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Posts Tagged ‘真摯’


『高齢者ゆえに「怒りのデザイン」があっていい』


   


     3月 9th, 2019  Posted 12:00 AM

私の叔母も、「買い物カート」を使っています。
私デザインで造ってあげるとは言い切れません。
おそらく、高齢社会での移動にはとっても大事なモノでしょう。
しかしデザインで「問題解決」が必要とされるモノです。
学校の卒業制作で、この「買い物カート」が、
調査、研究から操作、動作、かたちの
デザイン提案があればいいのにと、この時期は思います。
私のデザイン思想として、「喜怒哀楽」のデザインがあります。
「哀しみのためのデザイン」では、
スニーカーのような車イスをめざし「CARNA」を実現し、
MoMAやいくつかの美術館に永久収蔵されました。
しかし、今は電動車イス(20kgで重い)を使っています。
ところが国内では「使えないモノがデザインの最高賞」に選ばれています。
障がいには当然、個々に差があり、
腰での動作が必要となるこの機種は私などには使用できません。
私の意見を求めるべきだ、と開発途中で遠回しに話を聞きましたが、
結局、直接、連絡はなく、リスクを回避したのでしょう。
デザイナーで身障者で、
実際の車椅子を実現している人は企業でも少数しかいません。
真摯なモノづくりのために、アドバイスや協力は厭いません、
ただ、私はプロとして、正直で本当のことしか進言しません。
そして、先般も、踏切で「買い物カート」のキャスター前輪が
線路にはまり動けなくなる事故があり、幸い助かりましたが、
高齢者が利用するこのカートのキャスターの不味さがありました。
何としても高齢社会の移動用デザインをしなければなりません。
これは、「怒りのためのデザイン」と言ってもいいでしょう。


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『最高の音響を楽しんでください』


   


     1月 26th, 2018  Posted 12:00 AM

最近、なんだか連続で「オーディオ」関連の話が飛び込んできます。
その一つですが東芝EMIと第一家庭電器(DAM)の真摯な活動がありました。
東芝EMIと第一家庭電器も今はもう存在していません。
私自身、本当に駆け出しの東芝のデザイナーでした。
デザインもAurexに関わった仕事にはなんでも首を突っ込んでいました。
東芝EMIのプロデューサーが亡くなりました。
しかし、彼の遺書に「最も録音の優れたテープをDAMのディレクターに」、
この記述から最も優れた録音のマスターテープが現代に息が選ったのです。
当初は、ともかくオーディオマニアだけのDAMレコードの原音マスター。
これには東芝のデザイナーでありながら、45回転厚番のトラックダウンや、
バイノーラルレコーディングに、
いずれも「日本初」に取り組んできました。
正直に言えば、美大時代から「光と音」を対象にしたデザイナー、
これだけを生涯求めるデザイナーを目指してきました。
主任教授の推薦でともかく東芝、当時はまだ東京芝浦電気株式会社に入社。
シンセサイザーを目指していた私は、
総研(現・東芝中央研究所)で、鍛えられました。
音響生理学・モーツアルトのピアノ協奏曲
=楽譜と試聴・エレクトレットコンデンサー、
そしてアナログ時代最終のレコーディング。
音響はデザイン以上に学びました。
DAMレコードは今でも最高の音響音質です。
そのマスターがDADでユニバーサルレコードから、
ダウンロードが可能になったのです。
是非とも、「これが最高の音響」を楽しんで下さい。

● DAMオリジナル録音DSD11.2配信9タイトル一覧
● DAM45サイトTOP


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7月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 14th, 2016  Posted 12:00 AM

7月14日 仏滅(丁酉)

「想育」を鍛えるには
まず、経験をすることだが、
経験といっても
真摯な態度で
常に、「なぜか?」を
熟慮出来る能力が要る。

川崎和男の発想表現手法


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『女衒同族と羽織ゴロたる民法TVも国会も同罪である』


   


