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「デザインは機能美ではありえない」


   


     11月 20th, 2012  Posted 12:30 AM

未だに、商品が語られるとき、
「デザインと機能が云々・・・」という表現が余りにも多過ぎます。
デザインには、すでに「機能」は内在しています。
したがって、この場合は、
「デコレーションと機能が・・・」に言い換えるべきです。
日本には、戦後、「デザイン」という言葉は、
洋装やファッションで用いられることが今日まで影響しています。
そして、もう一つは、
「機能的なモノは美しい」とか、
「機能美がデザインの目標」などというのも間違いです。
「この車はカッコいい」
「この車は機能美に溢れている」
「この車の性能は優れているがデザインがいまいちだ」などなど、
これはとてもヒューリスティックな会話=パロールですが、
私は、デザインには「性能・機能・効能」があると言い続けてきました。
だから
「性能が優れ、効能という社会的効用があり、使い勝手としての機能」、
これらの統合があって、
はじめて「デザインが出来ている」と考えています。
「この車は速そうな格好をしているからカッコいい」というのは、
論理性を失っています。
「速い車」、というのは、
「速度が存分に性能性があるから、目的地に速く着ける」、
この効能が社会的な効用であり、そうした速度性があっても、
運転などの制御性や安全性が機能的に完備している。
これがデザインが果たす職能効果です。
そして、速度感を表す形態・流体力学的な性能・機能が、
その車が社会に存在している効能性だということです。
さらに、そうした車を所有できる社会的な階層がイメージできるとき、
その車はすでに「商品」ではなくて「記号」になっているということです。
性能・機能・効能が形態言語=designed languageになるためには、
その「記号がすでに意味していること」を社会が認知していることです。
すでに「商品」としての車は、
「記号」として存在性があるイメージの中にあるということです。
「速く目的地につける形態」だから、
速そうという性能、
速いから制御と安全性が確保された機能、
だから、社会的な存在価値が効能になっているということになります。
「デザインとは何か」ではなく、
「性能・機能・効能が統合的な記号になっているのがデザイン」、
これが私のデザイン、その本質的な定義です。


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