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「松岡正剛『ち』の根源=漢意による決定」


   


     5月 30th, 2012  Posted 12:00 AM

松岡正剛は「連塾」のみならず、
ことばの定めとして「漢字原意」をよく語ります。
私も常に追い求めてきたのは「漢字の系譜」でした。
小学校時代に、藤堂明保博士の講演を聞きました。
しかも、藤堂博士は何度も福井にみえていたようです。
私は転校した小学校でも、また、講演を聞いたのです。
そして、父からも書における、
たとえば「月」という漢字の書形には、
形(天体)と容(身体)があることを教えられました。
書家であってもこうした表現への無知が増えてます。
私は40代になって、ようやくなぜ、
藤堂博士が福井での講演をし回っていたのだろうか、
その理由を推測できるようになりました。
漢字の解釈、甲骨文字から説文解字や金文体解釈などにおいて、
藤堂明保と白川静は正面衝突する解釈論議の真っ最中だったのです。
二人の対決は学者域を超えるほど凄まじいものであったことを知りました。
そこで、藤堂明保は白川静の出身地・福井で、
小学生に向けてまで彼の自説をアジテーションしていたのでしょう。
私は当然、ふるさと福井の偉人である白川静をこよなく敬愛し、
彼の著作はほとんど読破し収集していると思います。
そして、中国の象形文字解釈にまで自説を展開した白川静説こそ、
「漢字の原意」だと盲信してやみません。
松岡正剛氏も、結論として「漢意・古意」として、
その基盤を白川静説を確信しています。
そして、白川静についての著作、
漢字解釈の入門「白川静」決定論を書き上げてしまいました。
松岡正剛氏と「白川論議」は、
幕末論に至り、特に「橋下左内」にまで及びます。
なぜなら、白川静氏は「橋本左内」についても、
相当な研究者であり、橋本書簡の収集もされていたということです。
さて、今や中国語の漢字は省略形になってしまい、
「漢字」に込められた思想の根源を完全喪失しています。
私自身はそう思わざるをえません。
象形文字に込めらた思潮の根源は、
すべからく「白川静説」をもってこそ、
これは「東洋の思想・哲学」の根本を決定していると断言します。


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『資本主義からの逃走』
      「もう一度、漢字と『書』へ」


   


     11月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

甲骨文の象形文字
私の思考には二つの文字・記号があります。
一つは漢字です。もう一つは記号です。
デザイナーですから、designare=de+sign=do+signです。
そのまま私の思考の源には漢字があり、それは甲骨文の象形文字から始まります。
私は日本人ですから、文字=漢字が大好きです。
漢字とともに思考も文字的思考に覆われてきたと理解しています。
甲骨文に表れる文字=漢字は殷代の記号です。漢字は記号だと思います。
それが金文になってくると、明確に漢字の形態が装飾化していきます。
図象文字は「書かれる造形的な審美性」になり、「美しい文字」が求められます。
『書』
幸いにして、私は子供の頃から硯と筆と紙は大好きだったようですから、
今なお、「書」は大好きです。
私は「書道」という感覚で「書」と向き合っているわけではありません。
「書道」というのは、やや息苦しさが正直残っています。
和紙と書体
さらに幸運なこと、それは、ふるさと・福井県には越前和紙産地があります。
日本の和紙は、この地から1500年前に広がったと言われています。
したがって、和紙についても私は現場で30代後半には「紙漉」を経験しました。
これは最高に幸運だったと思います。楮・三椏・雁皮の区別は触って舐めればほとんどわかります。
残念なことに、和紙は和風紙になってしまっているのは残念ですが、大きな理由もあります。
どうしても和紙は紙粉があって印刷には不向きなことでしょう。
話が和紙に言及してしまいましたが、
私は、メールの時代にあっても手紙を書くなら、和紙に筆をとります。
日本人であることの幸運さとしかもデザイナーである幸運さがあります。
地域主義の象徴は美しい文字
デザイナーとしては「スクリプト体」というトレーニングを受けました。
それは「カリグラフィ」が書けるテクニックも身体化できたことです。
「カリグラフィ」というのは美しい文字を書くという意味ですから、
「書道」と同等かもしれません。
私は、「書」・「書体」の歴史には、文化の基本としての地域主義が息づいてきたと考えています。
私はあらためて、「書」は、世界各地にあるそれぞれの国家文化の基本、
それこそ「美しい文字」を見詰め直す時期が来ていると判断しています。
それは、グローバリズムを支えるローカリズムの基盤としての文字であり、
「書」と呼ばれる「文字を美しくする」営為を再考することです。
この再考こそ、地域主義からグローバリゼーションへの手法の一つだと評価しています。


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