     1月 23rd, 2016  Posted 1:30 AM

敗戦後、米国がわが国に押しつけたのは「新憲法」でした。
その実現=民主主義(資本主義経済社会の大衆養成)具現のために、
用間=諜報の具が用いられました。
この記述が明言される時期が、
僕は到来してきたものと考えざるを得ません。
それには冷静な判断と3.11によって破壊されてなお、
全く正当さと釈然としない日本社会があります。
特に大誤解されている民法TVと、
その労働者であるタレントと呼ばれる芸能人、
その支配がまさに用間でしか無かったことを忘れ
なおかつ同族経営化での事務所と称した芸者置屋と
女衒同族の存在を僕は嫌悪するからです。
しかも、未だに民主主義のジャーナリズムを
構築できない民放TV局への怒りが僕にはあります。
SMAP=Sports Music Assemble Peopleというのは
とても上手い名辞です。
私なりにこの芸能人=タレント集団は、
S:スポーツ・M:音楽・S:アート趣味・P:演劇に
とても秀でたテレビ男芸者達でありそれぞれに優れた才能がありました。
しかし、用間の手立てでしか無かった彼らの労働成果は、
見事彼らの収入であるとともに、大衆への夢売りを成し遂げました。
よって、彼らが女衒同族からのパワーハラスメントは、
SNSはすでに終焉し始めているエセ・ジャーナリズムTV放映とともに
強烈に非難し、TVと週刊誌での経済効果の分配の構図は成功させました。
しかし、敗戦直後から配置されてきた芸能による労働意欲の洗脳継続は、
やがて大きな崩壊を迎えることを明確化しました。
SMAPの正当性=真摯に彼らの役割を果たすことと
彼らの労働条件への抵抗は全て葬られたのです。
国会で彼らの話題が至極真面目に取り上げられましたが、
これによって、
僕たちが政権から放置されている事態を知る人々が居るのです。
SMAPが女衒と現代の羽織ゴロと化した破滅間近の民法TV局は、
SNSで武装されている現代社会構造には無知過ぎます。
現政権も、本来、議論を徹底すべきは、
違法公然としたスキーツアーバス事故を
せめてSMAP同等なる国会議論を放映すべきでした。
そのバス事故で、15名もの社会構成を成し遂げる能力を
国会議題からも外していたのです。
無知なるTVジャージャリズムには期待もしていませんが、
国会こそ、超党派での議論を積み上げる術としての用間を
再考すべきだったことを書き残します。


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『モバイルバッテリーはやり直しが必要だ』


   


     9月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

一体いくつ持てば気が済むの、って叱られています。
私はそれでもモバイルバッテリーを次々と使ってきました。
mAhだけに拘らずに、結局はmWh容量ですが、
多分今では22400mAhが最大だと思いますが全く納得できません。
それはこれまで試用してきたすべてのモバイルバッテリーには、
大落胆しているのです。
バッテリーとしての条件は、いくつかありますが、
まず、電流・電圧よりも容量、容量があっても、
大きさと重量、そして急速充電性、堅牢さや経年変化です。
さらに大問題は、今回のあの洪水でも明らかになってしまった、
ハイブリットやEV車両のように電気の塊としての安全性です。
そういう意味では、ソーラー関係は無視しています。
これからの水素系も私は期待できません。
それなら、プラズマ発電でのモバイルバッテリーです。
私は基本的に、人類は「太陽の恵み」以上は望んではいけない、
だからソーラー発電にも期待はしていません。
再生可能エネルギーという、このエネルギー用語自身の矛盾に、
私は全然納得していません。
ところが、生きている現実では膨大過ぎる電力が必要です。
まして私は今ではすっかり電動リチウム電池駆動の車いすが私の足です。
一度、電動車いすの電源が失われると全く行動が出来ずでした。
私はエネルギーとは、水・食料・電力と思っています。
現代文明は「エネルギー社会の保全」につきているのです。
しかも、電流と電圧を保全し安全である電力確保こそ、
安心な日常生活になるわけです。
方法はまったく新しいヘリウム3やプラズマの人工太陽しかありえません。
私の行動、といっても、歩けない私には、
スマホとMacが動かなければ、行動が全く不可能です。
願わくは、モバイルバッテリーそのモノの、
根本的な素材=金とのイオン化傾向差を、
核融合させても安心と安全の確保です。
そして、私たちが電力容量を知っているのは「太陽光の恩恵」だけです。
これ以上を望んでしまった私たちが、
絶対に真摯に取り組む最も身近なモノ、
それはモバイルバッテリーだと考えています。
容量が大きくても、モバイル性があること、
それ以上に安全で安心な電力というエネルギー、その開発デザインは、
デザイナーにとって、最大のテーマになっていると私は認識しています。
それはソーラーパネルからのバッテリーでは絶対に違うと思っています。


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『羊年・あけましておめでとうございます』


   


     1月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

 

2015年になりました。
「光陰矢のごとし」ということが
論理的に実感できたのは、
60歳になったとき、
一年の速度は60分の一に過ぎていく
この論理はとてもわかりやすく感じました。
だから2015年は、
私が 66歳になりますから、
66分の一というスピードで
この一年を過ごしていくことになるのでしょう。
だから66倍の仕事をしなければなりません。
66倍、真摯に真剣に懸命で賢明にと思っています。
しかも「羊年」です。
「美」という漢字の基本を私は美大で
西洋美術史の大家である故・柳宗玄先生から
教わり、正直未だに「太った羊」のイメージとは
一致していませんが、柳宗玄先生は柳宗理先生と兄弟でした。
これは幸運な話だったのだと今は振り返ることができます。
すでに大阪大学は退官しましたが本年も残って、
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」、
実際、旧帝大では皆無であった
「学際化」でデザインの新領域にて
危機管理学ではとても不可能なことを
危機解決学構築のデザイン実務でやり切る覚悟です。

