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Posts Tagged ‘歳末’


『「戌年」の私に10年前発想デザイン使命がやってきた』


   


     1月 3rd, 2018  Posted 12:00 AM

今年は「戌年」であり、私の人生では6回目です。
いわゆる数え年なら70歳になりますから、人生最期で引退となります。
どういうわけか、毎年歳末になると翌年の十二支シンボルをいただきます。
昨年歳末は富山市と関係があって、薬品業界の方から、
富山名産のお酒でしかも十二支シンボルパッケージ入りという限定商品、
それがやってきました。
私にはある動物的な勘があると思っています。
もう10年前に「ドライパウダー薬品」を思いついて、
それで阪大博士課程では、それをテーマにしてきました。
正直なところこの研究が何に繋がるのかは私の中では「いつの日か」、
そんなことを夢見ていたのですが、
「先生、薬品がドライ化するのですか?」と、
この質問を何度も学生たちから受けていました。
これは経鼻型と言って、鼻で吸引してすぐに動脈にという考え方でした。
いくつものいわゆる「出す宛て無しのラブレター」という
私なりのアドバンスデザインでしたが、
きっちりと10年経って、ある薬品メーカーから、
このドライパウダー吸引機器のデザインは見ておられたらしくて、
今年はその開発に入ることが出来そうです。
その使命を持ってこの犬がやってきたのだと思っています。
さらに、この薬品メーカーでの薬剤には、
これも私がずーっと「デザイン不完全」と思っていたモノがありました。
これにも大きな革新を与えることが出来そうです。
おそらく人生最期のデザイン実務の大きなテーマ、
それはまだ誰もが果たしていないこと、
デザインされても私は間違いと思っていた、
そのデザイン実務ができそうです。
それは言語論、形態論、空間論が記号論になるモノだということです。

*「酉年」シンボル


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『家紋:三つ葉葵なれどの思想対決は倒幕か佐幕か』


   


     1月 2nd, 2018  Posted 12:00 AM

歳末に適塾記念会から「適塾」という第50号が届きました。
適塾は自宅の近くに保存財として戦火もまぐれて残っています。
耐震補強も一年がかりで修繕もすませている建物です。
私が最も敬愛している偉人の代表は、橋本左内です。
最近は橋本左内は忘れられていますが、
維新を成し遂げた志士ですが26歳、
安政の大獄で斬首の刑を受けています。
私は決して坂本龍馬が維新のヒーローだとは思っていません。
むしろ、昨年、歴史の教科書から抹消されるというのは正解だと思います。
単純に小説でのイメージが維新を成し遂げたとされているだけです。
それよりも橋本左内が書き残した漢詩が約460首もあったという論文でした。
今年はその460首すべてを調べあげたいと思ってしまいました。
そうして、橋本左内がふるさと福井藩であり、
親藩でありながらなぜ倒幕側であったのだろうかと、
江戸幕府=徳川家の家紋に行き当たりました。
この家紋は水戸黄門ドラマでは決めてになる「三つ葉葵」なのです。
そしてこの親藩すべてがこの家紋ながら、
日本文化に根付いてきている家紋は相当にあります。
当然ながら、この家紋の変遷はデザインでの C.I.マークとの
私は深い関係を見直しました。
この同じ家紋は、血統であり、思想も一致していたにも関わらず、
「なぜ」?が、今年最初の疑問になったわけです。
おそらく、橋本左内の漢詩と本来は二葉葵から創作であったこの葵の御紋、
これを追いかけることになるかもしれません。


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『「北」という書に宗教法人の商売根性は許容できない』


   


