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Posts Tagged ‘盗作’


『二次審査へ、私の期待は「やり通す」ことでした』


   


     3月 22nd, 2019  Posted 12:00 AM

1964年の東京オリンピックのトーチは、
恩師の柳宗理氏のデザインでした。
学生の頃、その当時の話をいっぱい聞かされていました。
そして、私は東京2020のトーチの審査員に加わることになりました。
オリンピック・パラリンピックの審査会への参加は、
これまでの難航するデザイン関連の審査を知っていますから、
職能家としての信念と決意を持ってのぞみました。
東京オリンピック・パラリンピックのシンボルマークは、
私には突然のニュースでした。
一見して「なぜ、この形が?」、黄金比で見てもおかしいと思いました。
その後、いろんなことが重なり、彼の盗作が次々と発表されていきました。
ベルギーからは「著作権で闘う」と国際的な論争を生みました。
著作権は、無体財産権ゆえに、商標権で闘ってもまったく敗北です。
結局、シンボルマークの取り消しと、
業界団体から大衆まで幅広く反対運動のおきた国立競技場は、
政府誘導で「やり直し」でした。
トーチの審査会は4月に第一次審査があり、
多くの企業とデザイナーのチームから応募がありました。
それぞれのチームでデザイナーが代表してプレゼしていたので
デザインの力で何としても日本からレガシーとなるトーチをと願いました。
審査も問われるわけですから、
人間工学的な間違いや、機構設計の不具合を指摘したり
素材への知識不足、環境効率の認識、燃料機構の提案についてと
審査員全員が質問を繰り返しました。
やはり世界に通用するデザインは限られていることを、
あらためてプレゼを通して感じました。
「やっぱり、真にやりたい」ことが、
今回の大会へのコンテクストは見事であり、
「これが二次審査に行けば」というのが私自身の期待でした。

知的財年報2010


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『デザインとデコレーションの差別化は間違い』


   


     11月 11th, 2017  Posted 11:40 AM

私は思いついたらすぐにデザインをします。
そのほとんどにはクライアントはありません。
クライアントがあるからデザインというのは私には全く興味がありません。
だから、いつまで経ってもクライアントがあるという訳ではありませんが、
10年後、あるいは20年後に依頼があれば幸運なことです。
だから、作品集にはそれなりに掲載はしておきます。
先般も、あるクライアントから、この「時計実現していますか?」
「いいえ、全くです。」
「実現したらどうですか?」と。
しかし、それはもう無理だと判断しています。
なぜなら、これは盲人用の時計案でしたが、詳細な図面とモックアップまで、
確実にデザイン設計は終了。
けれども、EONEという素晴らしい触覚だけの腕時計が出現して、
(デザインが負けた)と思ったのです。
私のデザインでは、視覚的には液晶表示。
聴覚では、英語発声でした。
しかも、動作は二つ、視覚は表示窓の開閉、ボタンを押せば発声です。
しかも、「T」と「ト」はTimeと時計であり、同じ点字なのです。
今は、新しいディバイスは発明しています。
が、EONEというこの触覚時計は、世界のデザイン賞をほとんど受賞するほど、
デザイン成果・発明で、デザイン=問題解決がついていました。
最近、あるもう著名なクリエーターをTVでドキュメントを見て、
この人のデザインは勘違いしたデザイン造形だと評価していましたが、
なるほど、と納得しました。
それはデザインとデコレーションの区別がついていないこと。
デザインと機能がしっかりと差別されていることです。
したがって、センス不足を感じるのです。
なるほど、センスとデザインの適合性は難しいのです。
やがて、例えばロボットの進化では、
そんなロボットがあったというロボット史では残るでしょうが、
決してデザイン史でそのロボットは語られないと確信します。
私も生涯の限界が近づいていますから、
例えば、いくつかの審査委員長を次世代に任せたいので、
その選別を真剣にし始めています。
まず、盗作平然なデザイナーは排除します。
商品やデザイン成果では効能性だけで見ています。
それは「社会的・時代的な存在」が中心です。
そして性能は発明一点に絞ります。
効能性+性能性=機能性となりデコレーションという加飾性の限界を
しっかりと判断して、経済的な成果は美しさでの商品価値。
それは安全・安心・信用・信頼の統合が次の評価です。
デザイン審査の委員選定は私には明解です。
デザインの本質を知らない審査委員が余りに多過ぎます。

