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『電柱はもう街の景観にはあらず・電線地下美化倶楽部』


   


     6月 27th, 2016  Posted 12:00 AM

電柱の存在は余りにも酷たらしい現状です。
電柱は犬がマーキングをする存在ですが、
それを見上げていくと、なんとその工事のいい加減さ、適当さに
ひっくり返らんばかりに驚き哀しまざるをえない出来映えに呆れます。
ところが、米国の果てしない荒野の一本道に、
木製の電柱が建っていると、その佇まいはとても美しいのです。
何が違うのだろうかとしみじみと眺め比べてみますが、
たとえば、このような仕事姿勢の違いがあるのではと思います。
「見てご覧、あの電柱は私が電線を張り、電柱が景色の
ひとつの表現になっているだろう」。
「あの電柱、ともかく仕事だから定時間に済ませただけ、
景観、それとの調和?知らないよ!みんな気づかないだろ」。
この意識で街中に見苦しい電柱が一杯あっても、
誰もが黙認してきたのが我々でした。
「電線地下美化倶楽部」があります。この倶楽部を立ち上げ、
提案をしたのは自動車大企業T社の元デザイン部長です。
名古屋工大教授もつとめ、オートバイ大企業のデザインコンサルタント、
旧知の仲です。しかも同世代、「最後の役割だね」ということで、
まず、メンバーを増やそう、そして、日本の醜い電柱写真展から、
ということで、スタートをかけました。
以前、水道管をすでにステンレスにしている地域がありました。
しかし日本は地震大国ですから
フレシキブルな地中水道管工事を、と思っており、
日本の「地下埋設工事全般」に新デザインを、
という提案に電柱も地下埋設。
ロンドン・パリは電柱ゼロです。
ジャカルタですら東京23区・大阪市と比べたら。
これこそ、貧しい都市なのです。

*『瓦礫に祈りを・・・デザインによる復興計画を』
*『この実例に世の中の無責任でいいかげんさが表れている!』
*『電線・電柱・地下インフラのやり直しデザイン』
*『電力会社を破壊し分散させるべき証拠・告発します』
*『スマホのアイコンはインフラ的な高品位性が不可欠である』


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「資本主義からの逃走」
  「美化することの形式・内容は真意・虚実に」


   


     3月 23rd, 2011  Posted 12:00 AM


この大震災・原発事故に当たって、
私は、自分のスタンスをともかく保持。
と言いつつもパニック化していたと思います。
14日から18日は全国がパニック化と疲労したと思います。
それはこのブログアクセスの異常なアップ変動で判断しました。
私はこのブログによって、「言葉を失わない」自分であること。
「普通であること」。
「私の日常は、私の役割をさらに積み上げていくこと」。
それは、たとえば、今デザインテーマやまもなく新学期準備、
毎日の活動の積み重ねでした。
それはまもなく出版予定の
『倉俣史朗のデザイン全仕事・夢の形見に』校正作業でした。
そこで、もっとも考え抜いていたことは、死者へのオマージュ、
それは必ず「美化」するものです。
果たして「美化する」という表現が、事実を歪曲し、
すべからくを「正しさ」に昇華してしまう畏れへの考察でした。
憧憬し、尊敬していた人物のしかも夭逝から、
その人自身の全仕事が「美学まっただ中の仕事」です。
だから、その「美しさ」を解釈し、敬意・オマージュは、
「美化」の塊と言っていいでしょう。
加えて、TV報道される内容には泣かずにはおれない悲しみが、
幾たびもまさに津波のごとく私を混乱させていました。
現政権や電力企業の対応には、
批判は非難に至るであろう心の中の怒りを覚えることしばしばです。
けれども、冷徹であるためには、自分にその批判を向けることでした。
その象徴に「美化」を置きました。
具体的には、1997年から2004年に20回の連載記述を凝視し、
その客観的な思考洞察をしながら
この国難をともに考えることにしてきたわけです。
あきらかに「美化」しています。
それは私が自身、母の死を「美化」してこそ心の中で、
それゆえに合掌している自分、
自分への同一性を確認できていると確信できるからです。
私は「美化」することに、
バランス感覚を保持し続けることができうるかを試そうと決意しています。
被災現地で被災死亡者のご遺体は、
身元確認をDNA記録化して後日確認で土葬という悲惨さです。
埋葬の形式を度外視して内容だけ、
いわば死亡者への畏敬形式を後回しにというほどになっています。
学べることは、形式ではなくて内容あっての形式だということです。
だとすれば、「美化」することで、
この悲しみの共有と分配程度しか
私たちの精神正常化保持はできないのかもしれません。
私は「美化」することの均衡感覚だけを残しておくつもりです。
形式と内容は、真実と虚実を混乱させることに繋がっています。


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