     12月 24th, 2017  Posted 12:00 AM

「北」という漢字に、私は至極こだわってきました。
単純に言い切れば、「北陸」と「北海道」それぞれの「北」には
大きな違いがあると見分けていたのです。
「北海道」は東西南北の磁針盤的な「北」です。
ところが、まして「北陸」出身の私にとっての「北」は、
背中向き、いわば対立を象形化した漢字です。
「方面の武士」という表現が極めて意味を持っていると判断しています。
つまり、万が一があれば、いつでも対決を辞さないガードマン的存在。
「北陸」は常に、いつでも北面の武士のごとく、それこそ一向一揆の国です。
さて、すでに歳末の風物詩となっている、
今年を表す漢字、一文字は「北」でした。
それは「北朝鮮からのミサイル威嚇、その連続」に、
私たちは戦争への恐怖心を具体的に実感させられてきたのです。
私自身も自分の生涯に戦争にまさか巻き込まれない、
その考え方は破壊されましたから、武器から戦闘機や軍艦の現在を
真剣に、元来は趣味でもあるのですが自分の講演で話したこともあります。
その威嚇は日韓米に向けられた独裁政権としては、
私なりには原爆や水爆、あるいは生物兵器こそ、
国家防衛の当然の戦術だと認めることが出来ます。
しかし、唯一の被爆国家である日本にとっては、
絶対に戦争無き世界平和観こそ地球の最も知的人間社会は否定されました。
「宿痾」という言葉を紹介することがあります。
これは、「難問」・アポリアであり、人間界がどうしても平和否定論なのです。
北朝鮮は、朝鮮半島では北に位置しますが、
さらに、世界に背を向けた威嚇を独裁国家として強めています。
わが日本は敗戦によって、専守防衛をのみを行うことから、
「拉致被害者」を救い出すにも自らの攻撃は全く出来ません。
よって、今年は「北」が選ばれました。
しかし、私はこの風習さえ実際は商標権が成立し、
この書は実に「下手」だと思いました。
宗教法人ゆえに無税であること、商標権取得済みなどをみると、
京都の坊さんの商売根性があり、脂ぎった顔つきなどから、
「宗教」の品格無しと思っています。

* 「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』
* 『諦め:自己防衛は不可能になってきた大不安』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 「同胞を救出せよ=わが国の最大的政治問題である」


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『閏年の2.26=67歳なり』


   


     3月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

2月は奇妙な月です。
4年に一度閏年、29日まであります。
私は2月26日生まれでギリギリ良かったのかもと思います。
しかし、2.26とはなんとも危ない波乱がかった生年月日。
早生まれでした。
今年は体調も良く、ヨーシ、大学まで車で行くぞ、となり、
ガレージからワイフに車を出してもらったら、
「アレっ?エンジンがかからない」
故障か?
バッテリートラブルか?
何のことはない。運転の仕方を忘れていただけでした。
何しろ、私の車は片手でハンドル、片手でアクセル・ブレーキ操作。
気づくと、いけない、いけない、すぐに高速になってしまいます。
キャンパスに入って、車から電話、
「僕、着いてるけど、パーキングの車どかして〜」。
助教が仰天しているのを思いっきり楽しんで、
プロジェクトを一つ一つチェックして、夜は新御堂を走って帰宅。
そして目覚めたら、な、なんと風邪を引いてしまいました。
体はなんだか浮揚していてとうとう訪問ナースの方に2日も点滴。
仕事がつまってきているし、そういえば、姪っ子は受験だったし。
「師走」というのは、歳末では無くて現実は2月です。
2月は卒論や修論発表、そして入試と先生は大忙し。
僕にはバレンタインがあって、誕生プレゼント、お祝いメール。
特に、プレゼントは「なるほど・・・やっぱり才能がある」と
決定さえできます。
今回67歳にもなった僕には、メールが圧倒的でしたので、
ここで改めて御礼をしておきます。
さらに、プレゼントには「流石に」と僕をうならせてくれた
元スタッフや元教え子には絶対にそれ以上の御礼をするつもりです。


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「歳末を感じる頃になった・・・」


   


     11月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

「喪中につき・・・」、
このはがきが届いてしみじみともう歳末か、
こんな想いになりました。
母の親友だった小母様が逝かれた報でした。
91歳ですが無念でありながらもならば大往生でしょうが、
子供の時から、そして金沢での個展にも来ていただき、
お小遣いをもらってしまい、
断る私を親友が「もらっとけよ」と声をかけてくれました。
「母が生きていたら」と時折電話をくれる大切な小母様でした。
また私にとって大事な人が逝ってしまいました。
ことさらに自分の年齢と遺された時間を思います。
雑誌やwebsiteでも、「手帳やカレンダー」の広告、
そして先日は金沢で「干支・龍」の九谷焼置物をいっぱい観ました。
来年は「辰年」です。

