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Posts Tagged ‘裏切り’


7月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 16th, 2023  Posted 12:00 AM

7月16日 先負(乙亥)

その「奇をてらう」という
「奇抜き」に、
「裏切り」、
そして正常だと勘違いしている
常識への再質問と問題提起は
極めて大切だと考えている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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4月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 9th, 2023  Posted 12:00 AM

4月9日 友引(丁酉)

その「奇をてらう」という
「奇抜き」に、
「裏切り」、
そして正常だと勘違いしている
常識への再質問と問題提起は
極めて大切だと考えている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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7月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 12th, 2022  Posted 12:00 AM

7月12日 先勝(丙寅)

その「奇をてらう」という
「奇抜き」に、
「裏切り」、
そして正常だと勘違いしている
常識への再質問と問題提起は
極めて大切だと考えている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『伝統的工芸品の継承者たちは「刃物知らず」です』


   


     7月 2nd, 2019  Posted 12:00 AM

最近のいわゆる継承だけの伝統工芸産地では、間違いが大変多いのです。
私が関わる打刃物の世界でも例にもれずです。
ここに、右には「蛸引き」、左が「柳刃」があります。
蛸引きは、関東地方、柳刃は関西地方で多く用いられます。
関東の蛸引きが先端が四角系なのは、
喧嘩に使われないためだというのは正当な話です。
そしてこの頃は、使用地方も混在し、柳刃が主流になっています。
また、私が衛生の面から一番存在拒否にこだわってきた
朴ノ木の持ち手が未だに使われています。
というか、一周回って元に戻ってしまったのです。
朴ノ木は、鋼材に対しての消耗品、商売のモノであり、
検査から大腸菌がいっぱい検出したことで、これを止めて
ステンレスでのサンドイッチで鋼を挟むことになったのが
私の一体型の包丁でした。
O-157を食い止めることにも一役を買います。
最近では「ダマスカス風の素材」と昔の文化包丁の組み合わせは、
刃物バブルになっています。あれは米国のハンティングナイフです。
これらの包丁は刺身包丁なので、
大きくは「平造り」と「そぎ取り」などを料理人は
とても細いこの刃物で仕上げますが、
時には、寿司職人と言えども不出来な人も多くなってきています。
何よりも私は、子ども達はじめ、人が犠牲となる犯罪が、
こうした刃物が武器となることに耐えられません。
いづれ、私はアドバンスデザインをうちあげ、
しかもビッカース硬度を表示する社会規範が必要と思っています。
伝統とは「裏切り」ですから、
肉体は切れないが、魚はもちろん、野菜や果物はとっても切れる、
そのような日本ゆえの「切れ味」を発表したいと思っています。


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6月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

6月20日 仏滅(戊子)

その「奇をてらう」という
「奇抜き」に、
「裏切り」、
そして正常だと勘違いしている
常識への再質問と問題提起は
極めて大切だと考えている。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『技術はいつでも歴史的にも「戦争」が革新する?』


   


     3月 31st, 2019  Posted 12:00 AM

技術が格段に進化するのは、歴史的にも戦争であり、
これは革新=INNOVATIONと言います。
この言葉で、主たる理論を構築したのはヨーゼフ・シュンペーターでした。
そして彼の発言なのかどうかであり、第二次世界大戦が始まりました。
私は革新では無く、TRADITION=伝統とその「裏切り」だと考えています。
絶対に乗りたいと思っていたコンコルドは、
いつもケネディ空港で見てはいましたが、今は乗れません。
このモデルがあるホテルを知っています(笑)。
コンコルドはマッハ2.2で飛行しました。
マッハは相対速度を音速で割った値ですが、
大西洋を横断する速度だと言われています。
JAXAが、マッハ5クラスの極超音速旅客機の実現を目指し、
研究開発を進めていることを発表しています。
この研究開発は、米国のボーイング社も競合に乗っています。
それこそ、戦闘用のエンジン技術では無いことを願いつつ、
太平洋を2時間で横断できるその旅客機という革新に期待しています。


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『自然観がある木質系のモノ、その技能が落ちている』


   


