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Posts Tagged ‘見識’


9月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 12th, 2021  Posted 12:00 AM

9月12日 先勝(癸亥)

『書物としてのデザイン』

情報社会での
本というモノは
メディアの一つの
形式となっている。

artificial heart:川崎和男展


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9月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 14th, 2020  Posted 12:00 AM

9月14日 先負(庚申)

『提訴としてのデザイン』

そして、
デザイナーたる見識を
創出するための
『提訴としてのデザイン』は、
まず
「私のためのモノ」づくりから
始めたい。

artificial heart:川崎和男展


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『生物兵器へ医学制度のCrisis and Risk Solution』


   


     2月 27th, 2020  Posted 11:00 PM

「生物兵器」という説かもしれません。
いや、私は「生物兵器」だと思っています。
3.11の後には、災害復興にデザイナーとして取り組み、
企業とともに研究者として対応していたプロジェクトには、
災害という危機に対しての「危機管理」という言葉を使っていました。
ところが、危機は「管理」など出来ません、目指すのは「解決」なのです。
想定される危機と起こってしまった危機を解決する
Crisis and Risk Solutionであるデザインの解答が求められるのです。
核抑止としてある原子爆弾は、使われればもはや一瞬にして世界の終焉、
地球滅亡のシナリオであることは承知の上、
今回の「生物兵器」なのかとも考えてしまいます。
どうやって地球人が解決出来るかが求められています。
国会には生物兵器を防ぐかは議論されていませんが、今回のことだけでなく
あらゆる想定で危機解決を導く組織、体制は整えるべきです。
私の研究室で提案した結核のDNA診断システムなど危機解決への解答は、
どうせデザイナー提案だろう、
国際コンペでも「解らない」と言われてきました。
学会や、あるいは国家予算を使う研究の審議などにも、
デザインとしての提案は、審査委員や担当者の
能力、見識によって蓋をされたままでした。
医学感染症でのデザイン解決が医学制度、地球の未来をつくります。


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01月04日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 4th, 2018  Posted 12:00 AM

01月04日 仏滅(丙申)

見識は知識と胆識。
知識には無知さがあり、
胆識には差別さがある。
よって、見識には
「無知さ」と「差別さ」が
あってはならない。

川崎和男の発想表現手法


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01月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 3rd, 2018  Posted 12:00 AM

01月03日 先負(乙未)

「見識」とは、
確実な「知識」と「胆識」、
知識は、
果てしなく興味がつきない。
胆識とは、
断言して決定を下せることだ。

川崎和男の発想表現手法


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『仏教絵画というとても地道な作品を識るべき』


   


     11月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

工業デザイナーの私には、大好きな芸術家や工芸家が数名います。
いつも案内をいただける吉永邦治氏は、仏教絵画では
本当に地道な活動をされていて教えられること多々あります。
これだけ地道で確実な仕事ぶりには、感激・感動をしています。
いわゆる仏教における飛天図を描いたなら彼が日本では筆頭でしょう。
仏教絵画絵師になるための修行僧からの研鑽、海外での放浪調査は、
今回、やはり飛天曼荼羅図となり、
徳島県の四国別格二十露場・第四番礼所・鯖大師本坊に描かれました。
世界的には、テロ・戦争によって古代遺跡は私たちの想像を上回るほど、
こうした遺跡は破壊されています。
しかもユネスコ遺産とまで指定されていても全滅状態は見過ごされています。
これすら守れないユネスコを、私は一方では無念さと怒りもあります。
それこそ、最近では、タリバン政権によって、
バーミヤン遺跡は破壊どころか消失してしまったのです。
人間の果てしない想像力が宗教哲学の表現とされた
石窟・壁画・天井画はもはや再現することさえ全く不可能です。
それだけに進化する技術とともに、
日本にあっては弘法大師や空海による曼荼羅は想像力の総まとめです。
曼荼羅がそれこそCPUの機能実装の地図でもあることの解明は
私には未だに出来ていませんし、研究成果を望んでいます。
それだけに飛天図がほとんどマスコミに騒がれること無く、
こうした新たな創造実現を私は美しさの一つとして紹介しておきます。
私自身、曼荼羅こそ思考回路の象徴であり、
曼荼羅と飛天図という私の直感はあってもまだまだ不明です。
しかし、その曼荼羅を我々に飛天は何かを伝えてくれているのです。
仏教哲学の図象はデザイナーの基礎知見だと確信します。
とりわけ、飛天図象への人間の想像性は知識+見識=知見でしょう。

* 『日本の国家プロジェクトはとても優れていたのに!』
* 『祇園祭・祇園と祭りの根源はもう忘れられている・・・」
* 『曼荼羅図に「思」と「考」を配置して論理を確認する』
* 「わが日常の仏様と幸と合掌と」
* 「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」


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『浮世絵を日常化すれば北斎知識から解放できる』


   


