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Posts Tagged ‘管長’


『一番小さな「書道具」にも商は越前和紙風が売られてる』


   


     11月 28th, 2018  Posted 12:00 AM

「書道」とは絶対に言わないこと、を
吉峰寺管長が私に高校時代の頃言われてきました。
「書」と呼べ、ということを学んできました。「道」は命をかける。
だから、書とは「欠落していること」を書くこと。
ところが今になって考えて見ると、書くという行為は、
「描く」こと、さらには「画」にも、
デザイナーゆえに「欠くこと」に私は繋がっています。
そしてそういえばこの写真は、
私には一番小さな書道具だということになります。
だから、北京の書道具産地に行って、墨を見たいと思っています。
それこそ、これが一番という水彩具と同じ大きさです。
書と水彩具は、直に手に入るという所に置いています。
そろそろ、毎日のように書と画を、私独自にやりたいと思っているのです。
ともかく、越前和紙で一番の親方が名を残そうと思っていませんので、
私は電話で「なぜ、名を残そうと思わないんだ?」って言っているのです。
本当に紙パルプが混在している和風「風」紙が高額でびっくりしています。
これなら、「半草」=紙パルプ入りが、伝統工芸を潰しています。
商売はそんなモノではありません。
本当のモノを「商」=あきないで、やってほしいと望んでいます。


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『書そして運筆なら空海がお手本になる』


   


     2月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

先般、日本デザイナー書道?楽部を創りました。
全くの思いつきで若手デザイナーの太刀川氏とでした。
その彼から筆ペンをいただきました。
これまでの筆ペン以上の使い心地が気にいり、しかも写経を開始していて、
最初は祖父にも父にも叱られる下手さに一念復帰で、
今の小学生ノート「ジャポニカ」で練習をともかく思いついたら始めました。
お手本はいくつか見ながら、空海を選びました。
空海の書は行書よりの草書ですから、なんともいえない筆運びです。
これはいわゆる運筆の練習になると自分に期待しています。
そういえば、先般、京都の古本屋といっても、ほとんど古書専門店で、
多分、江戸中期から後期の運筆でのスケッチを見ました。
相当に迷いましたが購入しませんでしたが、
かつて越前打刃物の職人を描写したスケッチを貸し出してもらえずに、
すっかりデッサンしたことを思い出しました。
ともかく、日本の「書」そして運筆は凄い文化だと思っています。
残念ながら、書での手紙は若手デザイナーの太刀川氏と出来ます。
デザイン界で章・運筆が達者な人はこれでまだ4人程度しかいません。
「書道」よりも「書」を、そして運筆をと練習するべきと思います。
私は幸いにして中学・高校と永平寺第一道場の吉峰寺で、
トレーニングを受けましたが今となるともっと真剣にと思います。
私に厳しい管長さんに会いたいと思います。
そして、後輩の急死に驚愕し、彼への写経を書き上げました。
正直まだまだ下手くそですが、そうすることしかできません。
「朝に紅顔なれど夕べに白骨」の時が私にも近づいています。
ともかく、行書よりの草書である空海の書は、
今後、持ち歩こうと思っているくらいです。
随分と筆ペンも様々に使ってきましたが、流石、墨汁メーカーゆえか、
彼に勧められて一本いただきました。
今、ワイフには元来、史学科卒なら「書」をやりなさいと命じています。
睨まれていますが・・・。
本当に書そして運筆は素晴らしいと思っています。

@日本デザイナー書道?楽部

* 『とうとうその時期「写経」で自分の書を晒します』
* 『神仏像をもっと知っておきたいと考える』
*  「曹洞宗第一道場・吉峰寺での『薪』割り」
* 『墨汁が護っていてくれた文字=言葉の伝統文化』
* 「政教一体と政教分離は民主主義とは無縁」


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『とうとうその時期「写経」で自分の書を晒します』


   


     2月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

いつかこのような日が訪れると思っていました。
祖父も父も「写経」を始めていたのを思い出しながら、
私にもとうとうこの日がきました。
昨年あたりからそろそろだろうかと自分としては迷っていました。
以前、「日本デザイナー書道?楽部」を
facebookにそのクラブを立ち上げていました。
先般、若手デザイナーの太刀川氏に、
「川崎さん、これなかなかの筆ペンですよ」ってプレゼントされた筆ペン。
インクもあそこですよ。「そうなの」ということで筆ペンをいただきました。
そして、生まれて初めての「写経」を書いてみました。
正直、このブログで最初を出すか出すまいかととても悩みましたが、
本当に思い切って発表します。
正直、3つの漢字は始めて知ったのです。
そして、多分、父からはとても叱られていると思います。
中学時代に吉峰寺に夏休みに入れられたというか、閉じ込められました。
しかし、高校時代は自分から行って吉峰寺=曹洞宗禅寺の第一道場で、
ここの僧の方々は結婚せずに曹洞宗のエリート教育の場でした。
私はこの住職というより管長さんには、
手を竹の物差しで手を時々叩かれて書の訓練を受けました。
「書道と言わず、書と考えよ」、
書道とは道があるということは命をかける、と、
私は厳しく教わりましたが、最高の訓練を受けたと感謝しています。
にもかかわらず、これだけの楷書を筆ペンで書き上げたこと、
とても下手だと、多分、祖父はまあまあと言われ、
父からは相当に叱られていると思います。
最近は「書」を探し求めて見ようと思っています。
なんといっても、「写経262文字」は多分、私の生涯、死の直前まで
とても大切で重大に大事な日本文化だと再確認しました。
絶対に最高の筆文字=楷書を身につけたいと思いました。
祖父・父が私にこの訓練をさせてもらったこと、
とても感謝する一日になりました。
また時々この書の経過はここで発表しようと考えています。

* 『墨汁が護っていてくれた文字=言葉の伝統文化』
* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』
*  「曹洞宗第一道場・吉峰寺での『薪』割り」
* 『書の手本は王羲之と藤原行成を選びます』
* 「松岡正剛『ち』の根源=漢意による決定」


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