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Posts Tagged ‘絵に描いた餅’


『「企画書」づくりが私の休暇の積み重ね』


   


     8月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

「企画書」はデザイナーになってどれほど書いたでしょうか。
バブルの時には、一枚書いてとても高額だったことは今では夢です。
ただし、「企画」と「計画」の違いはほとんど一般化していません。
特に、政府も行政、企業にいたっては無能の有様です。
それは「企画」にしろ「計画」にしろ、いづれも戦略用語ですから、
「戦略」=企画、「戦術」=計画であることも知識です。
企画とは、領土拡大において、どこまで領土を支配する予定書、
計画とは、元来は経画=領土線を縦に引くことです。
したがって、企画とは戦略同様に目標と目的が示されますが、
計画とは、その目標と目的を具体的に空間設定、時間設定を
人間が行うべき行動指針が示されなければなりません。
まずもって、政策策定書・政府内閣から行政の「企画・計画」書で、
私に提示されると、ついつい次の質問をしてしまいます。
これは企画ですか?計画ですか?
目標しか書いていないのですが、目的は何ですか?
企画なのに、どうして具体的な方針が書かれているのですか?
計画というのに、どうして目的だけで行動工程が無いのですか?
となれば、とても嫌な存在になるのでしょう。
こうした批判のためにどれほど仕事を失ってきたことでしょうか。
今や、このようなことはどうでもいいのです。
私は真っ正直に、地道に、目標と目的を見極めた企画を提示し、
その遂行のための行動・実務方針と時間管理の計画を差し出します。
万が一、この企画・計画が実現できない場合は、
この実現を成すべきリーダーが無能である証になるはずです。
なぜなら、時代は「情報時代」であり、「見える化」が当然です。
したがって、私はデザイナーとして、書けるだけ書き残し、
後世にその判断と評価を残すことが可能になっています。
私は、デザインという「絵に描いた餅」作業こそ、
「絵に描かれた餅」だからこそ「食べられる時代」になりました。
だから、「企画書」?を書き残します。

「企画は必ず具現化すること」


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「たかがリモンコンではありえない」


   


     8月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

プロダクトデザインの本質を一言で断言すれば、
「使い勝手と美しい存在性」につきます。
そして、このリモコンが明示している人間と生活への提示は、
企業の社会的存在性を最大限に表示しています。
つまり、この企業が人間としての尊厳確認を自己確認しています。
これらはB&O社のリモコンです。
自宅のオーディオシステムはこのすべてで管理ができます。
すでに廃盤商品になっている20年前のモノ(右端)もまだ使えますが、
これはその当時に、
「いづれ家庭内のTVから照明から電話すべて」を
コントロール可能としていました。
しかし、時代尚早だったために
そのようなシステムまで開発は進化できませんでした。
こうしたB&O商品は、
当時から確実に未来のデザインを誘発させる美学的思想と
ライフスタイルを示唆していました。
しかし、B&Oという企業は現代に至って、
そこまでの経営手法そのものを革新的に出来ませんでした。
明らかに経営者能力が
デザイナーの夢を支えられなかった証明と言っていいでしょう。
翻って、エレクトロニクス関係、情報系、
エネルギー系などへの「デザイン提案」を、
実現するのは「企業経営者の義務」だと明言しておきます。
つまり、デザイナーの夢は「絵に描いた餅」と揶揄されます。
それも経営者という種族が
「たかがデザイン」としか思っていないのが真実です。
私はこうした経営者を喧嘩相手に40余年生き抜いてきました。
こうした経営者が社会的リーダーだというのは大間違いです。
それはほとんど無責任で真善美の人間としての生き様の基軸を、
ひとまずは「仮想の経営者にすぎないこと」にも無自覚で、
とても哀れな存在だと指摘しておきます。
まして、そんな経営者が全世界的に増殖していますから、
これは地球規模的大問題です。
デザイナーは、その専門的職能の真意忠実に、
正道をめざして自分の生涯を
そのような経営者から離脱させるべきでしょう。
「たかがリモコン」ですら、
その存在意義に、世界観のあるべき方向が見えています。
比して、現代の全てのリモコンの醜悪さが、
そのリモコンを社会化した企業、
その企業経営者の何物かの
「あってはならない罪悪性」までを象徴していると考えます。


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『資本主義からの逃走』
    「 デザインの実力を語るために」


   


     9月 10th, 2010  Posted 12:00 AM

デザイン職能効果
私はこの40年間、ひたすら主張してきたことは、
「デザイン」という職能の果たす役割、
つまりその実力効果です。
その実力を話す前に必ず了解と理解を求める前提があります。
それはまず、「外観づくりでは無いということ」です。
しかし、デザイン造形無くして、最終形態として可視はできません。
そのことの区分けはなかなか伝わらないという経験は
今なおひきづずっています。
さらに、デザインは「かたちづくり」だけでは無いということを
さらに強調しなければなりません。
受け手は混乱し、認識の断絶が起こります。
結局、
この連鎖性そのものを理解してもらうことの困難さはこの上無しでした。
なんと言っても、デザインの実力というのは、
「絵に描いた餅」という話につながります。
つまり、「絵に描いた餅」は食べられないということになります。
けれども、
私自身、「絵に描いた餅」で「食べてきました」=生きてきました。
その絵は、簡単に言ってしまえば、
「紙の上にえんぴつ一本の線」で描かれた餅です。
さらには、餅というモノでは無い、食べるコトのデザインもあります。
モノづくりとコトづくりです。
そして、このモノとコトの連鎖性を「文脈」と呼んでいます。
デザインする対象が包含している「文脈」の効果こそ、
デザインの実力と言い切ってもいいでしょう。
そこで、その実力を発揮するために、
私は、デザイン手続きとして、
● 発想の文脈
● 表現の文脈
● 伝達の文脈
この三つをさらに「包含と統合の文脈」として
提案と提示をしているということです。


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