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Posts Tagged ‘規範性’


『日本人の根本的な倫理観、その原点を見つめ直す』


   


     10月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

日本人にとって、最も規範性を決め、倫理観の原点を探ると、
私は二つあると判断しています。
その一つは武士道と商売道であり、武士道とは忠誠と生死への態度、
商売道とは儲けることよりも、儲けたことで何をなし得るかです。
今や、世の中はメチャメチャだと言わざるをえません。
まず、なんと言っても武士道も商売道も「家訓」としてさらに、
その詳細と制限、不自由さを取り決めています。
自由であることを不自由にすることこそ実は幸不幸を決定しています。
なんといっても、鎌倉時代、武士という職能、御家人時代の倫理、
それは「御成敗式目」51箇条は、すべてを漢文とせず、
ひらがなも用いられていて制限は警察権と裁判権に集約されています。
その制限は道徳の正当な論理性は、自由さを制限していますが、
私が最も共鳴するのは、裁判裁決の平等性です。
たとえば、裁判の迅速性であり、20日以上かかってはならないこと、
これに私は脱帽せざるをえません。現代は、裁判とは長期どころか、
生涯の闘争になってしまっています。
しかも有力者によって庇護されたり、損得が決して起こらないこと、
まるで現代とは大きな違いがあります。
「御成敗式目」の不自由さの根幹は、必ず死を迎えること、
あるいは死を持って購う潔白さという美しさこそ武士の正義。
正義には不自由さで制止されることこそ、極めて重要であり、
不自由さゆえの解放は、倫理性、正義性を身体化するからこそ、
真の自由さを存分に出来るという理念、思想、道徳、倫理です。
よって、自由さを制限する暴力性などは非在なのです。
解放された自由さにある不自由度には、平等感があるということです。
御成敗式目には、暴力と嘘への裁決がとても明白に規定されています。
私は、この御成敗式目、武士道規範に立ち戻るべきだと主張します。
私は嘘つきには、成敗するために武力発動は当然であり、
これはまったく暴力ではないということです。

「幸不幸の連鎖の中で」
「あらためて『幸』文字の意味をかみしめる」
「テロという名の殺戮に怒りを込めて」


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『資本主義からの逃走』
  「ビジネスモデルが見落としてきた欠陥」


   


     2月 15th, 2010  Posted 1:00 AM

経営MODEL
経営資源の運用=ビジネス、そのメリット性から、
「仮説」化することを社会貢献として、
利益還元のモデルを指し示すこと=モデルが、
本来の意味でした。
そのモデル化の「仮説」化は、
オリジナリティが最も大事だったわけです。
しかし、経営資源は企業体に軸足がありました。
この「軸足が企業」であり、
経営資源は、直・即に、
「収益構造」に結びついていたわけです。
端的に言えば、
「儲け」=Profitだけが成果だったことです。
そうなれば、企業体が収益構造・儲け主義となり、
社会貢献が後回しになることは、
人間の欲得感情から逃れられるわけがありません。
即刻、「仮説」はアイデアとして、
そのモデル化=オリジナリティ、
その独占欲になるのは当然のことでした。
いわゆる知財権としてのビジネスモデル、
つまり、「ビジネスモデル特許」が公認されます。
そうなれば、ビジネスモデルが、
「収益構造」戦略として「企業戦略」本旨、
さらには「経営資源の合理的策略」となります。
資本主義がこれを否定する要素も要因もありません。
ビジネスモデルこそ先端的な「経営戦略」と化しました。
Profit・対・Benefit
そして、
大きな見落としは、「収益構造」には、
ProfitとBenefitがあるということです。
Profitは確実に企業体、組織内での収益ですが、
本来の社会貢献は、企業構成員以外への還元性に
差し向けられることにはならない事情が、
隠匿されていってしまったのです。
それは、商慣習での倫理性を忘却する体質が、
企業体=Associationにこびりついたのでしょう。
私は、あらためて、
倫理性=義と善なる規範性を根底で支えるのは、
美学性=美が、企業体を包括すべきだと主張します。
美に直結した職能は、デザインです。
よって、デザイン手法が経営戦略を包括するべき、
というのが私の論理です。


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