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Posts Tagged ‘欠く’


08月04日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 4th, 2017  Posted 12:00 AM

08月04日 赤口(癸亥)

「書く」ことと「描く」こと、
それは「欠いていること」に
気づく行為だと思っている。
つまり、
「欠落」している自分を
「自らが知る」ことだ。

川崎和男の発想表現手法


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『見つけた1.3mm芯のシャープペンシルの効能性と機能性』


   


     10月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

スケッチは鉛筆に限ると思っていました。
2Bか6Bと決定していましたが、万年筆を趣味としている自分には、
シャープペンシルは考えていませんでしたが、5mm芯でのスケッチペン。
その代表例は研究室にも揃えていますが、
先般、大学内である研究科長は自分が文具大賞の審査委員長ということで、
専門外の話で、1.3mmが如何に優れているかという話でもりあがり、
大学内では面談時間が限定されているだけに、秘書や助教が焦りました。
話は1.3mm芯とそのペン軸の話は
おそらくこれからも大きな話題になるでしょう。
最近は0.3mmで折れないシャープペンシルが話題ですが、
確かに1.3mmペンシルル芯は全く最適でした。
確かにスケッチにとっては、「適合している用紙」と「描く」ことです。
自分の主張は用紙の開発もありますが、「描く」ことが「書くことよりも、
発想の基本中の基本と考えています。
なぜなら、「夢は描く」のです。「書くことは欠くこと」。
欠落を埋めるだけですが、「描く」ことが生徒の時代に絵を描いて、
その評価を「下手くそ」とも言う教育者は、
その生徒の夢を奪い取っていると考えていただきたい。
鉛筆はもとよりスケッチペンは発想の文房具だと強く主張しておきます。

* 『まだまだ進化するシャープペンシル、だが作法がない』
* 『書く事のモノは最初から進化を続けている』
* 「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
* 『鉛筆・最も基本的なモノにスタイラスもなってほしい』
* 『スケッチペンは脳と手の気分的な発想回路を動かす』


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9月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

9月4日 大安(己丑)

書くことは「欠く」ことを
埋めることだ。
描くことには
伝統的には「運筆」がある。
デザイナーはデザインストロークだ。

川崎和男の発想表現手法


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『新製品のモニターとして万年筆を試す』


   


     8月 16th, 2016  Posted 12:00 AM

筆記具の王様は万年筆だと思っています。
「文字を書くこと」にはとても強い想いを持っています。
そして不思議なことは筆記性には遺伝があるのではと思っている次第です。
父の兄弟と私は筆記力がそっくりなことです。
確か、自分と父は筆記力の検定試験を受けて、
筆記検定1級になったことがありますが
その証明証は実家に残っているはずです。
ともかく、父方の伯父や叔父とは筆記力は毛筆であっても、
楷書についてはとても似ています。ソックリな文字を書きます。
「書く」という行為は「欠く」=知識を埋める作業だと考えてきました。
そして筆記具では、
毛筆の筆先は柔らかくボールペンや万年筆のペン先は紙より硬いのです。
これが筆記具の文明論の下敷きだと考えています。
実はドイツの有名なブランドあるメーカーの
新製品すべての書き心地を試してほしい、そんな依頼があり、
そのシリーズで自分の好みのモノは進呈されるということなのです。
何と言っても万年筆・ボールペン・ローラーボールペンは、
少なからず、出張でも使わなくても持ち歩く性格です。コレクターです。
国産の万年筆は性能はとても優れていますが、
グローバルに闘えないデザイン不足を感じています。
やっと先般も紹介した日本製で2500万円の万年筆が登場しました。
ところがこのドイツの有名な鉛筆から様々な筆記具メーカーの
新製品である万年筆は廉価版でした。
ペン先の硬度はこのメーカーの鉛筆硬度にとても似ていました。
スマホやパッドなどデジタル筆記具が進化すればするほど、
万年筆とそのノート類はますます進化しているようです。
ただ自分としては
21世紀ならではの発明的な進化があってほしいと思っています。
自分の筆記力は楷書と読みやすい行書や草書が
日本語だからこそあってほしいと願っています。

* 『書く事のモノは最初から進化を続けている』
* 「プロとして元気の素は鉛筆への作法」
* 「今年革新だった万年筆を再度確認」
* 『万年筆メインテナンスから見えている現実』
* 『最高級品=最高価格であるべき万年筆の登場の意義』