     10月 13th, 2017  Posted 12:30 PM

美しさを識ることと知ることには違いがあります。
知ることは先天性によってある種の宿命性があります。
後天的には識ることですから、これは認識という知識より認識です。
カントがこれを明解にしていますから運命化が可能です。。
パウル・クレーは知見であり先天的な見識がはたらいていると思っています。
手短で日本の浮世絵の理解度は、先天的には困難かもしれませんが、
浮世絵といえば、葛飾北斎がいの一番に語られます。
私はいわゆる見識があって認識にまで持ち込めるには、
和服が適切かもと先般から考えてきました。
それは東海道五十三次での物語性は歌川広重の方が明解です。
これは私が丁度30歳の時に、絵羽として歌川広重を選びました。
理由は思い出してみると、三つありました。
まず、歌川広重の版画は越前の国からの和紙であること、
絵羽としては多くが北斎を選ぶという大衆的な思い込みでは、
自分の個性が表示できないと思ったことでした。
さらに、この東海道五十三次には東海度膝栗毛での野次喜多道中との
ナラシオン性が入っていたことでした。
無論、葛飾北斎のなぜ彼は識っていたのかという黄金比・黄金律が
見事なことは知っていましたからこそ
和服と自分の関係を見直していたことです。
今では和服には茶道や華道のごとく、着づらい道理がかなりあります。
したがって、誰もが洋服の着やすさをルール化して、
着物の普及を目指していますが、私はこのブームは容認できません。
理由は、着やすさなどは伝統的に保守するには単純だと思うのです。
大学時代にはあえてネクタイをして大学に行き、
教授に怒鳴られたこともしばしばでしたが、
ネクタイは日本人が大学生でも遅いのです。
最近は市立学校のユニフォームでネクタイを見かけますが、
学校でしっかりと教えていないようです。
私が和服と書は絶対に小学時代にマスターすべきというのは、
この知識・見識・認識をモノ=和服・書という決して「道」とはしないこと。
これはカントの悟識に連鎖しているのです。
浮世絵のナラシオンは知ることから識ることまでの悟性を鍛えるでしょう。

* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
* 「加飾すること=ファッションスタイルは最初提示の効能」
* 『手稿は宝物である』
* 『「黄金比の計算機」アプリのグレードアップの意義』
* 「黄金コンパス・黄金比と白銀比を身体化するには」


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10月04日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 4th, 2017  Posted 12:00 AM

10月04日 仏滅(甲子)

デザイナーとしての
まず、知識。
デザイナーだからの
そして、見識。
この知識と見識が
「知見」の美を
デザイナーに与える。

川崎和男の発想表現手法


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10月03日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM

10月03日 先負(癸亥)

想像力は知識からは
絶対に生まれない。
知識ではなく、
見識である。
だから
想像力は「知見」からだ。

川崎和男の発想表現手法


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『サイドビューと製品カラー決定の造形言語』


   


     8月 31st, 2017  Posted 12:00 AM

ブラウン管からコンピュータのモニター(ディスプレイ)の表示素子、
それが液晶・プラズマ・有機ELへと変化してきました。
その中心での自分デザインは、一時はプラズマにも関与しましたが、
様々な欠点と欠陥からプラズマは全否定し、それは私非難も受けました。
しかし、プラズマは結局TVでも一切無くなりました。
今ようやく有機ELが大きな進化をし始めています。
私は相当の多様さあるモニターをデザインしてきました。
特にEIZOブランドでは、製品カラーには、
金沢=加賀の歴史文化での和的色彩を重要視してきました。
それが、加賀群青=ラピスラズリであり、加賀弁柄=ベンガラでした。
加賀群青は、前田藩時代、日本に入ってきた群青色はそれこそ、
おもてなしの貴賓部屋・成巽閣(せいそんかく)の壁色と弁柄を使いました。
コレは国内の市場性では危険色でした。
しかし、私は造形言語=デザイン意図が明快であればという信念でした。
新しいデザインとして成功しました。
特に、FORIS.HDは画面16:9、パソコンながらTVも、
それだけにたった400cc空間にスピーカーユニットは最低周波数80dbをと、
PinP(Picture in Picture)を実現。
自分デザインでは、ともかく、サイドビューでの造形言語には、
一つ自分なりの言素=形素づくりをしてきました。
そこに、ベンガラ=弁柄というこれは日常性や、
人類が最初に見つけ使用してきた朱色を彩色したのです。
正直最近の製品カラーはなんとなく流行色=経営色のそのまま応用が多く、
自分デザインでは絶対に選ばないほど乱雑になっています。
私はあらためて次世代デザイナーには、
色彩学ではなくて、色彩論、
つまり、学はすでに知っておかなければならないような事項ですが、
論ならば、学という知識をベースにこの色であってほしい見識と悟識を
反映させるということです。
加賀群青と加賀弁柄の色彩論としての製品カラーとサイドビュー、
そのデザインをFORIS.HDとして果たしました。

* 「最小リモコン=徹底的な黄金比の適用と実装設計」
* 「プラズマTV商品問題に例示される未然技術」
* 「大好きな画家・これが私のまなざし」
* 「カラーの決定のために・HSB色空間」
* 『200年ぶりの「青色」発見は大興味がある』


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