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Posts Tagged ‘神社’


『海と風』


   


     1月 8th, 2021  Posted 10:00 PM

日本列島には、山風と海風が吹き付けます。
日本海と太平洋、そして瀬戸内海で取り囲まれ、
それぞれに山風と海風があり、その6つの風に応じて
地方独特の山風に関わる方言があります。
そして、罪や穢れを風で吹き流してくださる風の神様や、
風よけ地蔵尊など、地域で信仰される神社や地蔵さんがあります。
今、感染症コロナ禍で急速に「土から風へ変革」の時代をむかえました。
そうした中で、私は中国の「生物兵器」であったことを、
よくよく読んでみれば、世界を無くそうとしているのではないかと
中国共産党は、激しく全世界から糾弾をうけるべきです。
WHOが武漢ウイルスの起源を探る調査を
中国は拒否したWHOニュースが世界に流れていましたが、
国内での詳細報道はありません。
情報や対応も後手に回る日本列島には
「リーダーすら」いないのです。
私たちは日本列島で海からの風で、
地政学的にも身を護ればなりません。
風に乗って前に向かいたいです。


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『春日大社で最も古い太刀が見つかったことは徴である』


   


     2月 13th, 2019  Posted 12:00 AM

春日大社で、特別展が開催され名刀が一堂に公開されています。
大社と言えば、大きな神社のことと言われます。
神社、神宮、大社、天満宮、八幡宮、稲荷と格式と違いがあります。
日本には、仏教と神道がありますが、私はこれらのモノとコトを、
単にいわゆる宗教と言い切ってません。
768年に建立された春日大社には、神道である、天皇制よりも
日本国家という国づくりの瞑想的な逸話があります。
春日大社の宝庫で昭和14年に発見された太刀が、およそ80年経って、
研磨され日本刀の原型が成立した平安時代末期、
国内最古級の日本刀だと昨年明らかになったのです。
「古伯耆物(こほうきもの)」と呼ばれます。
太刀と刀剣では、身に付ける方法が変わります。
平安京の頃の太刀とは、刀としてもどこまで丈夫であったのだろうか。
刀剣といえば鎌倉時代よりも、
それこそ神具としての太刀があったということです。
日本人としての倫理性=武力具ではないことが、確かめられるのです。
春日大社のある奈良、大和国は
山城国、備前国とともに刀剣の産地でもありました。
神具である太刀には、神社の瑪瑙、鏡、そして刀があるのです。


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『乞食=こつじきの地になってならない! 造形美の神社』


   


     4月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

日本の建築で最も造形力を技術と技能で最高のモノは、
わが故郷にあります。そして知られていないことこそ素晴らしい。
正直、私が故郷に帰ってから、確かに越前和紙産地に通っていた頃、
この神社が凄いとは感じていなかったことも告白しておきます。
少なからず私は美大出のデザイナーです。
さらに祖父は最後の宮大工の大棟梁でしたから、残された巻物から
多少残されていた図面を教わるべきであり、
蔵の中の物品も私は幼い頃には、
ほとんどいたずらで壊してばかりいたようです。
また、越前和紙は日本に紙技の開祖の里ですが、ユネスコ認定も
受けていないのです。文科省の役所仕事の美的歴史性をもう一度、
私は喧嘩を売っておきます。
伝統工芸の産地の残し方は根本的に間違っています。
私は自分の知識学識経験とその論理で改革を望みます。
地方の時代というなら、その地方の伝統と革新こそ、
行政が最も的確にねらうべきことであり、それは美学的胆識です。
話がはずれましたが、大瀧神社と岡太神社は日本建築ではこれ以上の
木造建築は無く、何層にも重なる屋根には苔で覆われています。
この建築は、永平寺の勅使門も手掛けた大久保勘左衛門であり、
彼のことも徹底的に私は調べ上げて、今後、福井の建築は、
絶対にこれを超えるべきだと主張もしています。
結局私はこの建築に対抗するモノは自分が建てようと考えています。
後世に「生きた証」というのは、作品です。
そうなればデザイナーとして、当然それは義務だと考えています。
この神社がある地は観光地にはなっていません。それが大切です。
私の持論は「観光産業は乞食(こつじき)産業であり、
真のサービス、つまりリゾート産業とは異なると主張しています。
なぜなら、リゾート産業とは、
「何度も通える保養地」産業でなければならないのです。
そういう意味では、紙漉きの源流のこの神社造形と自然にこそ、
リゾート性が美学的に整っています。


