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Posts Tagged ‘経験値’


『色彩の徹底的な実務と故・大智浩教授のこと』


   


     3月 30th, 2020  Posted 4:45 PM

工業デザインの私の基礎は、
「大きさ(出来るだけ小さく薄く)・素材(新素材と普通素材のコンビ)」
そして「色彩の決定(新しい意味づけ、文脈、存在)」です。
これは、大学で職業訓練のように様々な基本を徹底して仕込まれました。
その色彩は、故・大智浩教授のいくつもの論理を受け継いでいます。
美大の非常勤だった大智浩教授が余りに影響力が大きくて、
デザイナーとしては、誰の目で見ても
「ファッション」も素敵で配色が圧倒していました。
当時は、あの先生が「キリンマーク」を手掛けていました。
が、先生を引き出せば、キリンの広報は違っています。
私は先生目当てにNHKの市民講座を、
ほとんど年配のおば様方の中に混じって受講しました。
講演終了後、一人青年として目立っていた私に先生は、
「君は金沢美大の学生か?」と尋ねられました。
「先生の大学の授業はつまらないけど、
今日の講演で色彩で分かりました!」
先生から笑われましたが、一遍に覚えてもらいました。
デザイナーとなり、色彩の決定について
デザイナー同士で話をすることもあります。
すでに経験値としてはかなり高いとは思います。
私の色彩デザインは徹底的な実習実技の美大での訓練と、
大智浩教授の色彩論理、
それも市民講座が足固めをしてくれました。


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『船舶産業はますます劣化していくのかも知れません』


   


     5月 16th, 2019  Posted 12:00 AM

この審査委員になって10年になります。
今回は多数の応募者がありました。
「省エネ」、「安全と信頼」、
ユニバーサルデザイン」は、
船舶では当たり前のこととして、
さらに、そのデザインコンセプトについて
私はそれぞれに、「安心と信用」を重ねて質問をしました。
が、深掘りしてみると、的を射る答えはもらえず、
ユニバーサルデザインはこの日本に誰が持ち込んだかも質問してみました。
それは私でしたから、
ユニバーサルデザインハンドブックを監修しています。
ユニバーサルデザインという概念はマイケルカリルが提唱し、
ロナルドメイスが7原則にまとめ提言したものが知られています。
これらをデザインの教育プログラムとして持ち込むために
米国から連絡があったのは私でした。
当時私がいた名古屋は、世界デザイン都市宣言をし、
世界デザイン博覧会を開催していました。1989年のことです。
そしてGマークでもユニバーサルデザインの部門を創設し、
その奨励を制度化したのです。
さて、最終審査では、私が最も年少者で
経験値豊かな専門家達の議論が尽くされましたが
省エネなど謳われている数値指標ふくめ問題をあげて、
各専門家の知見として回答や意見を交換しました。
このままでは船舶産業は世界的にさらに後退していくこと、
その危惧を拭いきれません。
かってトップだった船舶産業が、劣化していくことは否めません。
次世代デザイナーは、「水圧力・浮力・スクリューなど」
デザイン対象に取り入れるべきです。
とは言えデザイン教育の現場にそれを学ぶ土壌がなく、
船舶デザインは、圧倒的に遅れています。

ユニバールデザイン

ハンドブック


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『デジタル・カーニングが無いというアナログの「知」』


   


     1月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

東芝で多分、総研で「Aurex」が決まった時に、
当時、デザイナーは、東京芝浦電機の「意匠部」でした。
1年間、研修していた私にも提案が伝わり、私の案を出しました。
そこで、ディレクターが、私の案を採用しました。
他の大手広告代理店には絶対に負けないようにと、
このマークやロゴタイプをデザインしました。
丁度その頃には、ビデオテープでこれが入る看板までやりました。
美大で学んでいたとおりに天地60mm直線表示で曲線はプラスαなのです。
特に、レタースペースは、髪の毛一本分=ヘアーラインに注意。
以後、私はこのレタリング方式をデジタルでも「知として」使っています。
だから、アナログ方式にはカーニングではまだまだ経験値が必要です。
それこそ、オリンピック・パラリンピックは直線と曲線には、
ヘアーラインが全く考慮されていません。
現代のデザイナーには、レタリング知識の「知」が欠落しているのです。
ところで、大手広告代理店では数億のデザイン料でした。
そして、私はシェーファーの多分2〜3万の万年筆で終わりました。


