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Posts Tagged ‘未来づくり’


『公立も国立も二つの名誉教授ゆえ少子化の制度』


   


     10月 31st, 2019  Posted 12:00 AM

デザイナーとしての実務を重ね、48才から大学人になりました。
大学人として、名古屋市立大学と大阪大学の名誉教授、
つまり公立大学法人と国立大学法人に在籍し
その称号を授与していただくのは
なかなかないことで、その評価を有難く思っています。
スタートした名古屋市立大学から大阪大学へと移籍し、
様々な研究プロジェクトに取り組み、教え子を育てました。
公立大学は総務省+文科省であり国立大学は文科省の管轄です。
名古屋市立大学教授としては市の職員として、
市の公務員対象のデザイン教育講座を受け持つこともありましたし、
市政の未来づくりへの会議にも参画していました。
また当時は大学院レベルで、
名古屋市立大学と名古屋大学の単位互換を
デザインとロボット研究の講座間で行おうとするも問題山積で、
生田幸士先生(現・東京大学名誉教授)と説得にあたり、
ようやく実現したということもありました。今では当たり前です。
とは言え、大学の事務方も市の職員で、
大学としての規模が限られている一体感がありました。
今でも、食堂のおばちゃん、事務方も、
生協の調達の担当者もSNSなどで繋がっています。
一方、大阪大学では、格式、威厳ある会議や会合があり、
そのリーダーシップを担う立場が求められます。
名誉教授会や、医学系の退役教授会も、
その脈々としたつながりは流石です。
国レベルの研究と大学間の連携なども可能になります。
私の人工心臓も東大との連携で実際に実験することができていました。
そして、研究についての予算を決定する学術振興会の会議では
かっての旧帝大と早稲田大と慶応大が最終決定の任務に就いています。
この会議では、あまりにも流れに沿った内容に随分と文句を言いました。
現状の流れを変えてもらいたいと思う方が、
私を登用してくれたのだと思いますが、
真実をストレートに言いすぎる私は、
キャリアに変革することは叶いませんでした。
これからは、大学の構成も大きく変わっていくでしょう。
これだけの大学が、
国立、公立、私立などが「少子化」に向かっていくのです。
教育の重さはわかっています、
それ故に誰彼なしに入学そして無償化ではなく、
それこそ子ども達が志を高く持てるよう、
制度化=60割高卒を導いてもらいたいです。


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『かっての日本の行事やモノやお菓子には文化があった』


   


     7月 17th, 2019  Posted 12:00 AM

本来は端午の節句に「ちまき」は配られています。
ちょうど今、祇園祭りで「ちまき」が圧倒的に売れ、
同時にネットで転売されているというニュースが出ていました。
祇園祭の「ちまき」は笹の葉で作られたお守り、
疫病と災難除けに効果があるとされています。
それを見ながら、私は母方の祖母が、
とっても大きな鍋でちまちを巻いていたことを思い出します。
この時期、京都の和菓子のちまきを食べたとき、
これは絶対に私の知るちまきではないと言い放ちました。
それこそ現代では、行事、節句の中でも消えつつあるモノ、
消えたモノがあります。
たとえば、油団(ゆとん)、
これは福井の夏のしつらえ、和紙に荏油を塗り込んだ敷物でした。
蚊帳なども、今ではすっかり使われていません。
が、この蚊帳の目がとても気持ちがいいのです。(床ずれなど)
昔、祖母がやってくれていたことがとてもいい思い出であり、
福井での日々の暮らしがとても豊かだったのだと感じる一方、
日本は随分と継承してきたモノやコトを捨ててきていると思います。
そういう意味では、
小中学校での思い出の「日本の文化」が消えているのです。
合理化や利便性を追い求めすぎた代償は大きく、
未来づくりを担うデザインも、単にモノづくりがコトづくり、
翻って、コトがモノづくりだとする一辺倒のストーリーは
再考、再構すべきです。


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『ノート形式』、その使い勝手はまだまだ拡張する


   


     6月 30th, 2015  Posted 12:00 AM

この企業の新商品はほぼ常連のごとく、
商品づくりにおいて、徹底したきめの細かさがあります。
それだけに、今度はどのような商品をと気がかりですから
多分、毎年それは企業ストレスになっているかもしれません。
しかし、企業とは、「企」という文字の象形文字意味には
明らかに、つま先をたてて遠くを見つめて案を決定している、
その原意がありますから、企業とは未来づくりだけが
常に求められていて当然だと考えます。
よって、デザイン主導でなければなりません。
さて、またしても新しいノートが登場しました。
当然のこと、紙質からシリーズの外観的な意匠は優れています。
しかし、
このメーカーはこれがデザインだということを超えようとしています。
ノートゆえにノート性能だけではなくて、
それ以上に、ノートには何を記述し、それはどのような発想、
すなわちアイディアの記述性にまでを目論んだ
問題解決を成し遂げています。
それは、ノートといっても、文房具の基本をさらに詳細に
使い勝手を拡大しています。
今回このノミネートと、当然の受賞から、
私は、まだまだノート類の用途開発と
ノートというものの拡張性があることを知ることができました。
もちろん人間には「考えること」と「思うこと」は同次元ですが、
実際は大きな違いがあります。
それはこのノートを思考の道具としてユーザーに
ノート形式を横型にして、横型柄の紙面を準備しています。
それはユーザー自らが、
このノートをどのように使っていくかを問いかけています。
惜しむらくは、このノートには海外製ノートの
バインディングのゴム素材までを新規にしてほしいことを望みます。


