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Posts Tagged ‘無理難題’


『「Consilience」概念定義のための書籍はここから』


   


     8月 15th, 2014  Posted 12:53 AM

「先端的」、「医工連携」、「融合化」、「統合化」とは、
企業や大学では当然のごとくタイトル化され、いかにも未来性とか、
これは明白な大嘘です。
「先端的」に、先端性など見たことがありません。
「医工連携」で確実な「商品」など存在していません。
「融合化」は絶対にしなければなりませんが、概念不足甚だしく、
「統合化」の困難さを知れば知るほど、無理難題が浮かびます。
企業デザイナーから出発し、身体障害・心臓障害を認定された私は、
絶対に「嘘つき」にはなりたくないことを信念にしてきました。
しかも、大学環境でなければ生きられない人間を沢山見てきました。
大学が輸出産業に寄与しているコト皆無も確認したでしょうか。
不必要な大学だらけのわが国です。
そして、財団法人とか社団法人には、税金逃れと天下りを一杯知り、
こうした学府や組織が、国家形成をしているとは全く思えません。
かって「焚書坑儒」というコトがありましたが、
私はその心境にならざるをえない書籍も山ほど見てきました。
だから「勉強」することこそ「人格を形成する」というこの盲信性、
勉強すれば人格形成できたと思える人物には、まるで実績皆無です。
いい加減なデザイン、デザイナーには「喧嘩」を恐れません。
これから、「コンシリエンスデザイン」で、
真の先端性・医工連携・融合・統合を再整理します。
それは、明らかに「実績実務」をこの世界に差し出すためです。
1603年アカデミア・デイ・リンチェイ=Academia Die Lanceが、
最初に「見えざる大学=invisible college」を提唱し、
専門分化された領域が提示した融合と統合による「パラダイム」。
これはまだ未完のままゆえその画期的な概念やデザイン方法論こそ、
「コンシリエンスデザイン」に成るものと確信し、
その定本的な書籍から勉強ではなく、認識力を獲得します。


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「U4(UFO)だった、わが研究室」


   


     10月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM

大阪大学吹田キャンパス構内のU4=UFO、
ここにわが研究室・平屋建て一棟があります。
来春退官となると、ちょうど潮時だという感慨があります。
その最大の理由は、
もはや私のような「デザイナー養成教育法」は時代遅れのようです。
それは、ほとんど今流のパワーハラスメント的であり、
怒鳴るわ、人格否定はすらわ、とんでもない「やり方」(自覚認識)は、
現代の若者には通用しなくなってきていると、つくづく実感します。
私は19歳からこうした厳格な「実践=実戦」的教育を受けてきました。
インハウスデザイナー新人時代も、同様でした。
スケッチは破られるわ、徹底的躾(結構誤魔化し放題でしたが)、
到底理解不能な無理難題の連続でしたが、
それを真正面で受け止めて自分自身を苛めぬくこと、
それが出来て自己鍛錬ができたのだと思っています。
自己鍛錬を私は「精進」と自分に言い聞かせてきました。
車椅子生活になった直後は、
後遺症で鉛筆をしっかりと握ることさえできませんでしたが、
テープを指に鉛筆とまき付け、大したことではありませんでした。
「精進」あるのみで克服できました。
しかし、心臓障害だけは「精進」で回復させられるものではありません。
だから、
私のデザイン対象は身体内部へのモノデザインになったのです。
大学人になって17年間です。
17年というと、MacPower誌の連載も17年間で、
SSID=鯖江市での土曜日夜だけのデザイン講座も17年間でした。
私に与えられたなんらかの使命年間なのかもしれません。
来春からは、私の研究室には新たな看板が掲げられるでしょう。
そして、私の役割がもっと進歩させる役割になると思います。
新たな使命が与えられるのかは、
この半年に準備されることになります。
いずれにしても、
UFO=未確認飛行物体的な研究室が大阪大学に
7年間の役目が絶対に必要だったのだと思っています。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学の支障たる民衆主義に決別を」


   


     12月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

民衆主義の中のデザイン
一所懸命に向かい合ったと思います。
しかし、自力では無理難題に包囲。
賢明さだけでは解決不能が多発しました。
ということは、あまり懸命さと賢明さが不十分。
この不十分さを自分に押しつけることは辞めました。
こうしたことはワイフからのアドバイスで助けられました。
それでも肝心の「造形」というデザイナーの解決成果だけは継続させられたと思います。
未だに現役でデザインテーマも自分で設定し、
地道・蓄積・修練・研磨だけひたすら続けられたことは「幸運」だったと思います。
しかしこの一年、日本全体の不景気感は、デザインへの巨大な重力になっています。
これはすべからかく、「政治」がまともでないこと、
そのような選択をしている根本的な民主主義が民衆主義に覆い尽くされていることです。
したがって、本来、人間社会、世界的賢明さの歴史観が築いてきた「民主主義」の誤り、
それは「情報」で歪められる脆弱さと「情報力の巨大さ」です。
民衆主義を民主主義と勘違いしている現代世界観を覆す必要性がある、ということです。
「政治」がなぜ駄目なのか、この根本についての討議は民衆主義の中で融解しているだけです。
民衆主義に融解していく民主主義をつきつめていくことが、
いわゆるグランドデザインだと考えます。
来年のテーマの一つです。
その解答も「解決というかたち」を造形したいと思っています。
今年の実例で考えると、「なんとかデザイン」、つまりデザインの形容、
すなわち、デザイン職能の専門性と詳細性を決定する「なんとかデザイン」、
そのものをデザイナー自らに曖昧性と混乱性が増えていることです。
これも民衆主義的な中でデザインが語られることが頻発しているからでしょう。
特に、産業とデザインの関係性が、文化とデザインの構造化になかなか進化していません。
これが最も明快になったことです、これを来年のテーマにします。
つまり、民衆主義と民主主義を分別することです。
それは民衆主義も民主主義も両軸がもはや不要であることを、
「デザインの本質」に持ち込みたいということに他なりません。
これは今、わが国の存在、わが国に「生きる日常」すべてを皮膜している現実問題だと考えます。
民主主義を離脱するために、民主主義からあらたな主義を創造すること。
その根本が民衆主義に委ねきっている私たちすべての意識改革だと確信します。


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