     3月 25th, 2019  Posted 12:00 AM

木、木材、木質は私の最も自然感を大事にしている素材です。
工業デザインでは、量産化するために、自然への模倣を越えて
自然感らしくあるために「木質風」で取り組んで来ました。
まず、自然風の木材を塩化ビニールのシートで作成してきました。
それこそ、私が社会人としてオーディオ部門のデザイナーだった頃、
世界中の樹木を全て覚えました。ゼブラやブラジリアンローズなど、
スピーカーシステムや音響ラックの素材として試してきました。
それを源にして、木材系や木質系、それを模倣し木材・木質系「風」を
工業デザイナーとして、工業的な素材系解決に懸命でした。
ちょうど、今では世界の森林減少や違法伐採への取り組みとして
国家単位=その国にある樹木以外は入手困難になっています。
最近では、自然系木質の技能の応用展開、
磁器系商品もその染色や転写技術は、
海外の一流ブランドに追い越されています。
それには、廉価物が一般に浸透し、
かっての伝統的=守りと裏切りを繰り返し
鍛えられた技能にたいする価値観が継続されず落ち込んでいます。
真善美の価値観を鍛えれば、本物が選択できます。


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『伝統とは「裏切り」であるから、産地は新たな技能開発』


   


     3月 24th, 2019  Posted 12:00 AM

世界的なショップでは、このようにして伝統が崩れていきます。
私は越前打刃物にはデザイナー人生の大半つき合ってきています。
ゆえに包丁のあり方には、産地の存続、
後継者の育成といった長い時間軸で製品、商品を見ています。
伝統工芸士という認定制度もあり、産地と職人を育成、
産業振興で次世代へと伝統をつなごうとしていますが、
本来の包丁と日常食の関連が希薄になってきました。
家庭の調理とその道具は、生活スタイルのバリエーションとともに
多様で多種に存在します。
私にとっての包丁=Kitchen Knifeはブランド「Takefu Knife Village」です。
刃と持ち手の柄を一体化しました。そしてその素材を開発し、
高品位ステンレス鋼で鋼をサンドイッチした構造により
日本刀=62に近いビッカーチ硬度=60を実現しています。
そしてブランディングに必要なロゴ、マーク、キャラクター、
テーマやコピーとできる全てを注ぎました。
そうすることで世界に発信することと産地と職人たちが
産地哲学あるいは理念を共有して続けていくこととなります。
あらためて産地ポリシーに添って、
私は、新たな包丁=ナイフの提案がすでに存在しています。
このキッチンナイフの新しい形態と実装の想像で、
伝統=「裏切り」を創ります。


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12月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

12月20日 先勝(辛巳)

喧嘩は日本の伝統である。
そして、私は
喧嘩には華があると主張してきました。
この華とは、
「裏切り」は全く含んでいない。

よって、
平気で「裏切る」輩には、
この華は与えない。
その時の喧嘩は
私にとっては、喧嘩離れを厭わない!

川崎和男「喧嘩道」


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『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』


   


     8月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

哲学というと「機械について記せ」ということが浮かびます。
それは美大時代に哲学という一般教養の試験問題だったからです。
その正解が何であったかということよりも、
次に思い浮かぶのは「独身者たちの機械」とか、
それを題材にした大ガラス作品を芸術の一ジャンルというより、
芸術とは何か?を聞くよりも「何が芸術か」という接し方を教えられた作品。
「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という理解困難さです。
大ガラスは二分され、上部は花嫁であり下部は独身者たちの機械という対比。
これはコラージュより明らかにアッサンブラージュという形式でした。
少なからず花嫁と独身者は女と男であり、社会構造での人間の欲望装置。
花嫁と独身者たちの機械を結びつけているのはチョコレートです。
あたかも、女性が男性への恋の手続きとしてチョコレートは
独身者である男達のチョコレート粉砕の機械になっていることです。
自分は「デジタルアッサンブラージュ」を提案しています。
その根幹には、
これまでの芸術が幾たびも才能あるアーティストによって、
芸術作品は社会構造への訴訟を繰り返す表現で裏切りを重ねたことでした。
そして最も重要なことは、これまでのアーティストは、
まったく「デジタル」、まさにデジタル文明を知らなかったことです。
しかし数学者たちが気づく以前に点は限りなく正方形に近づいているとか、
色の多様性はアナログ的な理解よりもデジタル的な解釈が先行していたこと。
おそらく、デザインとアートの差異性から、
デジタル的な大ガラスの実体は自分にとっては、液晶画面に映し出されて
しかも動いているというデジタル性を語り切る必要性があるのです。
その表現性には主観性を残すことはあり得ないのでしょう。
デジタル機械としてマルセルデュシャンが、レディメイドを残し、
アッサンブラージュを残したこの大ヒントを引き継ぐことで、
「デザインとは何か」が終焉し、
「何がデザインとなるか」というデザイン解答を用意したということです。

* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』
* 『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』
* 『「アプロプリエーション」という芸術手法はデザインに非ず』
* 「モダンデザインへ、ロシア・アヴァンギャルドから」
* 『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』


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