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Posts Tagged ‘東洋の理想’


「また、岡倉天心を追いかけている」


   


     6月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

それこそ、私が美大に入った頃、
私は友人に言っていたことがあります。
「自分はデザイナー志望だから、
決して、岡倉天心を好きになることなんて絶対に無いよ」と。
当然のこと、美大時代は岡倉天心や彼の行動を、
知ろうとすることさえしませんでした。
ところが、デザイナーになってから、
「茶の本」をまず何の動機もなく、読みました。
「力囲希咄」、この意味がわからないままに、
この意味を求めている自分に出会いました。
この言葉を作品名にしたこともあります。
そして、決定的になったのは、ボストン美術館に行き始めてから、
私はどんどんと岡倉天心にのめり込んでいきました。
気づけば、彼は福井藩主の子どもでした。
私を取り込んだのは「東洋の理想」でした。
「アジアは一つである。」
これが、著作の冒頭にあります。
そして、この言葉は1903年、海外で出版された書籍にもかかわらず、
冒頭の一語は、大東亜共和圏構想の広告コピーに使われました。
だから、あたかもこの一語はアジア支配力の一文になりました。
私は、この書籍も理解せずに、当時の軍部のまるで悪行推挙、
軍部はすべからく悪人集団、
この指摘と著作意図を常に読み比べてきた気がします。
最近、またあらためて岡倉天心を読み始めました。
というより、調べ尽くしたいことが大学に在学しながらも、
次々と増加してきています。
とても読み切れないほどの資料に取り囲まれています。
だから、写真の「東洋の理想」もハードカバーを探せなくて、
文庫本を買ってまで、もっと知り尽くしたいと思っています。
理由はただ一つです。
「アジアは一つである。」という彼のこの一語は、
決して、軍部に使われただけではなくて、
大東亜共和圏をなぜ、
この小さなアジアの小国が軍事を果たしてまでも、
「アジアの主張」をしなければならなかった。
この理由をなんとしても書き残したいからです。


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「終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本」


   


     10月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

「Asia is one.」
これは岡倉天心著「東洋の理想」の書き出し文です。
そして、この言葉が
「大東亜戦争」のテーマ文そのままになりました。
本来、岡倉天心がこの書籍で書き残したこととは
全く異なる東洋の美学論でした。
それは軍部の専制的な当時の論理にすり替えられていました。
しかし、日本軍が成しえた事では、「インドネシア開放」がありました。
列強欧州各国の植民地であったアジア諸国を開放したことです。
しかし、この歴史的事実よりも
「南京問題」や「慰安婦問題」がクローズアップされています。
この「インドネシア開放」を成し遂げた日本軍の活動は
歴史から抹消されています。
現在のシンガポールからベトナムに至る全ての国々が、
植民地から開放されたことは、
あの東京裁判でもほとんど評価どころか無視されたことです。
この開放戦線は「明号作戦」と呼ばれました。
現在、この作戦の資料で残り、
出版された書籍はたった2冊しかありません。
私は、大学人になってからこの17年間にわたって、
こつこつと研究を蓄積してきました。
しかし、まだとても纏められるほどではありません。
来春からの余生においては、この歴史を明らかにしていくつもりです。
二つの理由があります。
まず、徴兵された父の7年間、最後の戦線だったことであり、
「明号作戦」そのものの戦略戦術に直接関与していたことでした。
次に、この作戦に参画した師団・部隊は中国を南下してきました。
当然ながら、南京を占拠してきた部隊でしたが、
彼らの行動・作戦に「南京問題」は皆無だったということです。
アジア各国を開放させて、それぞれの民族の解放、
それこそ、「Asia is one.」をそれぞれ各国が独立することでこそ、
亜細亜をひとつにまとめようという
日本軍の意志であり理想でもあったということです。


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『資本主義からの逃走』
 「神の国・・・その屈辱・3」


   


     11月 19th, 2009  Posted 9:00 AM

本土爆撃・沖縄占領・原爆による完全敗北は、
「神の国は、勝つ」と洗脳されきた国民を絶望させました。
軍部による独裁を今なお呪っています。

それは「神の国・日本」が屈辱を受ける裁決で始まったのです。
私のふるさと福井も空襲で、廃墟になりました。
パラシュートを製造していた繊維の街だったから。
私はまだ生まれていません。
父は、7年半も戦地で青春を奪われていました。

