kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘知の巨人’


『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』


   


     3月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

2015「KK塾」最終回は松岡正剛氏に講演を依頼しました。
1992年箱根でのマルチメディア会議に民間出身4名の一人でした。
その会議で基調講演ではムーアの法則のゴードン・ムーアが
3原則論を述べ、
これを聞いたのはその会議出席者では、私と彼だけでした。
箱根の強羅花壇で初めて挨拶をしてからの盟友です。
おそらく「隠坊」の話で人生を学んだ共通点があります。
「隠坊」とは、死者を火葬する時に夜通し火葬状態を見守る人であり、
死の世界へ人間を送り込む職業があったのです。
「隠坊」については書き残す必要があると思っています。
松岡正剛が「千夜千冊」はとうとう1604冊です。
これは書評ですが、これを読めばその本を読んだこと、
その疑似体験ができて、本格的に読むべきかと言う書評は
この日本にしかありませんから偉大な仕事です。
私もそれなりの読書家だと自負していましたが、
彼の読書しかも批評眼にはとても太刀打ちできません。
彼の書評している本のうち400冊ほどは読んでいる程度です。
全てを「編集工学」という名辞は、新しい言葉を生み、
新語を生み出してくれていますから、漢字と書の世界観があります。
これこそ、彼の言う「日本という方法」、
日本は国家であるより方法を定義しています。
「遊」という雑誌こそ、まさに文理融合統合、
私が言い始めているコンシリエンスデザインです。
それこそ、知的関心の方法を編集学化した「知の巨人」は松岡正剛でした。
「情報の歴史」と「アートジャパネスク」こそ、
すべての若者の教科書です。
彼が率いてきた「連塾」には私も講演をさせてもらっています。
その後、「日本という方法」は、あの3.11で終了しましたが、
なんとあの天災と人災は「3.11を読む」に編集されました。
それは原子力発電の問題が中核ですが、
その背景には蝦夷と沖縄の問題が
全知識人へのおおきな謎かけになっています。
彼を支援しているスタッフの役割分担力は
おそらく日本ではトップでしょう。
スタッフ一丸となった講演支援の見事さは圧倒されました。
3.11 で日本は、もう一度、国の立て直しを自然と今度は文明の
しかも最先端である原子力の虚像を晒け出してしまいました。
彼も指摘しているリスボンの大地震が欧州を少しは変えたぐらいだけに
3.11の自然と人工でのこれぞ革新の本質を松岡正剛の知こそ
その方法論=編集工学で一新される必要性を再度、
彼自身から語ってもらった気がしています。
当然、私のルーチンである講演開始のプロフィール映像の音楽は
Lady GaGaであり、
対談ではお互いが大好きなグレングールドの話で終わりました。
2016の私のミッションとして
「KK適塾」をこの秋から開講するつもりです。


目次を見る

『人生70暴走古来稀・松岡正剛氏』


   


     1月 25th, 2014  Posted 10:36 AM

松岡正剛氏を知の巨人だと人は呼びます。
彼の存在を知り出逢い、すでに彼は70歳になりました。
もし、彼の執筆活動すら知らないとするなら、「知」無き人でしょう。
彼の誕生日の会、その発起人をしました。
私は「幸運と幸福」をといつも考えますが、
彼のその集まりでひとしきり彼に宿っている幸運と幸福を見ました。
そうそうたるメンバー定員100名のはずが、200余名集まり、
「誕生日」という制度を全否定直言しつつも「祝う」ことに、
私は日本の知性の深度を確かめた想いでした。
本来は「幸不幸」から生まれた「幸運と幸福」には「幸」が基底です。
「幸」とは、両手に手かせで行動を遮断された意味があります。
この話をして、ある著名な舞踏家にたしなめられましたが、
それさえ私の幸運さがあり、その集まりの雰囲気でした。
これほど私たちの国が、確実な天災を予知しながら、
見失っているもどかしさを抱きつつ、
まだ幸運で幸福でありたいとだけを願う哀しさがあります。
いつの日か、書き留めなければならないことが一杯あるのです。
とりわけ、私にとっての松岡正剛なる人物の「あっぱれ」さです。
しかし彼の論理には、「あわれ」と「あっぱれ」は、
同値とする断言力に彼を敬意し、
この力がなぜ備わっているのかが、実は「知」の正体かもしれません。
ちょうど彼と出逢ったのは私が40でした。今私は間もなく65です。
だから5歳年上の彼の「知あればの幸運と幸福さ」を見届けました。
これから、この日のことも時にふれて書き残すことがあるでしょう。
知力が磁力だと証明できうる唯一の人が松岡正剛でしょう。
贈答された「暴走族ユニフォーム」もあっぱれでした。
ここに集まりし人たちの集合知をもっても「現代日本」を変革できません。
それこそ、私たちが「失っていく課程」の瞬間に生涯がある悲哀です。
だからこそ、「祈る」ために「祝う」幸運さが幸福を招くこと、
私は松岡正剛という人物の70年目にそれを見届けた一夜でした。
そして、私は感謝の行為をその舞踏家から教わりました。


目次を見る