kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘理想’


6月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 16th, 2021  Posted 12:00 AM

6月16日 大安(乙未)

『元気としてのデザイン』

次世紀に
夢や理想を
つなげない状況が
蔓延している。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

6月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 4th, 2021  Posted 12:00 AM

6月4日 先負(癸未)

『顕正としてのデザイン』

イデオロギーで
論理化された理想は
幻想でしかなく、
対決概念を
止揚しようする
具体的行動は
幻覚でしかなかった。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

5月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 14th, 2021  Posted 12:00 AM

5月14日 赤口(壬戌)

『観念としてのデザイン』

一方、
気づきながらも
利己保身を
謀ろうとする者の
陰険さは、
責務として
理想の実現をめざす人に
向けられる。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

4月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 22nd, 2021  Posted 12:00 AM

4月22日 先勝(庚子

『始計としてのデザイン』

悲観的になってしまえば、
明日への
理想も夢も
自らが閉じ込め、
結果、
自己喪失は免れない。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

4月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 3rd, 2021  Posted 12:00 AM

4月3日 大安(辛巳)

『誌論としてのデザイン』

「かたち」の創出に
理想を掲げるデザインが、
歴史に飛び込まなければ
ならないのは、
この操作と
闘争するためである。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

9月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 21st, 2020  Posted 12:00 AM

9月21日 赤口(丁卯)

『技術としてのデザイン』

しかし、
総体としての技術による恩恵は、
現代を基点とした次世紀への
理想を技術的に
駆り立ててくれるものでもある。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

8月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 3rd, 2020  Posted 12:00 AM

8月3日 先勝(戊寅)

『分別としてのデザイン』

文化とは
無知と差別への見識闘争であり、
それだけに
「分別としてのデザイン」は、
我らが東洋の理想に
対象化出来るジレンマからの
開放の論理となるだろう。

artificial heart:川崎和男展


目次を見る

3月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 10th, 2020  Posted 12:00 AM

3月10日 大安(壬子)

それでも、
その言い訳=デザイン意図には
理想や詩的な豊かさは
不可欠である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』14 意味論としてのデザイン


目次を見る

『車検がビデオで届くと、なぜ、まだこんな状態か』


   


     12月 5th, 2018  Posted 12:00 AM

車検のビデオが届きました。
現状の愛車の状態と検対象箇所が映像で確認できます。
これが届けられると、美大時代の塗装等の実習の思い出が
見事に重なってきて、もっとこの部分知りたい、
なぜこの箇所を確認しないとかが気になりはじめ、
フィルター取り替え、消耗部品の買い換え時期とか、
仕様のやり直しとついつい追加指示をしてしまうのです。
正直、私の愛車、おそらく「人生で最後の車」でしょうが、
デザイナーとしては、
「もういい加減、車体のデザインは変えよ」という願いはあります。
愛車と、デザイナーとして理想の車とは、
まだというかいつまでも乖離しています。
デザイナーゆえに理想を追い求め続けるのでしょう。
なぜ、いつまで経っても、ソファの如くとか、
カーボンファイバーゆえにエコロジーは全く無理だとか、
もうすでに車のデザインが限界に来ているということです。
私は、これまで国産車は一回も乗ってきませんでした。
アメ車の「モンザ」から始まり、枚挙に暇なく・・
何しろ私の移動手段は限られてますのでイタリアやドイツ車、
そして映画に憧れ、最後は007のアストンマーティンにしました。
しかし、デザイナーとしては、この実装では駄目だと思っています。
また私仕様の運転補助装置の改造は、制度からやり直しが必要です。
大学人になって、カーデザイナーを育てて来ました。
カーデザイナーとして2?3年はそれぞれ、
海外研修機関の機会を得て活躍しています。
私はおそらく最高の車を乗ってきました。
これはとても幸福なことでした。
私の人生では残念ですが、ヘリコプター、ビジネスジェットは
とても手が届かなかったし、
最も欲しいと思ってた戦闘機は手に入らなかったのです。


目次を見る

02月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 25th, 2018  Posted 12:00 AM

02月25日 仏滅(戊子)

プレゼンテーションとは、
ある理想を実現化するための
最終段階ではない。

ただひとつのスタート地点に
過ぎないのだ。

『プレゼンテーションの極意』与えられた機会への感謝を忘れてはいけない


目次を見る