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『製品から商品へのデザイン投資のサインカーブ』


   


     11月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

日本は貿易立国でなければ国家存続は不可能です。
貿易立国である大きな条件として、
自分はモノづくり、そのデザインを職能としてきました。
もはや特にインダストリアルデザイナー、プロダクトデザイナーは、
私の天職になっていると公言できるほど様々な領域の工業製品、伝統工芸に
デザイン手法、つまり問題解決・価値創出・未来創成に関わってきました。
その成果も、すでに何冊かの作品集になっています。
そして今なおデザイン教育者としての立場では、
「KK適塾」を開催してきています。
そうした中で、原丈人氏の「公益資本主義」での
基幹産業としてのベンチャーキャピタルの図とデザインの関係を
「KK適塾」でも紹介しましたが、この展開と詳細さを深めていきます。
現在わが国の製品開発から商品展開は
「失われた20年」や「ガラパゴス化」など、
日本の産業その低迷化は見事にデザインへの不信感にもつながっています。
重厚長大が軽薄短小となり、バブルの崩壊、リーマンショックは、
結局、日本の家電業界、その基盤産業をすっかりと失い、
これはやがて自動車産業界をも危うくしていくものと考えます。
したがって、このいわば正弦波的(サインカーブ的)に、
製品開発投資から商品投資として、デザインがどのように関わっていくかを
正直、この数日これまでの製品開発から商品展開を経験値と適合し、
新たな問題解決・価値創出・未来創成=デザイン、
この指標化を考えていました。

* 『やっと4冊目の作品集が出来上がった!』
* 『silienceからパラ理論とメタ理論への展開が可能になる』
* 『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
* 『「KK適塾」は日本からのデザイン思想と実務の発信』
* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』


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『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』


   


     12月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

学術と芸術が分離あるいは分担されてきた教育、
このわが国の教育システム・制度の歴史はとても長いと思います。
幸いにして、私は学術と芸術、それも芸術に派生してきたデザインを学び
プロのデザイナーになることが出来ました。
人はいずれ長じれば自分の職能的な経験値を伝える使命と義務があります。
このことは、すでに大学の恩師達には分かっていたのかも知れません。
私が想像もしていなかった交通被災で車イス生活を余儀なくされた時、
恩師たちからは、大学に戻れと言われ、その大学を辞した時には、
別の大学で、教育系では情報デザインとデザインを、建築系でもデザイン、
こうした教育側の訓練を受けていたのでしょう。
私が大学人を選んだ時には、「やっとその気になったか」と納得を受け、
大学人とデザイナーとして今日を迎えています。
そして、芸術と学術、文系と理系の融合化統合化によって、
私は「コンシリエンスデザイン」と「レジリエンスデザイン」を知り、
デザインを看医工学に焦点化した時には、
学域のデザインは人間の社会と時代、生涯に向かいました。
結果、健康と福祉は「命」=生きることを支えることを明確にしました。
これは私が芸術=美術大学時代の教授達が今なお私に、
プロとしてのデザイナー、その経験に基づく新たなデザイン、
その手法を発見させて、次世代への教育目標を創らせたのでしょう。
私は素直にニュートン的なベクトルの合力によって、
作用点に人間の思考・知識を置いて、その合力が人間に向かえば、
明らかに、健康と福祉が命を支えていること、
この支援力には、
レジリエンスという、例えば自然や社会からの
抑圧に抵抗する力をレジリエンスデザインとし、
レジリエンスデザインを充分に知り尽くしているからこそ、
コンシリエンスデザインが人間の支援力になるということを
明確に確認させてくれているのです。
学力・デザイン力を「コンシリエンスデザイン」とし、
まして私は、身体障害者であり心臓障害者ゆえに
「命」とデザインの関係を相反させて伝えていく使命と義務があるのです。
そして、すでに、このニュートン的な力、合力だけではなくて、
量子力学的な相互作用的、重力的、電磁力的な隠喩としての
新たな「コンシリエンスデザイン」を定義して、
次世代デザインを提唱していくことになるでしょう。


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『資本主義からの逃走』
    「気楽・緊張の『会話』が、最も簡潔さを引き出す」


   