このブログは毎夜書き続けることに精進と修練をします。
くれぐれもよろしくご支援ください。


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『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』


   


     12月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

「和食」はユネスコ認定されましたから、
ともかく日本の食文化全体が伝統文化としてグローバルな認定でした。
しかし、「和紙」でユネスコ認定されたわけではありません。
ひたすら和紙産地が、国内の中でも「自分たち」だけを
官僚経由でユネスコ認定を勝ち取って自分らが本物と主張しただけです。
厳密に言えば、1300年の歴史は1500年の越前和紙との、
私が絶対に許せない「差別化」謀略を完成させただけのことです。
したがって、「和食」は農林水産省の仕事であり、
「三つの和紙産地」認定は文部科学省の仕事だったことです。
日本人だって、ユネスコ認定での日本国内の取り決めなどは全く、
私たちは知るわけがありません。
私も、福井県選出の国会議員と一緒に文科省のお役人から、
詳細を聞かされて知ったというわけです。
認定された和紙も楮に限定されています。これが文科省の仕事?
雁皮の困難さ、土佐楮は選ばれず、溜漉き、黒漉き無視なんて
本当の和紙技能は選外ですから。
冗談じゃない!、申し上げたい、お役人に何が分かっておられるのか、
しかも、マスコミのバカどもは、和紙でドレスが出来る?って、
それは和風紙(純楮ではない紙パルプの草紙)です。
知性無き文科省の官権を、絶対に認めない人間がいます。私です。
それは私だけでなく、極めて悟性ある多大な仲間がいます。
ユネスコ認定自体を、私は実物と歴史性そして伝統的制度論で、
海外アピールする覚悟でいます。
なんと言っても、越前和紙から和紙が全国各地に伝承されたことを
私自身が熟知と経験から、文科省のこの認定を海外から壊します。
海外のデザイナー仲間は絶対に私を全信頼しますから。
なぜ、私がこの覚悟と決意をしているかは、
文科省の認定に関わり、私に説明した担当者の偉いさん達、
じっくりと再考を真摯に、そして激烈に私は求めます。
メールも平然と無視できるそのような人たちです。
もちろん、この認定を取り付けた産地は和紙づくりに真剣でした。
この認定を知った後で、あわてふためいた産地は猛省を、そして、
首長の知事や市長は、全く伝統には無知だったと指摘しておきます。

『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』
『越前和紙に私専用を特注、なぜなら伝統の技能だから』
『享保の手帖から私が学び直したこと』
「伝統は熟知必然・実例としての和紙か和風紙か」
「越前和紙から名塩和紙への悲しい物語り」


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「『3.11』復興デザイン計画をこれから開始する」


   


     3月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

私の生涯において、交通被災で車椅子生活はまさに想定外でした。
しかし、東日本大震災と福島原発事故は今なお私を打ちのめしています。
10ヶ月間、私はひたすら「復興計画デザイン案」を書いてきました。
そして、自分が障害者になった以上に
これほどの「哀しみと悲しみ」に対峙したことはありませんでした。
とてつもないほどの記録を読みました。
とてもデザインという職能では、
この復興に立ち向かえないと何度も思い知らされてきました。
1000年に一度というなら、
その事を体験せざるをえなかった自分の生涯に位置づけること、
それが「行学」としての
デザイナーの生き様だと自分に言い聞かせてきました。
当初から、私は「真手」=までいという東北地方の言葉を
タイトルにしようと思いました。
ふるさとでデザイン実務をした者ゆえの発想だったと思います。
政府を信じない、大企業を信じない、
学者を信じない、東京流発想を信じない、
これは現代地方の奈辺意識だと確信しています。
地方でデザイン活動をしてきたからこそ、
東京からの発想を持ち込んだところで、
特に、被災地の信頼は受けられるはずがないと思っています。
そしてここに掲げたデザイン計画は
「壮大」でなければならないと考えてきました。
これが資金的にも技術的にも可能ならしめる組織・企業はどこかと考え、
自分なりの選択で持ち込んでプレゼンテーションをしてきました。
このブログタイトル「までい」とは、
真摯に、地道に、真剣に、誠実に、という東北の言葉です。
私自身、残された時間、体力はすでに視界に入ってきました。
技術的可能性を持って、いよいよ現地に入って、
「制度設計案」のプレゼンテーションをする段階になりました。
私自身の「真手」さで、このプロジェクトの実現に、
一人のデザイナーとして向かう決心と覚悟です。
これから、この計画の実現への
困難さや可能になったことをここで記録していきます。

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