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Posts Tagged ‘脅威’


「『想定内』であっても・!!!」


   


     12月 29th, 2011  Posted 12:00 AM

東北、三陸海岸地方には確かな「想定内」がありました。
古からの津波への言い伝えは、石碑もあり、
日常的な避難訓練にも熱心でした。
皆さんは伝統的にも津波の脅威を語り継ぎ、
そして「想定」をされていたことは多かったのです。
避難ビル、避難地域もありましたが、裏切られました。
それだけに「想定外」は特に技術具現に対して今回批難されました。
それは私もデザイナーのプロとしては、
真剣に日常、肝に銘じていることです。
デザイナー育成教育においても最も重大視していることです。
ユーザーはどのような使い方をするかもしれない、
だから徹底的な製造物責任を自身の熟考結果に求めます。
そして、1000年に一度の天災と言えども、
技術的見地からは、役立たない物事はあってはならないことです。
3.11での最大の教訓は、
技術成果には決して想定外は罪悪であるということです。
なぜなら、「想定内」であっても、
人間の技術行為などには限界があります。
防波堤3m、防潮堤10mなどは全く機能しなかったということです。
3,11津波情報は「想定」です。
最初に3mという予報は実際、16.7mでした。
三陸海岸での養殖産業は沖合5kmにまでおよび、
その人工漁礁のウキが
海岸線から山間部まで5km程度位は押し流されてきました。
押し浪と引き浪は交互に襲いました。
その予報という想定などは一挙に破壊され破滅的状況になりました。
「想定学」を設計論の大骨子にすべきだと教えられます。
もちろん、設計学での基本は「想定」であり、
設計コンセプトは「想定条件」そのものです。
しかし、3.11によって、私たちは永久の「想定学」こそ、
「想像から創造の実務学問」だということを知りました。

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『資本主義からの逃走』
「能力訓練は逃走訓練だから、自己情報の管理と統合」


   


     7月 31st, 2010  Posted 12:25 AM

生産・消費・廃棄・回収・再生産
私はデザイナーなので、「スケッチ」が資本と主張してきました。
能力や才能が資本になるという、ひとつの具体的なシンボル例です。
マルクス時代は、あくまでも生産と消費の構造は「工業社会」でした。
ところが現代は脱・工業化社会として「情報化社会」が「情報社会」になりました。
しかもその進化は、生産と消費から、
「生産・消費・廃棄・回収・再生産」というサイクルが必然となっています。
結局工業社会での生産物が消費物となるためには、
「情報化」としての消費が待ち受けています。
つまり、
生産・生産情報・消費情報・消費、廃棄・廃棄情報・回収情報・回収、
再生産・再生産情報という具合に、
「情報化」が割り込んでいます。
ということは、「個人的な能力」あるいは「才能」も、
まず「情報化」されなければ「能力も才能も資本」にはならないということです。
したがって能力や才能には、
「情報」に対する個人的な=自己の管理力と統合力が
希求されていることは間違いありません。
1980年代から急速にパソコンやモバイルなどデジタル機器が、
その情報の管理と統合を支援しています。
すでに30年で、たとえば、インターネット・ユビキタス・スマートホン、
そしてクラウドという情報基盤の中で、
まさに生息している自分と対峙することを要求されています。
この30年、「情報基盤」の進歩は、私たちの想像を超越しています。
そんな中で、自己を生息させることへの積極性と消極性は
各自、二分されてしまったようです。
積極的と消極的な逃走訓練

「情報化」の脅威、
「情報化」の虚偽、
「情報化」の性善、
「情報化」の性悪、

この四句分別への正当さを自分自身の日常的な生活態度に出来ないかぎり、
私たちは生息していくことはできません。
それはとりもなおさず、自己能力の情報化訓練です。
だから、私は「情報化訓練」=「資本主義からの逃走訓練」だとさえ思っています。


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