kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘福井県鯖江市’


『資本主義からの逃走』
      「メガネフレーム、地場産業の基本姿勢」


   


     11月 18th, 2010  Posted 1:30 AM

メガネメーカーとデザイン契約
私はメガネフレームのデザインをしています。
すでに、今年は25 周年になります。
といっても、本当は27,8年になるはずです。
私がフリーランスになっているとき、
大学の恩師の紹介で、あるメガネメーカーとデザイン契約をすることになりました。
しかし、私はまったくわからない分野のデザインに取り組むために、
そのメーカーとの契約は待ってもらいました。
ところが体調がすぐれずに、担当医からふるさと帰郷を諭されました。ふるさと福井に帰りました。
すっかり、そのメーカーとのことは忘れていました。
が、そのメーカーは帰郷している私を訪ねていただき、デザイン契約をすることになりました。
しかし、私にはメガネそのものがわからずに、どうしたものかと悩んでいました。
幸いなことに、そのメーカーで私との契約担当だった部長が、
メガネの専門学校の教科書を貸してくれました。
日本にはメガネに関するオプトメトリスト養成制度は大学ではなくて専門学校にあります。
その教科書を読んでもさっぱりわからないまま、
ともかく「企画書」を書くことになってしまいました。
私が最初に書いた企画書は、「アイバンク加入企業」という企画書でした。
クライアント先のメーカーはとても驚き、
担当部長はすぐに金沢美大の恩師にその企画書を見せに行ってくれたそうです。
その恩師は、「川崎なら、ここから仕事をスタートするだろう」と言ってもらえたので安心でした。
アイバンク加入という提案
そこで、そのメーカーの取締役会で、「企画趣旨」をプレゼンしなくてはならなくなり、
かなりな熱弁をふるったものでした。
部長が伝えてくれました。
「デザインを頼んでいるのに、アイバンクとは何事か」と、ほとんどの取締役が怒っているけれど、
社長は認めていて一度話し合いたいということでした。
結局、そのメーカーは「盲導犬訓練への寄付」ということで、私の企画はそれなりに決着しました。
福井県鯖江市、人口6万5千人の街は「メガネフレーム産業」で生きている街です。
私は「目」を対象としている街の社会的な責務は、
「目の不自由な人」や「アイバンク」や「盲導犬」などへのまなざしが、
本来は地場産業の基本であり、そうした製造業企業姿勢にあるべきだということを主張したのです。
そうした社会的責務を基本にしてデザインというのが私としては基本姿勢になってしまいます。
それから、そのメーカーから現在の増永眼鏡は、「私のブランド育成」を支えてくれたのです。
デザインと企業責務姿勢
「アイバンク」運動、これも様々な問題に気づいていますが、
NPOをつくるまでに15年かかりました。SD-waveというNPO団体につながっています。
私のデザイン活動25周年のキャンペーンでは、
私が提唱しているPeace-Keeping Designも同時に展開してもらいました。
そして、メガネは現在、新たな時代に入ろうとしています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「#教えることは教わることです。
              だから教える立場を!#」


   


     4月 20th, 2010  Posted 11:18 AM

教える立場こそ
私はすでに常勤の大学人になって15年になります。
しかし、人前で講演や講義らしきものは、25歳から経験しています。
東芝にいた頃、関連会社で「講義」をと言われたところから始まりました。
そして、決定的には、「車イス生活」になって、
母校に非常勤講師で帰ってこないか、ということでした。
母校・金沢美術工芸大学での非常勤から、
福井大学では建築、教育、情報文化三つで非常勤経験をしました。
というよりは、これは恩師が私に組み立ててくれた大学人への道、
そのトレーニングだったのです。
きっかけは、「心臓障害」があって、
もうデザインスタジオをやめて、
ひとりライターで生きていくべきか、
あるいは、ずーっと思っていた光造形をやりたい!
ラピッドプロトタイピング(1990年代には洋書が一冊)を本格的やりたい、
このいづれかを選択するとき、やはり光造形ということになりました。
そこで、恩師に相談したところ、
「やっと、大学に行く気になったか」ということで、
新設される名古屋市立大学・芸術工学部に常勤することになりました。
ただ、福井県鯖江市の依頼で、
「社会人向けのデザイン講座」をやっていました。17年やりました。
奇跡と教える立場
二つのことがありました。
恩師からは、
「デザインで奇跡は起こせない」
「奇跡を起こすのは教育だ」という指摘でした。
もう一つは
「教える立場に立ってこそ、学んでいる自分を識る」
この二つが、教育者・大学人になっていった動機でした。
だから、
「学ぶ」というのは、
当然、「真似る」→「まなぶ」ということであり、
そのためには、教えていくことで、
何を教えるかを学び直して、教える立場になります。
そうした、教えていくことで、
あらためて様々な質問を受ければ受けるほど、
「あっ、このことが伝わっていない」ということを識ります。
それは、「教えられる」ということです。


目次を見る