* 「モノの美しさにあるバランス性が決定要因」
* 『センスの有無が判断できる椅子と曲の選択』
* 『薔薇というシンボルから花言葉も消した問題解決』
* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『名作倚子であってもやり直しされている実例に学ぶ』


   


     11月 4th, 2017  Posted 12:26 AM

恩師である柳宗理先生は、シャルロット・ペリアン女史来日時に、
彼女のアテンド役によってデザインの世界に入りました。
東京藝大の油絵学科からデザインは生まれたという一つの歴史があります。
そして彼女自身がコルビジェの建築事務所では家具デザインの担当でした。
これは私の想像ですが、コルビジェに家具デザインを知らしめたのは、
彼女ではないかとすら思えてなりません。
したがって、建築事務所でも有能なスタッフが加わると、
その造形がガラリと変わることはいくつも実例を見てきたのでわかります。
それこそ、コルビジェの名作倚子は、実際は彼女のデザインだった、
そんなことを彷彿とさせてもらえる倚子が
日本を周遊していて、その倚子を再考、そんな想像をしています。
コルビジェの名作・シェーズロングという長倚子(左上)がありますが、
これはおそらくペリアン女史が担当だったのではないかと思うのです。
なぜなら、彼女は20年後に日本で竹素材によって、
この倚子を改良改変しているのです。
何と言ってもパイプ倚子を竹の弾力性を利用し、
しかもベースの木製部位も変わっているのです。
これはこのところ、ともかく150点ほど名作倚子を選び直ししながら、
コルビジェの倚子が進化していると気がついたのです。
ともかく、デザイン作品での名作は倚子の世界に顕著です。
私にも数点の倚子がありますが、なかなか名作としてデザイン史にという、
この思いを実現したいと思っているからです。
そしてとても大きな問題は、素材の経年変化があるモノは、
美術館の永久展示品にはならなくなってきたのです。
私の作品であるおそらく最も薄いスピーカーシステムは、
ウレタン素材が経年変化を起こすことから外されてしまいました。
今私の大きなテーマには経年変化を絶対に起こさないことと
リサイクルが確実に可能であることです。
死亡したデザイナーの作品を盗作して、デザイナー名を自分デザインにする
それはデザイナーであることの偽善者ですから、
やがてそんなデザイナーのデザインは全てが駄目になるでしょう。
シャルロット・ペリアンのデザインに学び直しています。

* 『人生が回転して再開、懸命だったあの頃』
* 『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』
* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』
* 『経年変化無し素材開発と道具使用を次世代に』
* 「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」


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『家具デザインの「家具」定義を変えるべきだ』


   


