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Posts Tagged ‘蓄積’


8月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 18th, 2023  Posted 12:00 AM

8月18日 先負(戊申)

デザインとアートの関係は、
クラマタの作品を語り尽くし、
議論の蓄積のなかでひょっとすると
見つけだせるかもしれない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』9造形された形式


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12月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 4th, 2021  Posted 12:00 AM

12月4日 大安(丙戌)

『知行としてのデザイン』

認識無き実践を
どれほど
蓄積したところで、
その実践効果は
ある種の経験ではなく、
個人の思い出に
すぎない。

artificial heart:川崎和男展


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7月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 22nd, 2021  Posted 12:00 AM

7月22日 赤口(辛未)

『逐次としてのデザイン』

例えば、
10年ひと昔
という言い方は、
あたかも
10年間という
蓄積された時間の堆積が、
醸造され
発酵されたような印象を
与えるかのようである。

artificial heart:川崎和男展


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3月8日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 8th, 2021  Posted 12:00 AM

3月8日 先勝(乙卯)

『黙示としてのデザイン』

なぜなら、
これまでのコンピュータは、
人間の体験を 、
わずかに情報化して
蓄積させた記憶と、
そのデータベースを
背景にした
制御の機能化を
形式化した経過の
産物でしかなかった。

artificial heart:川崎和男展


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3月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 21st, 2020  Posted 12:00 AM

3月21日 仏滅(癸亥)

デザイン力の拡大とは、
デザインの歴史を蓄積していく
エネルギーを強化し
確保していくということでもあるわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』15 遺伝子操作としてのオマージュ


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『チタニュムを車イスでは選択』


   


     1月 10th, 2020  Posted 12:00 AM

さて、マグネシュウム合金は製造段階で発火がします。
これが現在ではどう直されたのかをチェックしていません。
私の車イス開発では、超軽量さが求められマグネシュウム合金ではなく
カーボンファイバーか、チタニウムの性能を利用したいと考えました。
当時は、丸パイプとそれを加工したモノばっかりでした。
丸パイプでは、今でもそうですが切断面が少なくてすみます。
車イス設計では、造形意図通りの表現やおさまりがかなわずに、
チタニウムを使いました。こうして素材が選定されていきました。
が、それでも真空での加工には、かなりの技術が要りました。
当時は、石川県と福井県の工業試験所でも製造工程で無理がありました。
そこで、台湾にある技術が幸いし、その技術習得のために、
製造技術担当者を毎月、現地に送り込んでいました。
そういった全ての時間と労力を車イスの完成に注ぎました。
そして、当時からアプローチしたカーボンファイバーには、
様々な私なりのアイディアが蓄積されました。

* 車イス


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8月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 25th, 2019  Posted 12:00 AM

8月25日 先勝(甲午)

デザインとアートの関係は、
クラマタの作品を語り尽くし、
議論の蓄積のなかでひょっとすると
見つけだせるかもしれない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』9造形された形式


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01月06日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 6th, 2018  Posted 12:00 AM

01月06日 赤口(戊戌)

デザイナーが収集すべき最も重要なものは
「イメージ」である。

これをどのように
保存し、蓄積し、整理をしておくかが、
デザイナーの能力を決定する。

『デザイナーは喧嘩師であれ』収集数奇


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『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』


   


     10月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

この袋は私のふるさと福井で製造されています。
名前はフレキジブルコンテナバッグ=フレコンバックが通称です。
このバッグには、あの除染された土が詰め込まれています。
放射能でのセシウム除染が行われた結果、これは風景ではなくて光景です。
風景の原意は彗星・雷鳴・日食・月食の気候条件が自然に及ぼす景観です。
光景とは、陽と陰、生と死、乾坤の景観を言います。
ちなみに情景は自然と人間が存在している景観です。
ところであの除染必至の現地では除染ということへの信用は確実に失われ、
除染どころか移染=セシウムを取り除いたのではなくて、セシウム汚染場が
移動されただけという評判があることはもはや周知のことです。が、
デザインでもこの問題解決を絶対テーマにするべきだと考えてきました。
今、ようやく、新しい除染・完璧にセシウムの放射線濃度を
0.2μシーベルト程度にと、その素材と除染パッケージを
フレコンバック、そのモノ・素材と工程の開発を狙っていました。
ようやく、その方法論と素材・梱包・回収・蓄積のデザイン実務が可能かも、
だから、もうこの領域に、デザイナーが取り組んでいることを
ここで明確に発表することにしました。
あの人災でしかなかった原子力発電所の永久封鎖も、
デザイナーとエンジニアがやるべきことだと主張してきました。
絶対にデザインが不可欠です。
確実の○○○○効果を運用した「範原発」のための除染デザインです。

* 『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!
* 『意識して見つめたい「光」を』
* 『脱原発などありえない、範原発への期待』
* 「景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している」
* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」


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『人工知能には「ち」の思潮が欠落している』


   


     4月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM

「人工知能」が間近に来ていると言われています。
最も「人工知能」というのを、どこまでの範囲、領域、
あるいは性能・効能・機能で語るのかによって限界があるでしょう。
しかし、僕は、人工知能は不可能だと言ってきています。
それは「知能」という日本語がすでに間違っているからです。
「知」を明確化するために
「ち」の日本的な哲学・思想が欠落していること。
つまり、「ち」は日本の伝統的な思潮であり、
それは血から値・地・治・智・致など、知の思想までが
人工=コンピュータで創り出せるだろうかにあります。
かつて僕はコンピュータにはSyntax Errorがあると言ってきました。
そこで、Configuration Error を徹底して排除したのが
ゲームであり、囲碁、将棋。そしてチェスに対して
人間とコンピュータの勝敗はコンピュータが勝ったという論理です。
これで、人工知能はもはや完成の射程距離が明確になってきたという風潮。
すべからく、僕は大嘘だと断定しておきます。
人工知能という性能と機能はPlay Backシステム、
すなわち決定的な「繰り返し作業」は可能になりますが、
これを「人工知能」というのは憚られます。
したがって、Play Backシステムが効能化されれば、
人間の労働環境に異変が起こることから、
必要とされない職業が出てくることは間違いありません。
僕はこれを「人工知能」と言ってはならないと考えています。
知能が完成されるのは、創成・創発・創出という考え出す発明力です。
これを成し遂げる「ち」の思潮がコンピュータに、アルゴリズムに
確実に蓄積される必要があります。
そうした意味でも、あえて「人工知能」は不可能説を
僕は言っておきたいと考えます。
それこそ、ロボットが30年経ってようやく「医用ロボット」になったこと、
この事態と極めて似通っていると思うからです。
産業用ロボットはすべてPlay Backシステムでしかなかったことと同値で
おそらくArtificial Intelligencesでは無理があり、
Consciousness / Information / Knowledge にはすべて
「ち」の思想から理念があるということです。

*『心を持つロボット表現として、「泣き出す表情」』
*『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』
*『「KK塾」の対談と質問はイニシャルで方向決定』
*『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』
*『資本主義からの逃走』「各産業の0.5次化という高度化は情報化を加算」


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