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『タケフナイフビレッジ、恩人を見送った。』


   


     12月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

越前市(元・武生市(国府))には、紫式部がいました。
彼女の父親が国司であったためですが、京に帰りたいという、
その切なさの歌しか遺さないのに銅像があるのです。
武生市で私は小学校5年から中学2年まで過ごしましたので、
かつてNHKの「ようこそ先輩」は武生西小学校で収録放映しました。
当時、父は警察大学校を出ると、市警察の刑事課長をしていました。
家に帰らない父には着替えをよく持って行っていましたが、
必ず、警察の隣に市の工業試験場があり、私は立ち寄りました。
ちなみに、武生市工業試験場は日本でも最初の工業試験場の一つで、
今はどこでも工業技術センターと呼ばれています。
その試験場の木工場の木っ端をくすねいて(無許可でいただき)、
それで、モーター付きの潜水艦や自動車模型を造っていました。
当然のこと、木っ端を黙っていただくのですから、
試験場の若い職員さんには何度も怒鳴られて逃げていました。
やがて、福井に車イスで帰っていた私は、武生市工業試験場に、
木工でコンペ用の模型制作依頼に行きました。
しばらくして、試験場長と次長が来宅されて、越前打刃物の窮状を
思い切り知らされて、武生市打刃物工業組合の若者たちと出逢い、
彼らにデザインを導入して、タケフナイフビレッジを創りました。
あるとき、その次長(後に場長)と話をしていたとき、
彼こそ、木っ端をくすねる私を怒鳴っていた人でした。
すでに30余年経ち、彼が病気で寝込んでいましたから、
逢いたくても会えなくなっていましたが、彼が一昨夜逝きました。
すでにタケフナイフビレッジの第二世代は彼を知りません。
彼の霊前には、タケフナイフビレッジ最初の展覧会案内が飾られたと
聞き、とてもやるせない去らぬ別れになりました。
今年は創立のメンバーでナイフ作家にまで成った同志が逝きました。
小学生の私を怒鳴ってくれた彼がデザイナーになった私に、
越前打刃物の窮状を語り、メンバーに逢わせてもらったからこそ、
私はタケフナイフビレッジを率いることができたのです。
私は第2世代を鍛えて、この産地を残したいと彼に伝えています。

『 ひとりの親方が逝った・・・ 』
『伝統工芸産地第二世代の新製品テーマ』
『30年前のデザインを伝統工芸産地で商品化して今なお・・・』


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