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Posts Tagged ‘歴史性’


『AK-47を設計したミハイル・カラシニコフの歴史性』


   


     9月 2nd, 2018  Posted 5:49 PM

ミハイル・カラシニコフは、日本では余り知られていません。
AK-47という自動小銃は今なお使われている銃器です。
現在の日本では、戦争やテロ行為などは全然知られていません。
パリでのテロ(その時、私は在パリ)や、
米国・ラスベガスでの大量テロ行為の時にも、AK-47でした。
それこそ、AK-47の歴史性を辿るととんでもない歴史があります。
彼は自分の自動小銃が最近ではテロで使われていることを悩んでいました。
彼の武器開発は、ナチスとの戦いの終焉のためでした。
日本刀もまた、戦いを前置きにした単純な武器ではないのです。
彼はロシア人なのにローマの法王庁からも「愛国者」とまで言われています。
だからカラシニコフはブランドとして有効であり、
ウォッカや腕時計まであります。
そして、なんといっても電気自動車まで、
彼のエンジニアリングが存在しています。
なぜ、電気自動車が開発されてこなかったかも大きく影響しています。
これには石油資本家たちの世界的な戦略があったことは確かな事実です。
この電気自動車の開発が遅れてきたことは、
まるで「都市伝説」のように語られてきたことも、
私には納得できる理由が一杯あります。
テロリスト扱いだった人が石油資本家たちの策謀と暗殺があるのです。
結局、やがてはようやくガソリン車が無くなっていくでしょう。
ミハイル・カラシニコフは、この電気自動車に関わってきたことと、
そして、自動小銃が今なお使われていることとに関連しているのです。


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09月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 2nd, 2018  Posted 12:00 AM

09月02日 大安(丁酉)

歴史性は常に変えられている。
エンジニアリングがある。
そのエンジニアリングを
基にするデザインこそ、
デザイン史がある。

 


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『家具デザインの「家具」定義を変えるべきだ』


   


     9月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

若い頃は、ともかく思いつけばデザインすることに懸命でした。
それはなんとしても当時は「時間が無い」という身体的な制限でした。
ところが気づいたら40歳を超えていました。
東京からふるさと福井にもどったのは、
リハビリ病院で告げられた統計的な
20代後半での胸椎損傷者は40歳までという医師からの示唆でした。
正直なところ、それを感情任せに患者である私に統計表で言い放たれました。
まだ当時はインフォームドコンセント、それが認められている時代ではなく、
私がNewsweekを読んでいると、
「読めないくせに格好つけるな」なんて、
(こいつ、私が工場勤務というだけで、学卒と思わずよく言えるな)
この思いは今も心の片隅に残っています。
インフォームドコンセントの歴史性は医学部で講義をしてきたぐらいです。
ふるさと福井で自分から飛び込んでいった伝統工芸産地では、
ともかく様々なデザインの製品化をしていったのです。
これは越前和紙でつくり上げたオータキペーパーランドでの作品でした。
製品アイテムとしては家具ゆえに、海外展にも展示は搬送費で不可能でした。
さらに当時にはとても商品化は無理ゆえ、写真で実寸モデルを残したのです。
まず、私は越前和紙産地ながら当時、最高と言われていた土佐楮に
金粉の流し込み襖紙の製作から開始しました。
そして木製のいわば家具らしきモノには、ペーパーランドの皆が驚きました。
当時有名だったインテリア雑誌の編集長から、
「相変わらず激しいモノをデザインするね」と笑いながら、
「川崎さんのは、これ買えるなら買ってみろっていう家具だからな〜」って
言われる有様で、商品化には全くなりませんでした。
が、この構造はまだ誰も気づいていませんから、
そのうちに商品化をするつもりでいます。
家具デザインは現代でも進化の形跡はそれこそ新素材がこれほどあるのに、
まったく感心できるモノがありません。
それは家具は旧態依然これでいいという風潮があり、
大手それもびっくりするほど廉価な大型店では、模倣?いやもう盗作、
こうした商品が多くて、デザインが果たしている実装や構造構成が
本当に少ないと思っています。
それは日本の「環境デザイン」は建築よりでしかなく、
韓国KAISTでは「環境=ロボットとともに」ゆえに
環境デザインはロボット・AIを存在させる空間のデザインになっています。

