kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘禿げ頭’


「散髪がシステムデザインされているから気に入っている」


   


     9月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

車椅子になって、リハビリ病院を退院した直後、
私は東京のあるホテルで暮らしていました。
散髪はそのホテルの伝統ある美容室でカットしてもらっていました。
その担当の方が自店を持たれてからは、その美容室でした。
ところが、特に大阪では阪大病院に入退院が多くて、
阪大病院の美容室で十分でした。すこぶる上手な美容室です。
そして、最近は多忙さもあり、
羽田空港のこの散髪屋さんが気に入っています。
10分1000円=edyカードが使える私にとって、
なんだか嬉しい金払いが出来る場所です。
「散髪はここで」と言うと、みんながビックリします。
私は利用を薦めます。
なぜならこの店舗内の「合理的性能性+機能性」は体験するべきでしょう。
髪は自然と延びてくる物であり、
文明での散髪の歴史は、外科医の源です。
ハサミとは髪を切る用具効能だったということにつながっています。
この店で同席する人は、「禿げている人」が多いのです。
<禿げ頭なら経済的な効率性・コストパフォーマンス性は高い>
と、申し訳ありませんがそう思います。
読者諸兄で「禿げている人」、ちょっとごめんなさい。
幸いなことに私は、母方父方両方が禿げません。
だから、従弟が白髪長髪にしているので、
「なぜだ」って聞いたら、「禿げないで、ここまで長い」と、
見せびらかしているという冗談を言ってました。
私は、敗血症で重篤になり、生き返ったら、
髪が大量に抜けて怖い想いをしました。
ドクターは、あれだけの薬を使ったから後遺症であり、
はやくて2ヶ月、長くて2年で元通りになると告げられました。
なるほど、2ヶ月で抜けなくなりましたが、
最近は年齢のためか、髪にコシの強さが失われつつあります。
ともかく、散髪は羽田のこの散髪システムが気に入っています。
いつも、このシステムをもっとこうすれば、
散髪システムのデザインは高密度に完成度を持つとイメージしながら、
カットしてもらっています。
この夏は、思い切り短髪にし過ぎてしまいました。
だから、しばらく散髪は行かなくて良さそうです。


目次を見る

「甲殻類アレルギーでも、蟹は食べる!」


   


     11月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

幼稚園は転園1回、基督教系から仏教系へ。
悪さが過ぎて転園しなければならなかったらしいのです。
幼稚園から小学校4年まで、
この季節になると、必ず絶対におやつは「越前蟹」。
セイコガニでした。
魚屋さんの前を帰宅時に通り過ぎると、
必ず呼び止められて
セイコガニを一杯(一匹)もらえるのです。当時は50円?
鳥取ではマツバガニ、加賀ではコウバコガニと呼ぶ、
日本海のズワイガニの雌種です。
最近は生息量の激減種ゆえにとても高額商品になっています。
しかし、ふるさとから必ずこの季節には送られてきます。
たった2ヶ月しか食べられません。
京都生まれ京都育ちのワイフも大好きなので、
蟹の季節は待ち焦がれています。
ところが5年前に、多分ですがICD(埋め込み型除細動器)手術後、
私は甲殻類アレルギーになってしまいました。
それで蟹なら、呼吸困難になるほどの症状。
でも今年は、アレルギー時の薬で一応最初に予防をして食べました。
大冒険!、大丈夫でした。酒もふるさとの「一本義」です。
「黒龍」もなかなかです。
さて、お酒・アルコールも心臓のために飲めない体になりました。
しかし、もういいでしょうということで最近は飲みます。
父方も母方も酒には強い家系です。
二日酔いにならないほどです。
ついでに両方とも絶対に禿げずに見事な白髪=銀髪になります。
いとこ達に禿げ頭はいません。これも幸運ですが、
甲殻類アレルギーは不運きわまりないことです。
今年は思い切っての冒険、自分なりの予防で食べ呑みました。
ひょっとすると先般2台目のICDの手術でOKになったのかもしれません。
まったくアレルギーを回避することができました。
ともかく「やっぱりセイコガニは最高」です。
新嘗祭が終わりました。勤労感謝の日となってしまいましたが、
この日をもって新米=コシヒカリ=福井原産が食べられるのです。
おいしいものがいっぱいある故郷をもって幸運でした。
ただ、悲しいかな、セイコガニは、
越前産には必ず黄色のラベルがつけられるのです。
ブランド表示と言えばそれでいいのでしょうが、
日本海が汚れていることの指標でもあるのです。
日本人は、「物質社会で豊かさを失った」と言われますが、
この黄色のラベルも「豊かさを失った証明」なのでしょうか。
私は「物質的なことも豊かでなければならない」と思っています。
自然からの恵みも豊かでなければなりません。
本当の「豊かさ」って、まだ言い切れません。

目次を見る