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8月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 10th, 2016  Posted 12:00 AM

8月10日 友引(甲子)

「欠く」ことを
「書くこと」で埋めていく。
この「書く」ことは
描くことで鍛える、
それは
描くという手の
運動神経を鍛え直すことだ。

川崎和男の発想表現手法


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8月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

8月6日 仏滅(庚申)

「書く」こととは
「欠く」ことに気づくこと。
自分の欠落していることに
気づくことだ

川崎和男の発想表現手法


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『現代に蘇った描くペン』


   


     6月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

すでに自分が使っているペンが登場すると、
私は正直、個人的に迷いが出ます。
このペンは、ピニンファリーナといえば、
カーデザインでは、歴とした有名スタジオです。
したがって、このペンの登場を知るとすぐに私は
海外の通販で入手して使っていましたから、
このブログでも取り上げたことがあると思います。
審査員として、さらに審査委員長としては、
自分が使っているという主観性は、デザイン審査の経験からも、
私にはすぐに客観的な見方が生まれます。
一つは、審査員たちの評価をじっくりと聞くことで、
自分の主観性は抹消されます。
もう一つは審査委員の審査基準あるいは知識とセンスを再確認できます。
そして私がびっくりしたのはこの商品化には、
明らかに日本のモノづくりが基盤にあったことでした。
このペンは、紙質を相当に選びますが、
描くという行為は、欠くこと=紙質の表面を削り取って、
描くことは画くこと、書くことにつながっています。
しかも、ペン立てのスタイルでありながら、
ペン立て部位は、ペン入れになっている機能化が仕組まれています。
このペンは、いわゆる石筆=スタイラスと同様に、
欧州で発見された金属ペンだということです。
この商品が発表されたときには、
すでに金属そのもののペンはいくつか登場しましたが、
これが最高に熟考されていたスタイリングデザインが完成していました。
まさに今年度、デザイン=スタイリングという装飾性を現代ゆえに、
ペン立てとペンケースを解答としてしまった商品だと断言できるでしょう。
これが優秀賞になっていることで、
デザインはひとまず装飾的な機能性だけではなくて、
金属ペンとしての問題解決になっていることを確認してください。


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「文房具と目途=欠落関係」


   


     6月 4th, 2011  Posted 3:03 AM

文房具の機能は「書く」所作周辺。
そして、文具はなぜ面白く、
楽しく、私を引きつけるのでしょう。
私は「書く」という言葉から、
書くということが「欠く」であること。
ずばり、書くは欠けていることを満たす所作であり、
書く事は、自分に欠落しそうな事を、
書き残す事だと勝手に解釈をしてきました。
歴史的にも、書くことは「引っ掻く」がごとく、
紙が生まれる前には、
竹や木や、さらに石に「引っ掻く」行為で、
目印が記号となり、文字になってきたのです。
だから、きっと文房具という道具や器具などのモノ、
そうしたモノで取り囲まれること,
人間はきっととても望み、
表現することで生きている実感を得たのでしょう。
だから文房具・文具への興味は誰もが所有し使用する、
とてつもなく大きくてささやかな欲望にまで、
必ず昇華してきたはずです。
「書く」という所作=「欠けている」実感が、
人間の思考すべてを象徴していると私は思っています。
私は文房具を収集することが大好きな生き方とは、
自身を客観視するときに、
それこそ人間として欠落させる知識、
あるいは知恵と向き合えなくなるとさえ思います。
文房具や文具という類のモノの体系にこそ、
身体と精神を委ねること、
それこそが目標と目的を意識することで、
自分自身から他者への欠落を満たすことができます。
そこで、実は、
目標・目的を会話的な曖昧さにすることが「目途」です。
「書き残すこと」=「欠くこと」=欠落を食い止めること、
この連鎖性に「目途」などは本来はありえません。
目標・目的は欠落を満たす所作です。
私はあらためて、自分の周囲の文房具に語りかけます。
デザインとは明確な目標と目的を企望する所作ゆえに、
決して「目途」などと言うことは、
自分自身の欠落性をさらけ出していることを現します。
だから、プロなら決して「目途」という曖昧さだけは、
生き様に置いてはならないと自分に言い聞かせます。

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