* 「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」
* 『「森羅万象悉く紙なり」とは神と死に直結している』
* 『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』
* 「韓国の勢い・16茶より17茶という意気込み」
* 「KAIST・韓国科学技術院での講演」


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『日本民族の傍らにあった飲み物』


   


     8月 19th, 2017  Posted 12:00 AM

ワインのことをもっと知りたいと思ってまず赤玉ポートワインを買ってみました。
そうして気づいたことは、
日本人いや日本民族には、歴史的に絶対的な「飲み物」として、
この赤玉ポートワインと養命酒があるということです。
当初、スペインからのワインは不評だったらしく、
それならいわゆる「滋養強壮剤」として、
この二つが日本人の傍らにずーっと在ったということです。
したがって、なんらかの思い出に残っているのではないかと思います。
私にとっては、幼少の頃は身体が弱くて、偏食は今も変わらずですが、
祖母からもよくこの二つは飲まされていたとうっすらと思い出します。
それこそ、養命酒にいたっては江戸時代からだったとか、
ヌード写真でのポスターが日本最初だったということなど、
おそらくほとんどが忘れられていくのでしょう。
最も2300年には日本民族はケルト人のごとく存在しなくなる統計結果です。
地球自体があるかどうかもわかりません。
養命酒はおそらく日本人家庭には、必ず一本はあるのかも知れません。
そうして、その効用が素晴らしかったということもなく、
どういうわけか超ロングライフ商品になっています。
今ではワインはファッション性ある飲み物になりました。
もはや滋養強壮剤ではありません。
しかし、養命酒で癌が治ったという話もありません。
ともかく、この二つの飲料が日本民族に与えてきた影響や市場性は
もっと語られることがあっても良いように思っています。
私なりには、赤玉ポートワインも養命酒も私たちの遺伝子には
入っていない気がします。
そして、品格性には、んーっと考えてしまいます。
品位などがあっては残らないのかもしれません。
しかし、こうした民族とともに存在してきた歴史性は、
それが生み出されてからの系譜はもっと語られるべきでしょう。

* 「マルチツールナイフをワインスクリューから検分」
* 「日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・」
* 『商業主義の貧しさは経営から離脱した盗作である』
* 『ふるさと納税に私デザインのカートリッジを発見』
* 「製品が商品となって、愛用されるまで」


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『Red & Blue 生誕が来年で100年になる』


   


     1月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

かつて「プラトンのオルゴール」2004年にギャラリー「間」で開催。
これは2006年に21世紀美術館で私の個展となりインスタレーション、
さらに制作スケッチまでが永久収蔵されました。
この展覧会では自分が敬愛し影響を受けた人物12人を選びました。
今、私は自分のデザイン、その原器、原形と呼ぶべき作品があります。
デ・スティルの影響を受けた椅子となれば、それは
「レッド・アンド・ブルー」Red & Blueがその一つになります。
そして、この椅子には自分の思い出、そして私デザインが重なります。
ともかく、最近は○○○生誕100年とか、モノ100年のイベント情報が
必ず香港経由で私に届きます。
そして中国でこうしたイベントだけではなく、
デザイン活動やデザイナー推挙が必ず香港経由で入ってきますが、
私にはこの裏側の政治的目論見=策略が見え隠れしています。
脇道に入りましたが、この椅子の作家であるリートフェルトは、
私のデザイン、造形の大きなアーキタイプになっています。
大きな理由はMoMAで彼の展覧会にて、
椅子から家具の原形を見た経験があります。
そして最近ではこうした椅子が中国製でとても廉価ですが、
自分が所持しているのは、
INAXが1989年のアピールをめざしてコピーと言えどとても高額なこれを
購入するとともに、私はこの椅子を車椅子のイメージモデルにしました。
リートフェルトについてなら、彼だけの造形、
その歴史性・論理性・デ・スティルの関係を講義することができます。
この椅子が生まれて来年、100年になるのです。
ある意味では、この椅子は極めてシンボルであり、
それは100年になるのです。

* 『もし、このデザイナーから学ぶことが無いなら・・・』
* 『アナログプレーヤーをAurexSY-λ88で試用』
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「資本主義から離脱してきたデザイン」
* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』


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『「金の美」展の出展説明表示プレート』


   