     12月 22nd, 2010  Posted 12:00 AM

デザイン手法は会話
デザイン手法に「会話」が手がかり。
40年デザインに関わってきた経験です。
この経験値から、デザイン手法とデザイン造形を伝えます。
まず、「私」がデザインしたいモノを見つけます。
そしてひたすらそのモノの造形にだけこだわります。ことば・図・スケッチ・図式・数式です。
私はそうした独り言をそのデザイン対象のモノに語りかけています。
そうして、そのモノをどうして自分=一人称が、二人称となる「あなた」を見つけて、
そのモノを語ります。
無口さ・饒舌さ
ただし、この語り方・語り口は、二通りしかありません。

 ・無口・一切言葉無く、「あなた」に差し出すだけの時もあれば、
 ・饒舌・もう自分の持っている語彙の限りを尽くして喋ります。

この会話、あるいはモノにだけの対話は、気楽なこともあれば、緊張極まりないときもあります。
そして、この一人称と二人称のinclusiveに、
三人称である誰かに、そのモノの造形を伝えるときになって、
その造形されたモノの「かたち」が語り出すかもしれないことが、
実は、「コンセプト」と「言い切ってしまう一言」だと確信しています。
不要なコンセプト
「言い切ってしまう一言」は、可能なかぎり簡潔であってほしいのです。
この簡潔さが「美しいかたち」の母体です。
なぜなら、気楽な相手であろうが、緊張する相手であろうが、
たった一言で、その「かたち」がきれいでさらに美しいと言い切れるなら、
二人称=2nd personも三人称=3rd personも、
説得と納得というコミュニケーションが可能になると確信するからです。
つまり、この簡潔さである一言さえ不要なら、
デザインにコンセプトすら不要だと考えています。
無論、デザイナーになっていくトレーニングのために、
コンセプト=ことばからデザインをしていく手続きを教えることは不可欠ですが、
いづれ、そのようなコンセプトなどは全く不要だと宣言しておきます。
語彙を持つ才能
そして、語彙=ボキャブラリーには記号も図式も数式も必要だということです。
無口な語彙性と饒舌な語彙性に、気楽な自分と緊張する自分という一人称だけが、
モノの造形・かたちを創り出すことができるのです。
ただし、この一人称になりきれる存在を才能と呼んでおきます。
つまり、「かたち」を創れる一人称は限られているのです。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義の冷酷さ、
  企業倒産をデザインから傍観する」


   


     11月 26th, 2009  Posted 3:00 PM

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資本主義の「冷酷さ」は、当然、マルクスはじめ、
マルキストたちが指摘してきました。
だから、共産主義、社会主義というのも、
すでに無理があったことは歴然としています。

私は、デザイナーとして、
「企業倒産」、「会社更生法適用」、「上場取り消し」を、
本当に間近で、かなり見てきました。
もちろん、それを予知したり、予測できる要素を
見いだしたりということは才能だとも自負します。
デザイナーとしての大きな「経験値」になっています。
「直感」=「第六感」もあります。
この企業、危ないな・・・?!
パートナーあるいはコンサルタントを引き受けるのは
お断りしよう!!!!!
そして、そうした予測をした企業は、
必ず「倒産」や「会社更生法適用」に至るのです。

大きな要素は、三つあります。
まず、「経営者の資質や思想」です。
次に、「資本主義における景気観の読み違え」。
最後が、「デザインを見下げている企業環境」でした。

私は、いづれ、私が体験してきたことを書き残そうと
思ってきましたが、
やはり、もう書き始めた方がいいと判断しました。
なぜなら、「デフレーション」・「デフレ・スパイラル」に、
現在の日本経済はこうなるだろうと、
私の予測は、予知ではなく的中しているからです。
最近のベストセラーに「イノベーションのジレンマ」
という経済と企業の予測本があります。
私は、この指摘はまだ「資本主義を前提」にした発想に、
経済学者の脆弱性を読み取っています。
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それは、「イノベーション」とは「景気循環論」
あるいは、「革新」という動機付けで「景気説」で、
その論理が終結的になっていて、
単なる「イノベーション」という
「話題」への「応答」説でしかないからです。
それは、
「イノベーション」を「課題」・「問題」ではないからです。
すなわち、
イノベーションでの「景気循環論」への
「回答」も「解答」も経済の論理では生み出せないのです。
イノベーションへの「解答」は「回答」を経て、
「デザイン」が明確化できると私は経験から考えています。


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