では大丈夫だろうか、などというのは、
恐怖感があると言うのは言い過ぎでしょうか。
すなわち、モノの、
実在性・機能性・構造性・象徴性 が変革し始めています。
たかだか飴です。
それが、ツールになったりメディアになったり、武器です。
結論は、
ツール+メディア=武器がもし成立するなら、
● 武器ーツール=メディアが成立するのでしょうか?
● 武器ーメディア=ツールが成立するのでしょうか?
という今後への展開を思考していく新たな問題です。
私は、「チュッパチャプス」を題材にしながら、
実在性・機能性・構造性・象徴性が
性能性・機能性・効能性・神話性へ
ツールであれ、メディアであれ、意味性=情報性が
大きく変貌しているということは確かです。
そして、この変貌への展開文脈=contextとsyntaxは、
「武器」の定義性では次の両面において
自己防衛モノもしく専守防衛モノということの論理の有無です。
それは実存化させている論理の再確認でした。
武器であることの実存性ということを結論と考えています。
武器=ツール+メディア、
その形式と内容が情報化されればされるほど変容は起こります。
それは存在していることの意味性の確認と、
今後への予測を明確にしないかぎり、
モノのデザインは不可能だということになります。
たかが「チュッパチャプス」でしたが、
武器・ツール・メディア、それぞれに、
されど「チュッパチャプス」を論理で舐め舐めしてください。
この「チュッパチャプス武器論」が、
デザインの下敷きになることを希望しています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
「製品要素としての新素材開発で性能性を高度化する」


   


     3月 1st, 2010  Posted 10:00 AM

新素材開発
「新素材開発」、これはデザイナーにとって、
いや、私にとっては最も興奮するテーマです。
ところが、デザイナーが「素材開発」に参画するため、
素材への科学的、特に化学的な知識へ近づくことは、
ほとんど不可能だと言ってもいいでしょう。
したがって、それこそ無知識なままに、
頼るのは、こんな素材だったら、こんな形態や、性能で、
どれほどのことが可能になるかを感覚、野生、野性という
ほとんど直感を働かせるだけです。
原始的には、軽い・薄い・頑丈とかから始めます。
やがてどの程度という度・量・衡の世界観を提示します。
そして、それを実現してくれるエンジニアに出会うと、
もうそれは神様です。
神様が与えてくれた贈り物です。
M
MaterialはMotherやMedicineやMusicなどと
共通の「M」という文字を持っています。
母や海=生むや振動を表すヒエログラフ=象形文字です。
だから素材=Materialからのデザイン発想は重要です。
素材は製品要素として「性能性」そのものの母体です。
私のデザイン手続きには、常に、第一段階が素材開発、
無理なら、素材選択と素材選別が最重要課題です。
ところが、これまでのようには新素材、
とりわけ、化学的な合成で産まれた素材は、
「常に懸念はないか?」という問題意識が不可欠です。
環境ホルモンの問題、
エコロジーの問題、
リサイクル性の有無や
廃棄後の安全性と安心性をどこまでも想像力で、
「おもいやる」必要性があります。
佇んで考え込みながらも、やはり、新素材の開発は、
デザイナーにとって、わくわくするテーマです。
2000層のフィルムで、現状素材の様々なテクスチャを再現、
しかも、静電タッチから荷重センサー、圧電素子、
さらに、化学的にはまだまだ困難なボロンまでが、
今、私の野生を突き動かしています。


目次を見る