kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘特集’


staffblog 7月2日


   


     7月 2nd, 2017  Posted 8:00 PM

7月2日

現在発売されております、
GQ Japan 2017年8月号にて、
川崎が現在お勧めしている商品が
取り上げられております。

様々な領域におけるエキスパートが
魅力的な商品をセレクトしている特集です。
是非、ご覧くださいませ。

Q 2017年のいま考えるインディペンドなガジェット・家電の回答
?川崎和男 デザインディレクター
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
● ULTRASONE Edition5 Unlimited
今ではスマホで音楽を聴くなどが当たり前になってきました。
しかしながら、インナーヘッドホンであれ、密封型のヘッドホンであり、大きな問題を残しています。それは「電磁波」と聴覚神経との関係は不明です。
そこで自ずと考慮が行き届いているヘッドホンは電磁波を一切脳に影響を与えない企業が表れました。
このヘッドホンは超高額なヘッドホンですが、音質と電磁波の関係を最も研究された成果を残しています。デザイナーのプロとして、オーディオのプロとして、現代性においては全くほとんどのメーカーが気づいていない電磁波と身体性・脳との関係が考慮されたモノとして推薦をします。

*参考(私のブログでの紹介)
「アレロパシーとしての電磁波を制御せよ」

● SONY サウンドバー(HT-NT5)とスピーカーシステム
液晶テレビはすでに4Kと呼ばれるほど交際密度な画面が技術的に進化しました。そして、ホームシアターと呼ばれるように音響関係も進化がしています。それはWi-Fi環境や、Bluetoothがバージョンアップされて音響接続を成し遂げてきたことです。
結果、「ワイヤレス化」が成し遂げられたことで、大量のコード接続がから室内空間が無線化したことである。
無論、たとえば、これまでの5.1chや7.1chでの機器そのモノも最薄化と小型化されることで、インテリアが簡素化に向かっているとプロとして判断評価しています。

*参考(私のブログでの紹介)
『サラウンド形式ゆえに3.3chと呼びます』

● Philips Hueブリッジ
これまでの照明が電球からLED照明になったことは文明的な進歩だと思います。LED照明はこれまでのランプスタイルからテープコードなどの形式も変えました。さらにWi-Fi環境での照明経済性を長期化と低減化となり、スマホでのアプリケーションによって効能化を図り、照明色彩や色温度までを人間の行動との調和性を変更可能とする機能性にまで至ったことです。
一つ残念なことは、日本が本来は最も得意とする青色LED発明をしたにも関わらず、生活シーン毎との照明自由度のアプリケーション開発や、照明スタイルとのライフスタイルが海外メーカーによって成し遂げられたことです。
つまり、Wi-Fi環境や無線化、スマホでのアプリケーション開発が日本の産業になるべきだと考えています。

*参考(私のブログでの紹介)
「照明の文化論としての陰翳礼賛」


目次を見る

『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』


   


     12月 29th, 2015  Posted 12:00 AM

1984年は私にとって一つの大きな区切りの年でした。
それはAppleからMacintosh 128kが登場したことでした。
それまで、Apple?やコンピュータに興味をもちながらも、
このコンピュータの登場は、やがて私がこのパーソナルコンピュータに
それも深く関わっていく起点の年であったことです。
国内の企業にいくつか関わり、
その愚痴をApple Japanでこぼしていました。
「川崎さん、米国に行くべきです。Apple社を紹介します」。
そして私はオレンジとブルーのMindTopを持ってクパチーノに行きました。
「プリエ方式」という二分されたノートブックスタイル、
「Big Blue」を引き離すという意味、
これは当時、IBMを指すスラングでした。
私が驚いたのは、GRiDがクラムシェル型という手前にキーボードで
マグネシウム合金筐体=これはMoMA最初の携帯PCの登場でした。
これは友人・故ビル・モグリッジのデザイン。
キーボード位置は完璧な特許でした。
A:「なぜ、君のはキーボードが奥にある?」
K:「GRiD特許は避けないといけないのです」、「なるほど」。
A:「なぜ、トラックボールが手前で中央?」、
K:「マウスを裏返した造形です」。
沈黙の後に、私はコードネーム「ASAHI」を見せられました。
CEOジョン・スカーリーとアラン・ケイの前でのプレゼでした。
それからの闘いは、デザイン部門と技術部門の激烈な闘いの連続。
世界で最初のPowerBook100を生み出す現場で、
東洋人とWASPの闘いの中での日々でした。
福井でのデザイン活動は、「メディアインテグレーションの具体化」、
七つのプロジェクト=東芝との共同開発を抱えていました。
シャープとのNewton開発帰りには、メンバーが福井で打ち合わせ。
呼び出されると、私はクパチーノに出向いていました。
東京はちょうど「バブル経済のど真ん中」であり、
私には東京は狂っているとしか見えない情況。
福井 – クパチーノ、クパチーノ – 福井でのプロジェクトが
すべて中止になったのは、ジョン・スカーリーが、
クリントン大統領就任とともに、Apple社退任になった時でした。
DeskTop→LapTop→ PalmTop、だからMindTopという論理は、
金剛界曼荼羅が思想背景が明前とあり、
曼荼羅論はすでにスカーリーはすべて理解してしまっていました。
東京で会い、箱根でも打ち合わせが連続していました。
私の「Go a head, make my Apple!」が
プレゼンテーションではもの凄く受けました。
私のMindTopは、意匠権は20年で消滅しましたが、
この図面は、私の作品集で著作権となり、
国内雑誌にも特集、TVでも紹介されました。
GRiD社のキーボード配置は、
その後の技術でキーボード仕様は大きく変化。
今や、手前にポインティングディバイスで、
キーボードは後方が当たり前になりました。
PCの技術進化はクパチーノの現場での詳細な経験は深い思い出。
未だに、私のコードネーム=Jeepは実現されていません。


目次を見る