     9月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

若い頃は、ともかく思いつけばデザインすることに懸命でした。
それはなんとしても当時は「時間が無い」という身体的な制限でした。
ところが気づいたら40歳を超えていました。
東京からふるさと福井にもどったのは、
リハビリ病院で告げられた統計的な
20代後半での胸椎損傷者は40歳までという医師からの示唆でした。
正直なところ、それを感情任せに患者である私に統計表で言い放たれました。
まだ当時はインフォームドコンセント、それが認められている時代ではなく、
私がNewsweekを読んでいると、
「読めないくせに格好つけるな」なんて、
(こいつ、私が工場勤務というだけで、学卒と思わずよく言えるな)
この思いは今も心の片隅に残っています。
インフォームドコンセントの歴史性は医学部で講義をしてきたぐらいです。
ふるさと福井で自分から飛び込んでいった伝統工芸産地では、
ともかく様々なデザインの製品化をしていったのです。
これは越前和紙でつくり上げたオータキペーパーランドでの作品でした。
製品アイテムとしては家具ゆえに、海外展にも展示は搬送費で不可能でした。
さらに当時にはとても商品化は無理ゆえ、写真で実寸モデルを残したのです。
まず、私は越前和紙産地ながら当時、最高と言われていた土佐楮に
金粉の流し込み襖紙の製作から開始しました。
そして木製のいわば家具らしきモノには、ペーパーランドの皆が驚きました。
当時有名だったインテリア雑誌の編集長から、
「相変わらず激しいモノをデザインするね」と笑いながら、
「川崎さんのは、これ買えるなら買ってみろっていう家具だからな〜」って
言われる有様で、商品化には全くなりませんでした。
が、この構造はまだ誰も気づいていませんから、
そのうちに商品化をするつもりでいます。
家具デザインは現代でも進化の形跡はそれこそ新素材がこれほどあるのに、
まったく感心できるモノがありません。
それは家具は旧態依然これでいいという風潮があり、
大手それもびっくりするほど廉価な大型店では、模倣?いやもう盗作、
こうした商品が多くて、デザインが果たしている実装や構造構成が
本当に少ないと思っています。
それは日本の「環境デザイン」は建築よりでしかなく、
韓国KAISTでは「環境=ロボットとともに」ゆえに
環境デザインはロボット・AIを存在させる空間のデザインになっています。

* 「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」
* 『「森羅万象悉く紙なり」とは神と死に直結している』
* 『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』
* 「韓国の勢い・16茶より17茶という意気込み」
* 「KAIST・韓国科学技術院での講演」


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『代表的なシンボル作品が廉価のために失ったこと』


   


     6月 30th, 2017  Posted 12:00 AM

このサイドテーブルがモダンデザインだろうか、と私は考えてきました。
フランスで1930年代にインテリアとプロダクトデザインで、
当時の建築家にも大きな影響を与えたアイリーングレーの作品です。
彼女は元々アールデコのインテリアデザインに強く拘っていたらしいのです。
建築がコンクリートで無殺風景になりがちになることに、
デザインで、アールデコとデ・スティルをベースにしたデザイナーでした。
ただ活動期間は20年間であり視覚障害になったことから引退をしていたから、
引退後の1960年代からのデザインへの眼差し:批評、批判を探しています。
ともかく、サイドテーブルといえば、
このモノが現代も代表的なシンボルにさえなっています。
したがって、この作品が中国製で廉価になっていますが見分けられます。
それはこのテーブルのガラストップとその端面仕上げです。
最近ではガラスカットで端面処理加工無しは明らかに中国製です。
正直、このテーブルのモダンデザイン形式が
最高だと思っているわけではありませんが、
次世代の日本のデザイナーならば、ガラス端面の仕上げは必ずテーパ無しを
デザイン仕様は遵守して欲しいのです。
日本のモノづくりは、今では私には、
明言すれば「安物づくり」で日本のモノづくり産業は不要です。
ところが、最近では世界的なデザイン賞授賞作品にも、
確実なデザイン仕様がおろそかなモノが出てきました。
家電業界が終焉し、やがては車業界も危うくなると私は予測しています。
もはや私はデザイン審査の機会がかなりあります。
しかも審査委員長であることからも、
ほぼ十年ぐらい前には、ともかく日本製がほとんど入賞してしまい、
海外製をなんとか入賞させないと、
この業界が国際的にならないと、気を回したものでした。
ところが最近は日本製が見当たらないし、盗作は絶対に許せないほど、
日本のモノづくりが低迷しているのです。

* 『若手デザイナーの海外個展を応援する』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 『日本の経済界には「伯楽」がいなくなった』
* 『今年度最終「KK適塾」で基幹産業を紹介する』
* 『Max Billの賞杯があったことを思い出した』


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『先輩は77歳での出版、恩師88歳の喜寿の会企画』


   


