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Posts Tagged ‘美’


10月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 24th, 2023  Posted 12:00 AM

10月23日 大安(甲寅)

むしろ、
用と美から開放された
使い勝手や美しさよりも、
そのモノの存在が意味してくる、
いわゆるモルフェーとしての存在感に、
魅惑されることやその崇高なまでの
象徴性にこそ、
美があると判断したい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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10月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 11th, 2022  Posted 12:00 AM

10月11日 赤口(丁酉)

むしろ、
用と美から開放された
使い勝手や美しさよりも、
そのモノの存在が意味してくる、
いわゆるモルフェーとしての存在感に、
魅惑されることやその崇高なまでの
象徴性にこそ、
美があると判断したい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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10月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 10th, 2022  Posted 12:00 AM

10月10日 大安(丙申)

必ずしも
用と美の融合や統合、
統一などで、
デザインを追い込みたくない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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10月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 9th, 2022  Posted 12:00 AM

10月9日 仏滅(乙未)

明言するなら、
私にとって、
用と美は、
デザイン上では大した意味性を持っていない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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10月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 8th, 2022  Posted 12:00 AM

10月8日 先負(甲午)

形態の美しさと機能性は、
用と美と呼ばれてきた。
そして、少なからず、
用と美は日本の工芸の極致的な
言葉である。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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8月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 5th, 2020  Posted 12:00 AM

8月5日 先負(庚辰)

『分別としてのデザイン』

そしてこの論理から
創出された「かたち」にこそ
「美」は輝くと確信する。

artificial heart:川崎和男展


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『カメラも大変革ですが、今のM8を絶対に使いたい』


   


     4月 6th, 2020  Posted 10:54 PM

今では「スマホ」があるから、生活、暮らし、趣味、仕事と
どこでもアプリで相当の事が出来ます。
ともかく、スマホカメラも十分な性能を発揮しますが、
やはりカメラも大変革ですが、手放せません。
私の愛用品としてライカM8 標準とマクロレンズを持っています。
と言っても、私はM8を使いこなせていません。
ライカでは限定品でM10で白黒オンリーが出ています、惹かれます。
腕前は、名品の精度をここぞと披露できるほどではなく
それは表現者=デザイナーとしてのそれなりなのです。
普段はライカやハッセルブラッドのデジタルの機種を使っていますが
レンズやボディの実装などブランド技術があり、
中身はパナソニックやソニー製であるためちょっと高額機種です。
ライカでは駄目、ハッセルブラッドと海外で言われました。
このブログ用に撮る写真もほとんど駄目ですが、
本当の憧れは「土門拳」です。
「宇治の平等院へ撮影に行った帰り、
鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら、
茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は、静止しているどころか、
目くるめく速さで走っているのに気がついた。
しばし保然となった私は、思わず「カメラ!」の美でした。」
土門拳の『古寺巡礼』の一説です。
駆け抜ける一瞬を逃さずなんとしてもM8を
もっと練習して、「見せられる写真」を撮りたいです。


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3月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 27th, 2020  Posted 12:00 AM

3月27日 赤口(己巳)

デザイナーが、いつでも試み、
そして具現化するどのようなモノも、
理想主義を「美」で包んで、
その意味性を伝えようとしている。
伝えようとしてきた
歴史も保持している。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』15 遺伝子操作としてのオマージュ


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12月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

12月23日 先勝(甲午)

むしろ、
用と美から開放された
使い勝手や美しさよりも、
そのモノの存在が意味してくる、
いわゆるモルフェーとしての存在感に、
魅惑されることやその崇高なまでの
象徴性にこそ、
美があると判断したい。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』12 造形形態学の必然性


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『気障と美とデザイン』


   


     11月 15th, 2019  Posted 12:00 AM

私はデザイナーであり、常に思っているのが「デザイン」と「美」です。
「真善美」の中で、私が選んだのは「美」でしたが、
気障に見えるかもしれませんが、毎日「美」をともかく見ているのです。
私が音楽か美術に進みたいと言った時に、
「あなたはそっちが向いている」と母が後押ししてくれました。
そして美大進学のお祝いに「気障に生きなさい」と
指輪とブレスレットを買ってくれました。
また、書もそれこそ一流の禅寺で、
高校時代に自分から申し出て特訓しました。
この書は空海の寄せ集められた「般若心経」です。
そして、なにかにつけて、この書を見ます。
日々様々な物事があり、汚れやわだかまりなど
純粋な美だけを追求できなくなりますから、
心を空っぽにしてこの書を見たり、読んだり、書くことで知恵を授かり、
「美」を感じ取れる私自身となり、デザイン活動に戻れます。
時々の再起動を要します。
ともかく、「美」とは何か形あるものでは無くて、
この書の思い、考えを巡らせます。
それが、「美」に向かってきたことを確信できます


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