あらためて、大好きな龍のブレスレットを出して、
磨こうかと想い始めています。
昨日、手術後最初のICDチェックをしてもらいました。
無論ながら順調ですが、
ドクターと、留学から一時帰国のドクターと
「日本人のためのペースメーカーやICDが当然必要」、
そんな会話をしました。
人工臓器学会からは「補助人工心臓について」の案内が
届いていました。日本製ICD開発は国内生産困難です。
なぜ?誰が駄目にしているのだろう?
そんな連中に「ご政道」はありえません。
今、私の生命を監視し、万一の場合の緊急処理機器には、
デザイナーとしてものすごく不満があります。
私にとって、先般2台目となったICDも守り神ですが、
来年は「辰年」なら、
龍のブレスレットも大事な守り神になるでしょう。
3.11で私たちは多くの同胞を失いました。
哀しみいっぱいの年でした。
もう歳末に入りますが、オーロラがあったりの異常性、
タイでの大洪水などとんでもなく自然驚異に包囲です。
おそらく来年への備えに今年は早く入るべきでしょう。
母の親友の逝去の報にあらためて歳末の感があります。


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『資本主義からの逃走』
 
*「資本主義の終焉は、
  ブログ形式の中に隠喩となっている」*


   


     12月 23rd, 2009  Posted 10:00 AM

2009年、歳末になろうとしています。
私にとって、この一年は、
教育・講演・研究・開発・提言すべてを
デザインで包み込んだ活動でした。
もっともちょうど60歳・還暦で生命はつながっていす。
ブログ本論のタイトルは、「華甲我之発言也」です。

華甲発言

「華甲」とは還暦・60歳を意味する
古代よりのレトリックとして美しい言葉です。
デザインの世界に入って、
ほとんど休日休暇は持たないデザイン連続でした。
ただし、時に、「死に際」に至ることや、
「死」の予感が私の生体を追い込むことはしばしばです。
そして、その「死線」から帰還すると、
必ず、私にはなぜか大きなテーマが振り降りてきます。
●「なぜ、このスケッチを描くのだろう」
●「なぜ、今こそ、どう非難されても発言しよう」と
なります。

日本のかたち

このブログで、とうとう「資本主義と民主主義」への
私の持ち続けてきた「歴史観、それも敗戦という軸」に、
知識を整理して、いわば暴論となろうが、
この思索は、私のデザイン手法での「日本のかたち」、
その試作だと思ってください。
●それは壊れかかっていたり、
●すでに壊れたり、失ってしまった「日本のかたち」を
デザインし直すこと。新たなデザインを生み出すこと。
この二つを差し出そうということです。
だから、このブログは、一度こうして掲載した後も、
さらに「校正」を何度もしているのです。
おそらく、ほとんどの読者の方々は一度読んで、
●「まぁ、そういう見方もあるか」とか
●「過激だな、何をそこまでも」とか、でしょう。

私は、ブログという形式がすべからく「日記風」の
感想報告文体であることを残念に思っている立場です。
残念であり、無念であり、
文体に載せる言葉の貧しさに、「不景気さ」=鬱を
見抜いてしまいます。

「不景気という不気味さ」

なぜなら、
私は確実にコンピューターのエバンジェリストでした。
だから、特にパソコンとネットワーク、インターネット、
それらの進化はつぶさに実体験し、そのシステム創りや
デザインに関わってきましたから、
ブログの形式が日記風・感想文風ということに陥っている
その「不景気」さは「不気味」さでもあるのです。
だから、この「不気味さ」を選んでいる社会は、
「不景気」だから、ブログという新たな表現形式にも
●「不景気」という「不気味さ」にすら気づかないほど、
●「不景気」、すなわち「bitな鬱病」だから、
「死線」が見えるわけがありません。

鬱病に死線は見えない

その「死線」とは、
「資本主義の終焉という死」の境界線です。


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