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Posts Tagged ‘祈望’


「ニッポンシンドロームパニックへ合掌」


   


     5月 20th, 2011  Posted 12:00 AM

大阪が元気になろうとしています。
大阪駅周辺が賑やかです。
しかし私は正直、時代の読み違い。
なぜ、あれほど大型百貨店舗が集合という計画、
これは時代錯覚をしていると私は見ています。
インターネット流通時代に、店舗販売は一時的ブームでしょう。
しかもこの大震災にて、東日本は全滅という国難です。
これは被災地の復興どころではなくて、
ガラパゴス化してしまった日本そのものの再建だと考えます。
無論、被災地には報道で識るだけでも、
被災地格差が次第次第に大きくなり始めています。
この格差が、日本全国が差異性となっているならば、
その差異性それぞれの個性を活性化させればいいわけですが、
差異性は差別化に必ずつながります。
私はこの差別化が一番気がかりです。
とりわけ、原子力の話に触れようものなら、
反原発・脱原発が正論となっている今、
絶対的な原子力推進では無くて、
脱原発にためにも原子力発電の新たな革新をという私は、
まったく推進派と見られているようです。
「チャイナシンドローム」という映画がありました。
1979年製作直後にスリーマイル島原発事故でしたから、
この映画はまさに予言映画でした。
観直すと、映画冒頭での原子炉説明は、
連日、東京電力説明報道にそっくりです。
あの時代から原子力発電所システムは進化していません。
私は、「原子力発電自体の革新」から始めるべきと主張しています。
日本は今、冷静に冷徹に、そして、無駄な対立もせず、
シンドローム=症候群的事態と、パニック=野性的な混乱から、
いかに理性と知性で、この事態からの山積する問題解決を、
まさに瓦礫処理のごとく、懸命になる以外手立てはないでしょう。
そのとき、私たち自身が心がけるのは、
「祈望」するための合掌です。
まだ行方不明者が残っています。
私たちは鎮魂のために天皇両陛下のごとく合掌することで、
自分自身を落ち着かせることしかないように思っています。

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「資本主義からの逃走」
 「逃走とは闘争であり、もっと闘争の生涯を選ぶ」


   


     3月 31st, 2011  Posted 12:00 AM

逃走とは闘争である
「資本主義」に閉じ込められている生涯。
デザイナーという職能ゆえに、
私の発想は、常に企業や行政との関係で具現化されます。
よって、デザインしたモノ、デザインしたコトは、
企業方針や行政制度との整合性が包囲条件でした。
だから、「資本主義」にはなじめなかったのです。
けれども、「社会主義」などというのは、嫌悪感すらあります。
それでも、「資本主義」その基底の「民主主義」、
いづれもイデオロギーですが、
このイデオロギーの解体をしながら、
新たな哲理の発見と創造、これこそデザインだと考えてきました。
逃走してどこに逃げ込むのか、などというのではありません。
いわば、このような思考を「ことば」と「歴史」の中で見いだそうとしてきました。
「ことばとかたちの相対論」を念頭におきながら、
具体的な、機器・装置・環境へのデザインアイディアを提案してきました。
しかし結局、「呑気過ぎた」のです。
たとえば、「仮設住宅」程度ではなくて「佳設住宅」を、
ある大手住宅メーカーと開発してきました。
「仮設」などという「仮」の非常時では復旧でしかないのです。
「佳設」というほどですから「佳人=美人」のごとく、
復興するには「美しい佳人のごとくの住宅」案でした。
これが頓挫しました。理由は、企業トップが脳溢血で倒れてしまいました。
この後継者には、それだけの先進性や美学性が無く、
そのプロジェクトメンバーにもたかだか業務でした。
このようなアイディアは、企業トップに大人物が必要なのです。
正直、現代日本の経営者にたかがデザイナーの戯言でも、
されどデザイナーの理想主義を受け入れる器ある人物が欠落しているのです。
現政権にリーダーがいないのは、企業家界も同様かもしれません。
私の逃走は闘争であったことをなんとなく曖昧にしてました。
そして、この国難こそ、逃走なんて「あとずりしている者への鉄拳」だったとさえ思います。
「復興」をめざして真正面から「闘争」を、命あるかぎり開始します。
私の闘争は、希望をいっぱいにした理想主義です。
「資本主義からの逃走」を「祈望」に止揚していきます。


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