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「『MAKERS』の正しい受け止め方」


   


     5月 17th, 2013  Posted 12:00 AM

「資本」の解釈を決して誤ってはいけません。
自然資本主義という認識を鵜呑みにしないことを
私はプロのデザイナーとして、大学人として記載しました。
そして、ここまでをもう一度書き残します。
「MAKERS」という現代流行の読み方です。
この本に多くの人が騙されています。
オバマ大統領の演説にまで出てくれば、なおさらです。
やはり米国の民主党では政治は無理だと断言しておきます。
彼がこの著作で語られた具体的な3Dプリンターで、
「産業は決して革新されません」。
案の上今、光造形データを3Dプリンターでの具体化を見ています。
大統領は、米国中西部・オハイオ州のブルーカラーからの
「票集め」の戦略だと考えておくべきです。
そして、彼の演説にまで登場したわけですから、
英国での政策評論などは踊らされています。
日本には、もともとの光造形発明があったわけです。
勘違いしている国外国家政策を傍観しながら、
「わが国独自の未来づくり」を地道に創成すればいいのです。
先般、NHK批判を私はブログで記載しました。
想像以上の人たちが、この番組をまったく信じていませんでした。
私はあらためて、日本人のバランス感覚と正当な知識判断を
心から敬愛します。
ずばり、言い切れば、「MAKERS」を下敷きにします。
そして、次のことを提示します。
● 3Dプリンターのデメリットが光造形のメリットだろうか?
● 光造形のデメリットが3Dプリンターのメリットだろうか?
この最も具体的なデザインとその造形をいずれ提示します。
そうすれば、おそらく、このメリットに未来への革新があります。
光造形にしろ、3Dプリンターにしろ、
基本的には「精度はまず求めません、特に廉価シリーズは」。
ただし、高額商品なら「精度と仕上がり、さらに造形素材質」は、
当然に必要です。
とりわけ、小玉博士発明の光造形の進化は、
日本のナノテクノロジーでは、進化の真実を歩んできています。
私は現在、3Dプリンターで「MAKERS」に刺激されて、
そこの未来を想像するならば、
わが国独特の手法と実務を、欧米に惑わされずに、
正当な進化を「これからの革新」のための要素にするべき、と、
考える次第です。


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『資本主義からの逃走』
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


   


     5月 31st, 2010  Posted 12:01 AM

私は、「情報」という日本語が、
次のような意味合いを統合しているとしたら、
すでに曖昧な言葉に成り果てていると思っています。

Information
報道・制度的な広報・私的あるいは公的事実性
Intelligence
秘匿事・隠匿事・企み事・戦略・策略
Knowledge
知識・経験事・生活の知恵・伝統伝承事
Consciousness
意識・見識・良識

私は「情報機器」という製品アイテムを対象として
デザイン成果も生み出してきたと自負しています。
それだけに、すでに新たな「情報機器」を概念と観念で再考しなければ、
次々と進化する機器設計そのものと、
人間との関係が成立しがたいのではないだろうかと考えるようになりました。
したがって、特に、デザインを職能とする人や、
情報工学、環境情報、情報制御、医療情報などすべてが、
「情報」の意味と意義がどこまで、
日本語ゆえに曖昧であるのかを検証するべきだと提言します。
企業情報戦略も国家情報戦略も、
これからのネットワークの進化に対して、
この日本語でいいのかどうか、
あるいは、日本文化が伝統としての「曖昧さ」が本質であるとするなら、
その曖昧さの再利用を創出する時期になっていることを提案したいと思います。
そうなると、「情報」だけではなく、
再考し新たな概念と観念の言葉そのものを探し出す必要があると考え提示します。

たとえば、次のような日本語が考えられます。
以下の言葉については、この20年ほどいつも熟考対象にしてきた言葉です。

福祉
機械
環境
人間
病院
医療
科学

などです。
そして、こうした言葉がもっとも多用され始めている大学、その学部名や学科名、
そのコンセプトやアジェンダやスキームなどに対する
大きな懸念性と疑念性を捨て去ることができないのです。
この懸念性は私に突然、襲いかかってきたある種の不安感でした。

「デザイン」提案の大前提
なぜなら、将来・未来は、「言葉」から始まります。
さらに、わが日本には、「大物主」「事代主」によって、
物質と情報は決定づけられた伝統の文脈があるからです。
決して、この論理は宗教論でも、神がかりな論法でもありません。
真摯に「未来づくり」へ文化への新しい文脈づくり、
すなわち「デザイン」提案の大前提なのです。


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