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Posts Tagged ‘脱亜入欧’


「メタリック文明だったことの見直し」


   


     6月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

東京のイメージ。
かつてインドからの留学生、
彼女は一言で「メタリック」、
瞬間的な言葉でした。
この言葉に凝縮されています。
日本の象徴都市、敗戦後からの文明成果です。
今回、東日本大震災と原発事故についての論評は、
敗戦以後の経済、政治、原発に集約された、
日本システムへの見直し論はほとんど批判論です。
しかし、ある高名な評論家の言説には、
明治維新で捨て去った伝統的な日本観までの遡及、
文明開化・脱亜入欧・富国強兵・平和憲法に及ぶ論考に、
私は感動しました。
「メタリック」は、
特にプロダクトデザインにとっては揺るぎない表面装飾。
ある意味では決定打的表皮仕上げです。
56豪雪時に私はふるさと福井に帰りました。
翌春、早速出かけたのが敦賀半島のあの原発でした。
直観的に、007映画に登場する敵対相手の住み処でした。
「絶対に、見られてはならないことが行われている」、
この印象から、あらためて原子力に向かっていきました。
福井の自宅はたまり場になりました。
新聞社やTV局の記者さんがよく出入りしていました。
彼らですら、原電事故取材は「じゃんけん」で決める、
というぐらい事故ともなれば近づきたくない存在でした。
原発が「メタリック」な代物とは言い難いですが、
以来、私は、「建設」という手法の曖昧な仕上げのモノは、
信用できないという思考結果になりました。
やはり「生産」するモノの精度感には信頼性があります。
その後、核燃料サイクル機構から持ち込まれた発想を
デザインで支援するには、
「建設」から「生産」を第一義にしました。
超小型発電「機器」のデザインを阪大の原子力技術で、
デザイン意図に技術的背景での理論化が可能でした。
まだまだ課題は残されていますが、
私の中では「安全神話」などは信じていませんでした。
だからこそ、
ソーラーパネルを「安全寓話」と呼び、
風力を「安全童話」と私は断言できます。
地熱発電も「建設」では決して最適解答にあらずです。
要は、自然は人間が消費するのエネルギー量を、
決定しているのかもしれません。
「メタリック」という表皮的な文明が望んできたこと、
徹底的な見直しが必要になったということです。

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『資本主義からの逃走』
 「雷神の手からスルリと・・・『失』という意志」


   


     10月 2nd, 2009  Posted 10:07 AM

「失」とは、電光石火です。
私の「失」の概念は、
雷鳴あるいは稲妻のようなまっすぐに、
直進して迫ってくる光あるいは雷電がイメージです。
雷神のごとき自然界の不可思議な意志です。
それは、自然界から人間に指示された意志と言っていいでしょう。
まさに、「手から抜け落ちて、判断をせまってくる力」の印象です。
「失」は落ちてくるのです。

今、私たちは、
「失」ならば、
「失敗・失念・失礼・過失・損失・滅失・・・・など」を
想い浮かべるでしょう。
しかし、「失」の原意は、
自然界の意志が電光石火で、
私たちにあたえられた試練だったのです。

福沢諭吉は、
「脱亜入欧」をなぜ、明治維新を通して日本人に勧めたのでしょうか。
「文明開化」と「西洋化」に、彼は説き続けました。
02_fukuzawa
「人は人の上に人をつくらず・・・」と。

これは、米国の「独立宣言」、
トマス・ジェファーソンからの引用でしたが、
そのことまでは歴史的に言及されてこなかったのです。
01_jefferson

「安政の大獄」で斬首されたり、
獄死した志士を黙して見送った
自己への憤懣と自虐性を
おそらく死すまで抱いていたものと思います。

よって、
彼は、体制には決して与することは出来なかったのでしょう。
これは、徴兵されて戦地から
生還した人々が抱いた信念と同質のものなのです。
「戦後民主主義」の自虐性と憤懣は、
連続して振り落とされてきた、
「失」のごとき、
戦勝者たちがまるで雷神の振る舞いを演じました。
すなわち、その程度の「歴史」感覚だと私は思っています。


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