     9月 14th, 2016  Posted 12:00 AM

母校の卒業者展「金の美」展、
その出展作品の出展者として、これが表示プレートです。
このデジタルアッサンブラージュは、
基本的には「訪問看護」での高齢者、あるいは患者向けへの映像機器です。
まず、アッサンブラージュの美術的な歴史性を説明し、
看護・介護環境では、32インチ3台は、全画面、2+1台、各1台、
それぞれには、診る・看る・観る・視るが対応します。
 ● 診る=医療環境
 ● 看る=看護・介護の環境
 ● 観る=観賞環境
 ● 視る=高齢者・患者のバイタルデータ
この4つの性能には、IoT、IoMeT=Internet of Medical Things、
この社会的な存在=効能が実装されることで、
デジタル・アッサンブラージュとしての機能が生まれます。
そして、病院や行政からの情報は診ることになり、
看護や介護を支援して、バイタルデータは、ビッグデータとして、
新たな医療・看護・介護を、さらに科学的な制度を向上させます。
観賞環境はTV・CATV・InternetなどこれまでのTV環境を進歩させます。
今回の「金の美」展では、こうしたことを、
デザイナー・出展者として、
表示プレートにしました。
これがこれからの次世代デザイナーの目標になることを期待しています。

* 『診る・看る・観る・視るを取り囲む安全と安心の環境』
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』
* 「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」
* 『何がデザイン思考かは終わったのだ』


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『ペンホルダーある組み合わせの筆記具は自分表現』


   


     8月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

自分にとって、筆記具、特に万年筆・ボールペン・ローラーボールは、
いつも組にして持ち歩いています。
それは自分なりのファッション性=スーツやジャケットとの整合性です。
そしてこれらの筆記具は全て優れた性能性・効能性・機能性が私判断での
選択眼の証拠でなければならないという考え方を表現しています。
たとえば、筆記具を選ぶときに、これらの筆記具を見せれば、店員さんの
筆記具知識は明確にしてしまいます。
理由は簡単なことです。
それは筆記具の歴史性をすべて知り尽くしていることを表しているからです。
これら筆記具を見せてこれらに匹敵する店舗の知識を確認出来るからです。
二本入りのケース色も、ファッションの原点であるTPO、
自分にとってTPOなどは決してファッション要因であることは否定ですが、
一般的にはわかりやすいからです。
最近はファストファッションの商品が一般価格になっていますが、
男にとってのスーツやジャケットにはペン差しがもう廃止されています。
自分にはこの傾向を悲しんでいます。
胸ポケットに万年筆を差し込むのはスーツに基本としては大失敗なのです。
夏は真っ白のこのペンの組み合わせには、
フォーマル性もカジュアル性も存分にあります。
これこそ、Consilienceな知性表現だと認識しています。

* 『ファッション誌で知ってさらに自分ファッション』
* 『持ち歩いてるペンたちが語っている文房四宝』
* 「景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している」
* 「モードからファッションへ、そして遡及する記号の再生産」
* 「やはり、持ち物はブルーが基本」


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6月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

6月29日 大安(壬午)

コンテクストへの発想は
「ライン手法」でなければならない。
なぜなら、
ライン的な発想には
ストーリー性という歴史性と
議論や変数的なアーギュメントが
必須である。

川崎和男の発想表現手法


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『日沈む景観であっても景気はデザインが主導する』


   