私は東京裁判をもう一度、検証するべきだと思っています。
特に名古屋空襲での、
一人のB級戦犯となった人物への裁決が正しかったのか、
どうかということです。

米国による空襲は、明らかに民間人を相手にした爆撃です。
これは、国際法規違反です。
そうなれば、沖縄も、広島・長崎はじめ、
日本各地への空襲はすべて、国際法違反です。
少なからず、日本の真珠湾攻撃は軍事施設破壊でした。
民間相手ではありませんでした。

名古屋が空襲されれば、内地防衛をしていた軍部は、
爆撃機を攻撃し、打ち落として戦闘を行います。
結果、米国軍人を殺しました。
これを勝者は裁いて戦犯としたわけです。
彼は相当に食い下がります。
一部は彼の主張の正しさを認めていたと言われます。
東京裁判での裁決の勝者の勝手さは、
きわまりなく、勝者は国際法規などは完全無視でした。

私は今更という思いでこの東京裁判の一つのエピソードを
持ち出しているのでは、ありません。
この敗戦直後の、「屈辱」こそ、
敗戦した日本人から、
「神の国」=「日出ずる国」の「誇り」を失いました。
すなわち、負け戦となった理由付けで、
戦後、屈辱を内面に傷として癒さぬまま生きてきた
「神の国の住人」の精神性に絶望が今なおあることを
明示しておくべきと考えるからです。
この癒し方が、
資本主義と民主主義を受け入れた気持ちになっていたのです。


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『資本主義からの逃走』
 「神の国・・・その冒涜・2」


   


     11月 18th, 2009  Posted 9:46 AM

美大時代、
私は日本美学に惹かれる訳が無いと思っていました。
これはすぐに消滅しました。
学園紛争は金沢美大にまで及んできました。
全共闘赤軍派などが知ったかぶりで叫んでいました。
私たちはファッションにこだわり、
立て看を片付けて、彼らと対立していました。
しかし、赤ヘルメットで、
ただデモしているだけのお粗末さがセンスの無さを証明。
馬鹿集団としか思えませんでした。
学生運動が歴史的に勝ったのはイタリアでたった1回。
この知識すら知らない連中たちでした。

私は団塊の世代です(嫌いな言葉ですが)。
同世代には「当時はね、左翼系で、よくデモってました」。
こんな教授達に出会います。
あれからあなたは何をめざして生きてきたのでしょうか、
私は質問したくなりますが見下すことに最近決めました。
大学教授なるみなし公職にあり、
青春の志を転向したあなたを、
決して認めることはないでしょう。
あなたは「神の国・日本」を冒涜して生きているのです。

「神=自然神の国」を冒涜したのは、左翼系インテリです。
こうした人間は、
日本が犯した大罪であった世界大戦を指摘します。
私は日本美学を岡倉天心と天皇制と武士道に求めました。

18_a
18_c
18_b

そして、結論。
冒涜は、三つあったと判断します。
大東亜共栄圏構想には、
「東洋の理想」岡倉天心著の書き出し、
「Asia is One」=「東洋は一つである」が、
当時の軍部に引用されました。
岡倉天心の美学と愛国心を悪用したのです。
● あの戦争は「天皇制」が原因と、
戦後その理論を吹聴。
それらが進歩的文化人と言われた左翼系学者や作家です。彼らは「神の国」の冒涜者です。
●「東京裁判」での国際法の無視です。
具体的には、名古屋大空襲に立ち向かった、
一人の中将=武士道の抵抗と
その正当性を忘却させていること。
無論、東京裁判を今、再考し直してこそ、
あらためて憲法9条論議を乗り越えていくべきです。

これら三つの冒涜が、「愛国心」という言葉すら、
日本語の危険語としてきた戦後の教育だったのでしょう。
「神の国」の均衡心=バランスとハーモニーという
日本の美学を冒涜していることだと私は考えます。


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