kazuo kawasaki's official blog

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2月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 7th, 2010  Posted 9:00 AM

2月7日 大安(戊子)

メディアテクノロジーの進化で産出される
モノの虚構化にも、デザインは加担できる。

デザイナーは、この虚構性に対しても
「民」=盲目であってはならない。

『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義


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1月10日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 10th, 2010  Posted 6:00 AM

1月10日 赤口(庚申)

眼=まなこは、
目の具体的かつ抽象的文字として、
民という形態を含んでいる。

『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義


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1月9日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 9th, 2010  Posted 6:00 AM

1月9日 大安(己未)

瞳に針を突き通す。

想像しただけで、目の奥まで
衝撃的な痛みが走るような気がする。
春琴抄の話ではない。

民とは目に針を通された盲目の人である。

『プラトンのオルゴール』
デザイン・対・民主主義


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『資本主義からの逃走』
 「タミとカミに宿っている倫理性からのイデオロギー」


   


     10月 12th, 2009  Posted 8:00 AM

日本人に限らず、
民族の原点は「言語」「言葉」でしょう。

私は「民」という漢字本来の怖さを述べました。
「民」・ミンというのは、
目を突き刺して盲目にする
という意味があったということです。
そして、
もう一つは「民」は「タミ」というパロールです。

日本語を原点とすれば、「民」と「神」は対峙し、
神と民との構造が
「生き様」を決定づけているというのは、
全世界観に共通です。
それは、
人間が存在しているという原点では
神の存在の確信や信仰があるということになります。
したがって、
「民主主義」に対する「宗教観」が宿るのは、
人間存在の原点を見出そうとしたのでしょう。
「民・タミ」は「神・カミ」との関係の中で、
世界の歴史が、パロール(会話性)を
語り継ぐためでした。
そのためには、パロールを
ラング(定義された辞書的語彙)によって、
勝者あるいは支配者のディスクール(陳述)に
配置してきたわけです。
「生き様」の連続・連鎖を勝者容認するのが歴史でした。
私は、その連続性・連鎖性の歴史観に
「民主主義」の正当性や性善性を
世界観として資本主義の民は
納得してきたものと思っています。
その「生き様」を
制御し、
管理し、
運営し、
維持するには、
「資本主義」が、正しく、
「神・カミ」と「民・ミン」の関係には、
倫理感が生まれたのでしょう。
その関係=構造に「宗教性」を規定することで、
明らかに、
イデオロギーと宗教の関係論は
必至だったものと判断しています。


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