     6月 25th, 2017  Posted 12:00 AM

一昨日は、日本中が元アナウンサー、
その彼女の逝去に人間の悲哀と夫・歌舞伎役者の言葉を受け止めました。
その日、金沢美術工芸大学の工業デザイン専攻の先輩と後輩たちで、
同窓会と先輩77歳記念の「野次喜多本・喜多謙一の出会い百景」完成と、
恩師である平野拓夫先生88歳お祝いの会企画、打ち合わせをしました。
金沢美大の工業デザインは日本の工業製品、
車から精密機械、家電に至るまでを最も美しくデザインしてきました。
日本で最も小さな公立大学ですが、私たちの世代の先輩・後輩関係は、
それこそ、恩師の厳しいデザイナー訓練を受けた関係は伝統的な絆です。
おそらく、FBでのネットワーク充実ぶりも国内では最高の関係でしょう。
先輩である喜多健一氏は元ブラザーのデザイン部長であり、
私の先輩としては10歳年上ですが、
名古屋時代もお世話になり、さることながら77歳にて出版もされました。
私もその本で紹介もされましたが、
常に先輩の指示には何をおいても後輩自覚とデザイナー技能自信、
そして、日本の工業デザイン界ではトップ意識と誇りを守ってきました。
しかし、残念ながら現在の金沢美大にこの伝統があるかというと、
私見では、「すでに美大でのデザイナー育成は終わっている」のです。
現代の工業デザインはカーデザイナーを志望しながらも免許が無いとか、
他美大では、平然とした盗作も多くてやがてこれは国際問題かも心配、
私は未だに大学人であるとともに現役のデザイナーとして、
恩師達と先輩達にはこの伝統を遵守しています。
かねてより喜多先輩の人的交流の大きさは知っていましたが、
帯文が宝塚出身タレント遼河はるひ女史であり、
それこそ歌手の松田聖子さんの結婚式にまで出席されていたのでした。
空手部の先輩でもあり喧嘩早い私を何かにつけても私の支援者でした。
そして日本に最初のデザインを戦後最初の国費留学生、平野先生88歳、
喜寿の会を先輩の提案を支える一人になりました。
金沢美大、先輩と後輩そして伝統的な日本で最高だったデザイン教育を
改めて先輩の「喜多謙一の出会い百景」で学び直した一日でした。
恩師平野先生から、私は日本デザイン界の様々を引き継いでいます。
それも喜多先輩たちや後輩たちからの支援あってのことです。

#「野次喜多本・喜多謙一の出会い百景」
株式会社ギャラリーステーション
ISBN978-4-86047-265-8

* 「最も小さな公立大学・金沢美術工芸大学70周年」
* 『開学70周年「金の美」展の自分デザイン作品展示』
* 『工業デザイン教育での「手」のトレーニング』
* 『金沢美大には伝統的なアノニマスデザインがあった!』
* 「司法最高権威のインテリア=恩師の作品」
* 「誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決」


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『歴史的な条項言説を正しく使用しなければならない』


   


     1月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

私たちは時々、常に知的な常識を表面的な記憶ではなく、
その真意と深意に立ち戻らなければならないと思います。
その最大の理由は、表面的な意味に縛られていて、
本当はなぜ、
歴史的にも私たちには再検証しておくことが必要になるからです。
それは、時代、時流での人間の意識には、
性善説の人たちと性悪説の人たちの
とてつもない嫌な社会的な衝突があるからです。
私が今、自信をもって断言出来ることは、
この時代は、いや21世紀に入ってから、
デジタルの世界・インターネット時代は
それほどでもなかったのに、おそらくSNSが人間社会を二分したのです。
それは世界的にも、自分勝手さが放置されるとともに、
その放置は宗教哲学的にさえ、食い止めることができなかったことです。
今、世界は地球は地球市民とかに性善説な世界観を与えていますが、
実は、ナショナリズムが各国で台頭してきて、
グローバリズムなんて嘘だとは言ってはいけない風潮があるのです。
世界全体を見渡して私の評価・判断を言うことはむずかしいですが、
私の世界、それも日本のデザイン界を眺め渡すと、
物真似?、コピー?、いや、盗作が平然と起こり、
さらには未だに「デザインとは何か?」、この低レベルな発言や講演は、
デザイン教育にまで及んでいることです。
そこで、私が自分の歴史的な知的な深度ある常識を
性善説も性悪説も超越した、古典的な記述を投げかけておきます。
ハンムラビ法典の196/197条?項目、
「目には目を、歯には歯を」という懲罰条項を思い出し、
その真意と深意の正当な報復の現代解釈を持ち出しておくことにします。
「かわいいはデザイン評価にはなりえない」
「工藝とデザインの美学性の正当性を語り直す」
「デザインコンテクストの商売利用」に、この条項を与え直します。

