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「恩義ある人は人格者である。」


   


     8月 12th, 2011  Posted 12:22 AM

子供の頃から好き嫌いの性分。
いやそれは私の性分どころか性格です。
理由はいくらでも書き並べることができます。
まず、食べ物の好き嫌いは並外れて多いでしょう。
一人っ子だった母親へのわがままでした。
モノへの好き嫌いも激しければ、
さらには人間への好き嫌いは温存どころか強化されます。
自分でもそのまま実際的な暴力的「喧嘩性分」です。
暴力は差し控えざるをえませんが、
小中高時代にはそのことを畏れもしない性格でした。
無論、論理的どころか倫理的にも、
そうあってはならないことを理解することは出来ます。
そうして頭ではすっかり納得していることです。
対人心理学的にも、「あの人嫌い」と思えば、
その対象の人も「私など大嫌い」であっても納得です。
もしこれを理性的・悟性的認識として理解していても、
もっと性格悪く振る舞ったり演じることは平気です。
こうなれば人格崩壊者だと、私自身が絶対確認しています。
一方では、「好きな人」・無論男女を問わずですが、
とりわけ、恩義ある人には、万一嫌われても、
その恩義には命がけで恩義を果たすべきと思っています。
このことを決意したのは、「歩けなくなった」こと。
車倚子になってから私の私に対する決定事項です。
人への好き嫌いは多分幼少の頃に形成されるのでしょう。
ともかく、小学校中学校にはいい思い出はありません。
おそらく登校拒否児童・生徒だったと思います。
けれども高校大学時代は素晴らしく「好きな連中」ばかりでした。
おそらく、未来への夢や自分を対人関係で、
まったく悩むことが無かったからでしょう。
私は社会人になってからはさらに人間関係の好き嫌い、
これは激烈に心底に潜ませて生きてきました。
これだけ明確に、人間に対しての「感情」、
「感性」ではない心持ちはこのまま死ぬまで持ち続けます。
やさしい人、穏やかな人として生き抜くことなどには、
絶対になりたいとは思わないことにしています。
その最大の理由は、「恩義ある人」には何が何でも、
報いて生きることです。
これを私は橋本左内のごとく「松柏後凋の心」だと
生き方に決定しているからです。
正直この生き方はとてつもなく下手くそな生き方です。
しかし、下手くそな生き方を選ぶことでしか、
真実本当は、「恩義を返せれる人」にはなれないはずです。
すでに残された時間を思うとき、
この時間内に「恩義」を返せるのだろうか、
もし返すことができなければ、
それこそ、人格破綻者で生を終えてしまう自分、
そんな自分になることこそ、
自分を貶めてしまうものと考えています。
今夜、「かけがえの無い恩人」と久々に夕食をしました。
そして、あらためて恩義ある大好きな人物は、
人格的にとても優れた人との「縁」であったことを確認しました。

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