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『タケフナイフビレッジで第2世代を鍛える』


   


     1月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

越前打刃物750年の伝統工芸産地に、私は福井県に帰ってから、
「美しい切れ味を鍛えます」という理念で、
タケフナイフビレッジにデザインを導入してきました。
3年で展示会を国内外で開催し、建築家・故毛綱毅曠氏に頼んで、
産地に「神殿」=千代鶴国安の神社と「劇場」=工場を建設。
すでに30年になります。
創立してきた第一世代は全て伝統工芸士で親方が9名、
1名はもう逝きましたが、第二世代は各地からも集まり20名です。
この20名にTAKEFUmini60という携行出来る新しいナイフの開発、
デザインで第二世代を鍛えています。
それは今開発中をNHK国際でドキュメント撮影もしてもらっています。
私には日本刀からアーミーナイフ、ハンティングナイフについては、
30年も学んできた知識から、将来は刃物づくりを未来に向けます。
今はどういうわけか、ダマスカス鋼の表現が世界的にも流行ですが、
これこそ、大失敗であり、日本の刃物文化を壊していますから、
真の日本刀の刃先である伊達政宗が独自に創り上げた柾目刃紋を
復元させようかとか、アーミーナイフを超えるナイフづくりの見識も
徹底的に教え込んでいます。
私が若者には怖いとか言われますが社会はもっとコワイということも
やっと彼らは理解してついてきてくれています。
第一世代は高級車で送迎してくれる産地にまでなってくれました。
第二世代には、第三世代が生まれるほど素敵な産地づくりまでを
約束してもらっています。
私は彼らの前でデジタルスケッチで開発製品の詳細を語っています。
やっと、TVドキュメント撮影もしてもらいながら、
出来れば、この秋には数点は発表させたいと率いています。
「これがナイフ」までを私はなんとしても商品化する覚悟です。
安易なデザイン=肌打ちと言われる無能な表現は絶対にしないし、
誤りだらけのナイフを国際的にも一新します。
「私たちは、さらに美しい切れ味を鍛えています」。
これが第二世代の理念です。

『伝統工芸産地第二世代の新製品テーマ』
「750年をタケフナイフビレッジで革新して30年」


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『十日恵比寿の種銭を大国主命からもらう』


   


     1月 11th, 2015  Posted 12:00 AM

日本神話の神は古事記、日本書紀に描かれています。
日本の神話は、この国づくりの祭神であり、国護りの神です。
出雲大社にはじまるこうした神社は、日本各地に神道として、
日本人にはきわめて穏やかに残っています。
幸い、私の自宅近くにある大国主神社は十日えべっさんという呼称で
商売繁盛が今もっとも神道信仰につながっているようです。
目覚めるとワイフとそのお母さんが初詣もかねて出かけており、
商売繁盛で笹持って来い、とかの種銭をもらいました。
あらためて自分の持っている財布を取り出してみると、
この3つがありましたが、ほとんど持ち歩いた気がありません。
単純にモノとしての出来映えでしか、選んでこなかったようです。
しかも、お金と私の人生はきわめて遠くであり、
そのことを思い知ったのは、二つあります。
まず、私は交通被災で手術入院中に、紙幣のデザインが一新され、
車イス生活になって、紙幣デザインが今もよく分かっていません。
ともかく、今も一番価値があると思えてならないのは 500円硬貨。
また、お金を持ち歩くということも諦めました。
一人で行動することは全くありませんから、
誰かに支払ってもらっています。幸運だといえば幸運です。
もし私が大金持ちでそれこそビル・ゲイツ程の大金持ちでも、
一番望んでいることをお金の力で賄うことは不可能です。
それは「歩けない体をお金があるから歩けるようにはなりません」。
それ以来私には財布も単なるファッションの一部でしかありません。
しかし、私が最も驚いているのは、内村鑑三の名作である、
「後世への最大遺物」には、生きて最後に残すべき最大の物は、
「お金」であるべきと書かれています。
したがって、お金儲けをすべきとは思いますが、
最も私には不得手なことであり、お金持ちになっても歩けないなら、
むしろ、私には神社の配置=神道における自然神の護り方が
とても興味があります。
だから、種銭を今年は財布ともども持ち歩こうかと思っています。


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