* 「テロという名の殺戮に怒りを込めて」
* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」
* 「グローバリゼーションはローカリズムの対極だろうか」
* 『民藝というレジリエンスデザインの源流は光化門にある』


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『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』


   


     1月 1st, 2017  Posted 9:23 PM

日本には十二支という暦があります。
昨年は申年であり、この年、世相はめまぐるしい事件が多発しました。
さて、今年ということなると昨年以上かも知れないと聞きます。
毎年、この年十二支「酉年」のシンボルを探します。
「酉年」となると私には鶏が思い浮かぶと同時に、
美大時代には、生きている鶏を2人が一組になって、デザインストロークで、
B3サイズでまず、徹底的なデッサンをし、それから平面、そして
立体にするという「スタイライゼーション」を
ほぼ一ヶ月間厳しい訓練を受けました。徹夜の連続。
最後はこの鶏をさばいてコンパをして食べましたが、現代では無理でしょう。
さて、今年の「酉年」、そのシンボルはいくつか見つかりました。
特にモダンデザインでは著名な作品がありました。
そしてこの二人のデザイナーの仕事は「エッ」て思うほど、
ある素材に拘っていたのです。
ものすごく驚きました。昨年末に入ってようやく日本の基幹産業を発見、
「KK適塾」で発端を紹介し、今年からその詳細に入るとともに、
「基幹産業」の創成、その詳細を伝えていくつもりで、
昨年末もその実験を招聘教授と確認しました。
そうしたら、今年「酉年」シンボルを名作にした二人のデザイナーも
とても大きな興味を持っていて、まだそれらを実現したモノや、
新たな提案はありませんでした。
(そうか、やっぱりここに!)これが年頭の私の想像力になっています。
ついでながら、若いデザイナーは名作を覚えていない風潮があり、
そこで平然として、ジェネリックプロダクト、
これは盗作だということに無頓着になっています。
私は厳しく、こうした風潮に立ち向かう覚悟です。

* 『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
* 『ジェネリックプロダクトの盗用悪用が始まっている』
* 『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
* 『「造形思考」はイメージの表現=造形への音楽的理論がある』
* 「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


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『100円ショップの明晰さと確実に連鎖する美知らず』


   


     10月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

100円ショップで買ったいわゆる「孫の手」。
「孫の手」というこの商品は庶民の産み出したある意味では優れたモノです。
果たしてこの商品では工芸品とでも謳われれば10万・5万のモノもあります。
しかし100円ショップでも充分に使い勝手が行き届いています。
孫の手がデザイン対象にはおそらく決してならないでしょう。
問題解決の商品としては、背中を搔くことの応答商品であり、
ゴルフボール風の肩たたき機構さえそろっていて、
なおかつ100円ショップ商品ですから、きわめて日常品だと断定できます。
大手のそれも巨大な家具商品ストアに行けば、デザイナーなら驚くばかりの、
盗作だらけ、いやこういうのをジェネリックプロダクトと言うのでしょう。
自分のデザイナー倫理観、デザイナー正当職能観では、
決して許容できるモノ・デザインではありません。
けれども日常生活では自分自身もこの手の商品は自宅にあります。
何が応答商品か?ということで、考えれば、
いわゆる「使用感」だけがまかなえれば、100円ショップ商品で充分。
車や時計、あるいは万年筆などでは「所有感と使用感」において
確実に納得するモノであることが必要充分条件です。
それこそ、プロのデザイナーとしては決してジェネリックプロダクトも、
ましてや盗作などは非難どころか告発とさえ自分は職能倫理を守ります。
今年度のすでに制度となっている国家的なGマーク商品の選定では、
元審査委員長としてはなぜ?、コト重視?、仕組み重視?、美は?
審査委員資格としての問題解決での応答・回答・解答、
そして性能・効能・機能、価値性、未来創成と継続性の日本らしさは?
100円ショップ的な応答商品のそれこそ見事な羅列に、
わが国経済が存分な低迷を反映し、そしてその哀れさに心痛です。
明言します。
審査委員失格者は相当存分に「美知らず」が存在していることです。

* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』
* 『アンチテンションはコピーされている福井産の革新技術』
* 『愛着と愛用がデザインの全体価値である』
* 『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』


   


     9月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

リオのオリンピック・パラリンピックでは、
「日本製でなければ・・・」というスポーツ用品が
相当にありましたが、筆頭は何と言っても、卓球台です。
デザイナー・澄川伸一氏のデザインであることが話題になっています。
彼が来宅してくれて、疑問点を聞きました。
それは、水平度はどこで調整しているのだろうかということでした。
「やっぱり、そこだったんだ」で大納得。
最近は、日本のデザイン界で盗作が相次ぎデザイナーって腐っている、
こんなことを言われてしまいます。とんでもないことです。
ロゴのデザイン料が高すぎると市民運動になるとは、とても遺憾です。
彼のスタジオならロゴ周辺までの仕事がきっと満載しており、
デザイン成果は国際的です。ローカルならず行政のデザイン対価そのものが
実は未だに安すぎるのです。これには自分も反省をしなければなりません。
よくあの金額でOKであったとさえ評価すべきことです。
廉価すぎるというのがプロ=職能のデザイン対価とは海外から「なぜ?」です。
さて、あの卓球台はなんと恩師・柳宗理先生と天童木工での発明デザイン、
バタフライスツール、そのコンテクストがこんなに見事に適合していました。
これまでTVでも紹介されなかったこの話を聞いて、
先生が生きておられたら少しニヒルな批評あっても「凄い」の一言です。
なぜなら、かつての東京オリンピックでは丹下健三氏の代々木競技場、
ポスターの亀倉雄策氏が有名ですが、インテリアは柳宗理先生。
聖火台からトーチ、トーチ輸送装置器具は恩師・柳宗理先生の作品でした。
トーチ輸送装置器具はようやく消えずにアテネの火を守れた
発明的なデザイン輸送装置になったのです。
「建築とグラフィックデザインと工業デザイン」、
このそれぞれの個性を調整し勝見勝先生のデザインディレクションで、
世界で「デザインがオリンピックをまとめた」
最初のオリンピックになったのです。
なんとそのコンテクストがあの卓球台に
澄川氏はしっかりと受け継いだのです。
これまで、特に卓球台はコーナー処理や使い勝手で選手たちから、
不平不満の連続だったのですが、卓球台デザインのすばらしさは、
別途にメダルを合同企業に授与されたほどです。
しかし、これも記さなければなりません。
なんとGマークグランプリとは言わずとも、
Gマーク100に入っていないとは、元総合審査委員長として残念。
「コトのデザイン」からすでに35%?も通過?、
確かにあの制度は褒章制度ゆえ赤字。
受賞数のあり過ぎは大間違いゆえに、Gマークは認知度があっても、
国家的褒章制度は「破綻」しています。
日本のコンテクストでは「大物主神」モノの美神様からの指示で
「事代主神」コトを伝える、情報仕組みの神に伝達があったのです。
この見識無き審査委員に歴史のコンテクストを告げます。
もっと真剣に「美」でこその「モノの美」知識から
見識も悟識もある審査委員になってください。
デザイン界はまずは「大物主神」から
「事代主神」の代理役職能だということです。
デザイン界はもとより、ライバル心はあってもジェラシー心では、
「美」は創れません。目先の利益もあるでしょうが、未来の美が目標。
あの卓球台は柳宗理先生の思想を受け継いだ素晴らしい成果だったのです。

* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」
* 「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」
* 「ロンドンオリンピックでのハードとストロング」
* 『現代妄想には闘い続けなければ大間違いの世情になる』


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