     6月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

大阪城は現在、大阪谷町に残っています。
秀吉は日いずることと日沈むことの両方見ていたのだと思います。
大阪には夕陽丘と名前があるごとく、
日沈む美しさ、その「景観」の歴史性があります。
自分自身すでに大阪に住んで10年です。
そして自宅からは日沈む「景観」を毎日見詰めているのです。
遠方には瀬戸大橋や大阪湾までが見えるときもあります。
この10年大阪の景気は低迷を連続し、しかも大阪は犯罪が最多。
この10年大阪そして関西の景気は、少なからず行政力低下が、
「景気」刺激無能と、断言できると考えることが可能です。
理由は、産業の基盤である「金型づくり」は、
国内では25%のシェアを持っています。
ちなみに、関東62% 東海1% 中京12%で、技術力は中京です。
このことは自分が大阪にデザインの焦点を合わせてきた見通しでした。
大阪そして関西が例えば兵庫県の地場産業は他県を圧倒しています。
それなのに「なぜ、景気がこの低迷?」という理由を
昨日、この関西軸でデザイナーたちと対話をして、
関西のみならず日本全体での産業とデザインの関係を再整理しました。
無論、関西地方だけではなく、
日本全体のデザインと景気への期待観が終わっています。
しかし、自分が天職としてきた特に工業デザインにおいて、
決定的にある経営者から学ばされたことは、
「川崎さん、要求されるデザイン対価がこれだけなら、
デザイン料を2倍にすれば、デザイン効果は2倍になるね」、
この提案に震え上がった経験があります。
無論、この企業に不況の時代は皆無であり、業績はずば抜けています。
最近、デザイナーの若手は中国での仕事に惹かれているのは当然です。
若手から私にも中国依頼の仕事への参加を伝えてもらいます。
このことには「デザイン=策略」としている策略的な一党支配が明確です。
比して若手デザイナーの仕事を先人デザイナーが奪うことに平然たること、
さらに、盗作平然たることは絶対に許してはいけないのです。
「景気」を根本で変動させるデザインの再成立をめざします。

*『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』
*『高層は50階以上がいいようだ』
*『景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している』
*『悪夢は醒めたのだろうか・・・・・』
*『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


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『新たなフォトコラージュはカオリンの磁器に展開』


   


     11月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

インテリアデザイナー森田恭通氏パリ個展は、
歴史的には二つの大きな意味をもってしまったようです。
まず何と言っても、彼のデザイン拡大化計画の実現は、
自分が写真家として「Porcelain Nude」を撮影して
私の判断ではフォトコラージュ的なお皿磁器に展開。
その制作依頼もフランスと言えばの磁器ブランドである
リモージュ磁器であり、その窯元BERNARDAUDでした。
なぜBERNARDAUD:ベルナルドでなければ、ということがあります。
それは世界中のシェフたちにとって
重大なレストラン使用皿の効能性でした。
陶磁器といえば、CHINAと呼ばれ、それは中国景徳鎮です。
しかし、欧州ではボーンチャイナと呼ばれる白い磁器がありました。
ところが、見逃してはならないのはフランスであり、
白い粘土と言っても、石粉粘土ゆえに磁器となるカオリンの発見でした。
ボーンチャイナという骨の粉を混ぜるというよりは、
もともと白い粘土 – カオリンの存在は、白い磁器を完成させたのです。
ドイツの製陶技術でも秘策はカオリンを使うことでもあったようです。
いわゆる「真っ白いお皿」は料理を配置するキャンバスだったのです。
そこを森田恭通氏は、特にレストランデザインにおいて、
シェフたちが最も好むお皿に、フォトコラージュ的な
グレーから黒のグラデーションを
カオリンの白皿に革新的手法を発表しました。
そして、もう一つの歴史性はパリでのテロリズムで
非常事態宣言によって個展の中断を余儀なくされたことです。
が、私はかえって中断されたことで
ますます森田恭通氏のカオリン磁器へのフォトコラージュを
「見たい・触りたい」という要求を高めたのだと思います。
おそらく、シェフ達の料理は、白と黒が最も明快ですが、
彼は写真によって、グラデーションをパターン化させるコラージュを行い、
なぜ、リモージュ磁器という欧州最高的な代表磁器ブランド、
その中でも、シェフ達が絶対条件としているベルナルド窯元なのです。
最もカオリンという白い粘土磁器に、白から黒へのグラデーションは
料理人達にさらに革新的な料理、
しかも一流レストランへ向けた提案でした。
彼の個展で、
写真パネルではプラチナ仕上げをめざしピエゾプリントを行い、
そしてカオリンにグラデーションを与えることは
デザインからの提案が、
料理人達にもっともっとレストランのあり方への問題提起でした。
私は森田恭通氏に「日本でもやったらどうですか」と言い残しました。
日本には、磁器の歴史と陶器の歴史が混在しています。
だから陶磁器と呼ばれ、
六大古窯は、すべからく陶器と華道での価値判断がありました。
磁器の世界は、秀吉の朝鮮征伐で連れ帰った磁器職人の仕事でした。
森田恭通氏は世界的なレストランの空間とそこに存在すべき食器に
彼ならではのフォトコラージュを世界にむけてパリで発表したのです。
レストラン食器への非常事態を投げかけたのでしょう。


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