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Posts Tagged ‘紅茶’


『金沢の「棒茶」がとてもいい』


   


     11月 19th, 2019  Posted 12:00 AM

私はコーヒー、紅茶より、緑茶が自分にはあっています。
金沢美大に入った頃、下宿屋さんから通っていましたが
母への最初の電話は「何か、金沢のお茶はちょっと違うよ」でした。
金沢のお茶は、「棒茶」といういわば、
茎ばかりなので茎茶という緑茶の一種。
「今度帰るときに持って帰る」と、すっかりはまりました。
これまでのほうじ茶より格段に香りも良い「加賀棒茶」でした。
北陸と言っても、福井と金沢には味も方言も、
もちろん気質も違っていました。
さて、北陸新幹線の影響でいいことも多いのですが、
残念な面ではお土産物商品化したり、
観光客目当ての値上げが目に余ります。
それを考えると金沢や富山の街の整備や賑わいはありますが
福井に北陸新幹線は来て欲しくありません。
でも、変わらずしっかりと味わいそのままに「棒茶」は最高です。
だから、コーヒーより、私は「棒茶」が上手いと考えています。


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『牛乳プロセスから新パッケージは看医工学デザイン』


   


     4月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

牛乳orミルク?と聞かれれば、
私の年代だと「牛乳」、紅茶なら「ミルク」と答えます。
高校生ぐらいまでは、牛乳瓶が毎朝、自宅に届いていたと思います。
小学生の頃は、牛乳瓶の紙蓋円盤が面白くて、収集したり、
何枚かを重ねて車輪として工作したものです。
現代、コンビニに行けば多彩多量な牛乳パックを見ます。
牛乳パックに内面が紙パルプゆえ、
これをミキサー撹拌して、はがき用紙を紙漉きセット「すきっこ」は
私が越前和紙産地として発売し、ニューヨークでも大ヒットした商品。
そんなこともあって、ともかく、牛乳パックのパッケージデザインでは
あの「おいしい牛乳」とかに大興味。「おいしい生活」からのヒント?
出来る限り「飲み比べてその味を確かめています」。
理由は二つあるのです。
牛乳の味評価軸が見いだせません。
繊維には七つの評価軸を論文化して、一応の評価をマーク化も終えました。
ともかく、牛乳は3〜5種類飲み比べてみることです。
あたかもペットボトルの水を飲み比べて味検討のようにです。
そうしたら問題?牛乳になるプロセスに思いがけなく興味が湧きました。
また、こんなことを思いついてしまい、
しかも現在取り組んでいる新素材との関係がデザイン対象になったのです。
そうか、濾過素材?そのロボット化?チーズ化プロセスの進化手法?など
もう数アイデアに包まれています。そして明らかにこれは看医工学であり、
コンシリエンスデザインの具体事例に間違いありません。
かつて、牛乳瓶の蓋集め興味が拡大してしまったようです。
牛乳って面白い!、
となれば、豆乳はもっとデザインテーマは、
間違い無くデザインで拡大し進化するでしょう。

* 『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
* 『蜜柑の食べ比べと「蜜」という文字』
* 『水には様々なペットボトル入りがあるけれど』
* 『水というエネルギーの国際化』
* 『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』


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「陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない」


   


     1月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

陶磁器は、文明の象徴です。
なぜなら、
文明は器=飢えと機=寒さから護る衣服から始まったからです。
にもかかわらず、
欧州の有名ブランドの倒産がここ数年顕著になっています。
無論、
わが国の伝統工芸陶磁器産地も風然の灯火と思える状況になっています。
高校時代から陶磁器には人一倍興味を持って見つめてきました。
そして、自宅の陶磁器はそれなりに選んで集めてきました。
自分でデザインすることもここ3年ほど取り組み、
プラチナの釉薬で、
インダストリアルデザインの導入を有田焼で商品化し始めています。
そうして気づいていることは、
陶磁器が中国の景徳鎮から始まった文明であり、
やがて文化になってきました。
しかし、その技法がとてつもなく進歩・進化しただろうかと判断すると、
伝統は継承されてきただけで、
破壊され裏切られた事例は本当に数少ないと観ています。
あくまでも素材は陶磁器であり、
無論、セラミックという先端技術が陶磁器に応用には至っていません。 
欧州の紅茶文化や、食卓文化、料理との相互性などにおいて、
私は、まず、「創意工夫」が尽くされてきたとは思えません。
これは、陶磁器デザイン=工芸デザインは、相変わらずに、
「装飾主義」がデザイン・意匠に結びついているからです。
せめて、伝統を裏切り、新しい食器文化を問題意識において、
「問題解決」としての陶磁器を超えてくるべきだったと思います。
すでに、水はペットボトルに、
コーヒーメーカーから缶コーヒーがあり、
紅茶のシステムも変化しています。
文明の再構築は「器」への問題意識なのかもしれません。
陶磁器デザインは「絵付け」にありとするなら、
その絵付けなどは、
パソコン、インターネットなどで自由に、
自宅で絵付けと焼成ぐらい出来て当然です。
今年早くも、
イタリアの名門陶磁器ブランド・リチャードジノリの倒産を知って、
私は、インダストリアルデザインの立場からの発言を決心した次第です。
まったく形態デザインの問題解決がほとんど見られません。


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「モダンデザインによる製造の完成度アップ」


   


     3月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

コーヒーや紅茶のソーサーとカップ、
その寸法、容積の伝統的ルールをモダンデザインは解放をめざします。
しかし、瞠目すべきことはモダンデザインの本質表現があることです。
伝統的な形態の容積ルールを乗りこえるためには、
中心的な機能に注目します。
それは、手に持ったときと熱さの問題、
唇とカップとの接触面を改善して機能的な完成度を求めます。
すでにこの作品(INOX)は20年程前に製造中止になってしまいました。
このメーカーはケットルが今もモダンデザインを追求しています。
このデミタスカップとベースはステンレス製ながら、
カップ構造は二重になっています。
そして、飲み口部分の精微な仕上げは手仕事です。
したがって、とても製造コストは市販価格を支えきらないでしょう。
だからもうこのような製品は商品にはならないのです。
しかし、デザイナーは今一度、こうしたモダンデザインの極み、
すなわち、素材・形態・仕上げを学び直すべきと考えます。
カップとソーサーの伝統的なルールをモダンデザインは解放していますが、
主機能としての飲みやすい温度、保温性能、素材など、
その最終仕上げによる製品完成度の質が見事です。
今や経済動向は世界的にもデフレ傾向です。
完成度をミニマムなシンプルな形態に追求するモダンデザイン的な手法、
そうした手法や理念は市場価値を失っているかもしれません。
あらためて、ユーザーの所有価値観と使用価値観によって、
製品価値のあり方の見直しが必要だと思います。
私は、このステンレス製のモダンデザイン、その製品完成度こそ、
デザインの本質があると思っています。

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