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『資本主義からの逃走』
  「喜怒哀楽のデザイン・哀しみにデザイン」


   


     8月 25th, 2010  Posted 12:00 AM

喜怒哀楽
交通被災で車イス生活を余儀なくされて、
私は人生って・・・ということを、
本当に考えさせられることになった気がします。
無論、人生はそれなりに、デザイナーを選んだことや、
デザイナーとしての夢がそのまま自分の人生だと、言い聞かせていたようには思います。
しかし、「自力」は難行苦行で、もう一度取り戻さないと車イスにすら乗れない。
こんなことも思い知らされてわけです。
そして、私は当時、こんな結論で割り切ろうとしました。
おそらく、人生は、「喜び・怒り・哀しみ・楽しみ」が四分の一づつあるんだから、
車イス生活も私の人生の四分の一にしておこうと考えました。
だから、「車イスのデザイン」は「哀しみにデザイン」って想えばいいということです。
とすれば、「デザイン」は「喜び・楽しみ」だけを、これまでは効用・効果だと考えてきたことに、「怒り・哀しみ」も加えるべきではないだろうか、ということにたどり着いたのです。
「怒り」と言っても、それは他人に対する怒りよりも、
自分自身への怒りとか、どうして問題解決できないという苛立ちに対する怒りです。
この連続性に「哀しみとデザイン」を結び付ける対象に「車イス」を置いてみようと思ったのです。
具体的に喩えると、私は毎朝目覚めると、傍らに車イスがあります。
「あぁ、今日もコレに乗らないといけないんだ」って思うと、なんだか哀しくなります。
今もそう思っています。
それなら、「この車イスだったら、乗っていても格好いいかもしれない」って納得できるモノ、
それが車イスという図式です。
哀しみにデザイン・CARNA
私は、「哀しみにデザイン」、そのデザインされた車イスこそ、
日常を見守ってくれる女神=CARNA(カーナ)と名付けてデザイン設計に入ったということです。
そして、「デザインは、喜怒哀楽、四分の一それぞれの対象があるはず」だ、
ということを自分に知らしめることができたと思います。
現在も、常に、これは怒っているから、ともかく医療関連をとか、
哀しみのためにこそ、デザイン運動が必要という考え方をしているということです。
それらを「自力」でやり通すということ、
もし、それが出来上がったらどんなに楽しくて喜びになるだろうというのが、
「自力へのエネルギー」になっているのでしょう。


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